百人一首は日本人の常識などと言われるが、なかなか意味が分からない。
現代日本人は昔の日本語がわからない。当然昔の短歌も難しい。
そこで、ここでは、百人一首を例に取りあげ、日本語の勉強をしたり、
日本人を考えてみたいと思います。

秋の田の かりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露に ぬれつつ 稲の実った田のかたすみに 番をするため仮小屋をたてて泊まる。 屋根をふく苫は目があらいので、隙間からもれる露で 私の袖はぬれている。 天皇がみずから 田に出たのではない。  天皇が農民の苦労を思いやって うたった歌なのである。 春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香久山 春がすぎ夏がきたらしい。 あの香久山に 今年も 白い着物が並びはじめたそうな。 持統天皇の歌 その長い一生は 波乱万丈 まさにドラマだった。 あしひきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む 長い長い 秋の夜を 添うひともなく 私はひとり寝る。 女の一人寝のわびしさを歌った歌という。  しかし、現代風に考えるなら ひとり寝も たまにはよいもの。 田子の浦に うち出でて見れば 白妙の富士の高嶺に 雪は降りつつ 田子の浦から見れば 富士山の峰の雪の輝き あそこには 新雪が降り積もっているのた。 山部赤人の歌 元歌は 雪はふりける になっている。 奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声きくときぞ 秋はかなしき 誰も通らない森林の中を落ち葉を踏んで歩いた私は この歌を思い出して、鹿はどんな声で鳴くのだろうと思った。 まだ、鹿の声を聞いたことがない。 こちらでも、北海道でも保護した鹿が増えすぎて農作物に被害が出て 憎まれている。 奈良公園の鹿も傍若無人。 鵲の渡せる橋に おく霜の しろきを見れば 夜ぞ更けるにける 七夕の夜に かささぎが連ねて橋を架けるという。 今は冬 天の川の橋のように宮中の御階に まっ白な霜が降りている。 大伴家持の歌 でした。 天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に出でし月かも ふりあおげば夜空に月が出ている。 あの月は ふるさと 春日の三笠の山に 出ていた月と同じだ。 遣唐使の帰国船に乗るため 明州(寧波)まできた。 その地で 唐の友人たちが別れの宴をしてくれたとき 詠んだ歌 いよいよ帰れるぞ と思ったのは つかのま。 とうとう帰国できなかった 阿倍仲麻呂の 望郷の気持ちの歌 わが庵は都のたつみ しかぞ住む 世をうぢ山とひとはいふなり 私の庵は 都の東南にあたる 宇治山のあたり 心静かに住んでいるのに 世間の人は 世を憂しと 引込んだと 噂しているらしい。 しかぞ住むは 鹿が住んでいる と思っていたのに いまの解釈では こんな具合に住んでいる というらしい。 花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに 花はもう盛りをすぎ 色あせてしまった。長雨を眺めている間に 月日はすぎ 花がむなしく色あせたように 私も女の盛りをすぎてしまった。 小野小町といえども 人の老いには勝てない。生きものはそういうものだから。 天つ風 雲のかよひ路吹きとぢよ  をとめの姿しばしとどめむ 天を渡る風よ 天上へ帰ろうとする乙女の 通路を吹き閉ざしてくれ。 乙女らを しばし地上にとどめておきたいから。 百人一首で 人気の札         百人一首 つづき