百人一首は日本人の常識などと言われるが、なかなか意味が分からない。
現代日本人は昔の日本語がわからない。当然昔の短歌も難しい。
そこで、ここでは、百人一首を例に取りあげ、日本語の勉強をしたり、
日本人を考えてみたいと思います。
みちのくのしのぶもぢずり たれ故に 乱れそめにし われならなくに
陸奥の信夫もじずり そのような乱れ模様の私のこころ
他の誰のせいでもない あなたのせいで乱れた私なのに
源融は源氏物語の主人公のモデルか
彼が宇治川にたてた別荘が のちの平等院という。
君がため 春の野に出でて若菜つむ わが衣手に雪は降りつつ
あなたにさしあげようと 早春の野に出て 若菜をつむとき
着物の袖に 雪が降ります。
皇子がみずから 野辺で若菜を摘んだのではない。
人に送るときに こう言ったのだ。
ちはやぶる神代もきかず龍田川 からくれなゐに水くくるとは
神の御代にも これほどの光景は聞いたことがない。
川の水を くれないに しぼり染めして 真紅の帯の龍田川
落語に出てくるから、誰でも知っている
ちはやぶる は 神の枕詞
吹くからに 秋の草木のしをるれば むべ山風をあらしといふらむ
風が吹けば たちまち 秋の草木がしおれてしまう。
だから 山から吹きおろす風を 嵐というのか。
国語の先生が あたりまえの理屈で おもしろくない
と言った記憶がある。
久方の光のどけき春の日に しづこころなく花の散るらむ
春ののどかな日に 花があわただしく散るよ
花も ゆっくり 春の日を 楽しめばいいのに。
のどかにすごす私に しのびよる寂しさ
人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香ににほひける
あなたの心は さあわかりません。
でも なつかしいふるさとの花は 昔のままに私を迎えてくれます。
相手の心がわりを やんわり責める歌 と聞いていたが
その前に 自分が責められている かもしれない。
しのぶれど色に出にけりわが恋は ものや思ふと人の問ふまで
胸の内に隠していた恋なのに どうやら外に出てしまったようだ。
なんと この恋が人に聞かれるようになったのだ。
勘のいい人はいるものですね。
滝の音はたえて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞えけれ
大覚寺にあった滝 その滝の音はすでにとだえて久しいが
その名は今も人々の耳に流れて残っている。
名こそ流れて なお聞こえけれ という表現がおもしろい。
まあ ことばのあそびなのだが。
大江山 いくのの道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立
大江山を越え、生野をすぎずっと行かなければならない
丹後の国は遠いから、まだ天橋立を踏んでみたことはない。
丹後にいる母からの手紙もまだ見ていない。
母は和泉式部でしたね。
母も娘も、一条天皇中宮彰子に仕えたという。
こんな文才のある娘をもった和泉式部は今なら教育ママか。
瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の
われても末に 逢はむとぞ思ふ
滝が岩にあたって、二つに分かれても、ふたたび流れは出会う。
そのように、恋人と別れても、いずれ会える。
落語に出てくるから、誰でも知っている和歌
崇徳院は 鳥羽天皇の第一皇子だったが、父と仲が悪かった。
弟を可愛がる父のため、父に無理に譲位させられた。
その不満が保元の乱につながる。
鳥羽天皇は祖父白河法皇から法皇の寵愛する璋子(たまこ)を妃とされ、
璋子の生んだ崇徳天皇は自分の子ではなく祖父の子だと思っていた。
万葉集