ローラ・インガルス・ワイルダー
 はじめの四年間

(この物語は、前巻「この楽しき日々」の続きである) (つまり、ローラとアルマンゾの新婚時代の辛く楽しい思い出の物語) 1885年 夫はサウス・ダコタ州で農業をやって成功する夢をいだいていた。 妻の意見は、農業はきつい仕事なのに、お金がそれほど入らないから乗り気でない。 二人は議論を続ける。 三年だけ夫の言うようにやってみる。だめだったら妻の言うとおりにする。 すぐ結婚したほうがお金がかからないから、6月のうちに結婚した二人。 近所の家に手伝いに行く夫。絶対に遅れてはいけない。 その次はその家からこちらに手伝いに来るのだから。 新しい家、新しい家具や食器、満足する妻。 物を借りる名人の隣人のこと。壊れたものを返すのには困る。 おおらかな夫に対して、妻はおだやかに貸す気にはなれない。 インディアンが五人来てローラに追い払われる。 収穫はよくなかったので、クリスマスプレゼントを考える余裕はなかった。 でも、夫はローラの妹たちに手作りそりを作ってくれた。 新年のごちそうはワイルダー家で食べることにした。 2月になり、ローラは19歳の誕生日をむかえ、夫は一週間後に29歳になる。 めまいをする妻、妊娠を医師が知らせる。 小麦もエン麦も育ちがよい。収穫が楽しみだ。 新しい刈り取り機を借金して買った。エン麦は刈り取った。 ところが、 雹が降ってせっかくの小麦が収穫できなくなる。 借金をかかえて二人は引っ越しをする。 12月に娘ローズが生まれる。 近所の子供のいない夫婦から、ローズをもらいたいと言われて 逃げるように馬車で立ち去るローラと夫。 春の種まきの時期の4月に猛吹雪に遭う。 家事と菜園の仕事をして、娘の世話をしているうちに、夏もすぎていった。 収穫は期待したほどではなかったが、借金の一部は返せた。 夫の誕生日に夫を驚かせようと、知り合いも招待して、料理を作った。 ごちそうは大成功だった。 夫婦二人は風邪をひいて、ローズはかあさんのところに預けられる。 働きすぎた夫は体が麻痺した。休んだりしてだんだんよくなった。 羊を飼うことにする。羊毛を売って稼ぐつもり。 収穫直前に熱風が吹き、小麦はまたも絶滅。 三年経っても収穫なし。一度でだけでもいい収穫があればいいんだが。 もう一年だけやってみようという夫。 大草原の火事にあう。 座っているローズの上を走ってきた子馬が飛び越えて、ローズが 無事なのを見て、ローラはすぐ娘を抱き上げ家に連れ戻る。 8月に息子が生まれる。3週間後に死ぬ。 疲れてぼんやりしていたローラは台所の家事で家を焼く。 二人の農業は成功だったといえるのだろうか。 「要は、自分がそれをどう見るかにかかっているんだよ」 二人には家畜がたくさんいる。いちばん年上の子馬二頭は、春になれば 売りに出せる。また、若い子馬が何頭か育っている。いま、いつでも 売れる雄の子牛が二頭いる。羊だっている。去年飼い始めたときの数の二倍 もいる。売るばかりになっている子羊が何匹かと、大人の羊が六頭いる。 「すべてうまくいくよ。時がくれば、なんでも公平にならされるんだから、 様子をみようよ」 そうよ、時がくれば、なんでも公平にならされるのだ。金持ちは夏に氷を得て、 貧乏人は冬に氷を得る。そして、うちの分もやがてくる。 ローラ・インガルス・ワイルダー作、谷口由美子訳:はじめの四年間、岩波書店

ローラは1867年にウィスコンシン州に生まれる。
65歳の時、少女時代の開拓生活を記録に残しておこうと考え
「大きな森の小さな家」、「農場の少年」、「大草原の小さな家」、
「プラム・クリークの土手で」、「シルバー・レイクの岸辺で」、
「長い冬」、「大草原の小さな町」、「この楽しき日々」と
自伝的物語を書き続けた。

この話の続きは? ローラの一家はどんな夢をおっていったか。
1890年春、一家は夫の父親の持つミネソタ州スプリング・ヴァレー
の農場に移住する。
そこで1年ほど暮らしてから、フロリダ州ウェストヴィルに移る。
しかし、南部の湿気の多い気候はローラにあわず、1年もたたないうちに
一家はふるさとのデ・スメットに戻ってくる。
ローラたちはその後、新しい土地に移るのだが、ローラのとうさんもかあさんも
デ・スメットに留まり、そこで一生をまっとうする。

この「はじめの四年間」と「わが家への道 ローラの旅日記」
(ローラのシリーズ最後の作品)のあと、
一家はミズーリ州のオウザーク丘陵でロッキーリッジ農場をつくり
今度は成功して、豊かな楽しい生活を送り、
夫は92歳(1949年)、妻ローラは90歳(1957年)に亡くなる。
ローラ夫妻のロッキーリッジ農場の家には、二人や肉親たちの使用した道具
なども残され、永久保存建築物に指定されている。

ローラの新婚 しかし厳しい開拓生活。
この物語は、他のローラのシリーズと違って
ローラが死んで、その娘ローズが母の遺品として持っていたノートに
手書きで書かれた原稿を、
ローズと長年親しくしていた弁護士が、ローズの死後1968年に
その原稿を出版社に持ち込んで、本になったものだという。
(ローズも文筆活動で有名人だったが、78歳でベトナム戦争特派員記者もした)

この話以外の他の作品は、ローラの一人娘ローズが意見を述べて
読みやすいものに直していたという。
(時には母娘の意見が違って喧嘩にもなった)
ローラの姉妹は結婚したけど子どもに恵まれず
ローラの娘ローズも結婚して男の子を産んだがすぐ亡くなってしまった。
こういうわけで、ローラの血を受けつぐ人は一人もいなくなった。

文学放談の部屋 他の作家についても扱っています。