万葉集は日本人の心
およそ4500首のヤマトウタ
万葉集は20巻からなる。
生ける者
遂にも死ぬる
ものにあれば
この世にある間は
楽しくをあらな
大伴旅人
生きとし生ける者は
いずれは死ぬという
だから、この世にある間は
楽しく生きていたいものだ。
人生は楽しむためにある
万葉の昔から 人生哲学に気づいていた人はいた。
石麻呂に
我物申す
夏痩せに
良しといふものそ
鰻捕り喫(め)せ
大伴家持
石麻呂さんに
私はものを申し上げます。
夏痩せには「良い」というものですよ。
鰻を捕ってお食べなさい。
夏やせに ウナギが良い
とは 平賀源内の前にアドバイスする人がいた。
もののふの 八十娘子(やそをとめ)らが 汲みまがふ
寺井の上の かたかごの花
大伴家持
群をなして乙女たちが水を汲み
さざめき、寺の井戸辺に咲くかたかごの花よ。
馬並(な)めて いざ打ち行かな 渋谿(しぶたに)の
清き磯廻(いそみ)に 寄する波見に
大伴家持
馬を並べ、さあ行こうよ
渋谷の清らかな磯辺に、寄せる波を見に。
石走る
垂水の上の
さわらびの
萌え出づる春に
なりにけるかも
志貴皇子
岩の上を
ほとばしり流れ出る滝のほとりの
蕨が
萌え出すように天に向かって伸びてゆく
春になった!
不遇だった志貴皇子
だが 息子の白壁王(第49代光仁天皇)が即位 そして桓武天皇と続く。
ももづたふ磐余(いはれ)の池に鳴く鴨(かも)を今日(けふ)のみ見てや雲隠(くもがく)りなむ
磐余の池に鳴いている鴨を見るのも今日限りで、私は死ぬのだろうか。
大津皇子(おおつのみこ)は天武天皇の御子。
「詩賦の興(おこり)は大津より始まる」といわれたほど文筆を愛し、容貌も大柄で男らしく人望も厚かったといわれます。
草壁皇子に対抗する皇位継承者とみなされていましたが、686年、天武天皇崩御後1ヶ月もたたないうちに、反逆を謀ったとして処刑されました。
罪名は八虐(はちぎゃく)という最高罪のうちの「天皇殺害、国家転覆」に当たるとされました。
ただし、謀反の罪で大津とともに逮捕された30余人は、配流された2人を除き、全員が赦免されています。
そのため、この逮捕・処刑劇は、息子である草壁の安泰を図ろうとする皇后の思惑がからんでいたともいわれます。
万葉集 つづき