恐竜絶滅を考える

     国立科学博物館・地学研究部主任研究官 真鍋 真

   今から約2.48憶年前から6500万年前までの約1.83億年間を中生代と呼ぶ。恐竜など多く
の爬虫類が出現し、繁栄し、絶滅したことから「爬虫類の時代」とも呼ばれる。中生代末
(約6500万年前)までに大部分の恐竜が絶滅したが、その原因は、現在のメキシコのユカタン
半島付近に直径10kmクラスの限石が衝突し、引き起こされた環境異変が有力視されている。
最近になって中生代の始まり(約2.48億年前)も、日本や中国の地層のデータから彗星のよう
な地球外物質の衝突の可能性が指摘されるようになった。「爬虫類の時代」は、地球外物質の
偶然の衝突に始まり、終わった時代だったのかも知れない。

 今から6500万年前に限石が衝突したこと、それに伴う著しい環境異変があったことは多くが
認めるところだが、恐竜の多様性が限石衝突の数百万年前から徐々に減少していたという
データがあり、隕石衝突は長期衰退傾向にあった恐竜のとどめを刺したことはあっても、恐竜
の絶滅の原因は別にあったはずだとする立場をとる古生物学者が多い。恐竜の多様性が数百
万年かけて徐々に低下していたのか、それとも隕石衝突直後に急激に絶滅したのかが、陽石説
の大きな争点である。この論争は、同じデータから全く異なる対立する仮説に到達しうる難し
さとおもしろさを持っている。

 恐竜の長期衰退傾向が存在したか否かについては、そのデータの妥当性や信頼性が議論され
ている。ある場所で恐竜の多様性が低下して、哺乳類の多様性が増加したとする。恐竜が衰退
して、哺乳類が繁栄したとも解釈できるが、その場所の環境が変化して、恐竜は別の場所に
移住して、代わりに哺乳類が移住してきただけなのかも知れない。恐竜だけではなく、同じ
空間に生息した他の動植物を含めた生態系全体、その環境を復元できるかどうか、そのような
データを同じ時間面で、どれだけ多くの地点から集められるのかが重要である。そのような
データを次に時代ごとに比較することが可能になって初めて、恐竜の多様性の時間的変遷が
明らかになる。恐竜化石が多産する北アメリカでも、そのように都合良く化石が出てきて
くれないのが現状である。

 新館地下1階の恐竜の展示室に、「恐竜絶滅を考える」と題するコーナーがある。展示
ケースの中には、米サウスダコタ州北西部のヘルクリーク層のサンディサイトと呼ばれる化石
産地から採集された骨、歯、鱗の代表例が展示されている(写真1)。サンディサイトは、川辺
に静かに堆積したと考えられる細粒の砂岩の中に、小さな骨や歯、鱗、植物化石などがとても
綺麗に保存されていた場所(写真2)で、採集された2000点以上の標本は新宿分館に収蔵されて
いる。同じ場所から堅頭竜パキケワァロサウルスのほぼ完全な骨格が世界で初めて発見されて
おり、この標本に基づく復元骨格が当館に展示されている(写真3)。サンディサイトの予察的
な研究を行った米ノースカロライナ州立大学のデール・ラッセル教授は、小型の鳥脚類恐竜や
小型の肉食恐竜の多様性が高かったことを指摘した。ヘルクリーク層はティラノサウルスや
トリケラトプス、エドモントサウルスといった大型の種が良く知られているものの、化石と
しては繊細で残りにくく、見過ごされやすい小さな種や個体があまり発見されていなかった。
ラッセル教授の予察が正しければ、今から約6600万年前、恐竜絶滅の100万年前までは、恐竜
の多様性は低くなっていなかった、つまり恐竜が長期衰退傾向になかったといえるかもしれ
ない。

 そこでサンディサイトについて、当館と米ノースカロライナ州立大学、デンバー自然科学
博物館、デューク大学との共同研究が進行中である。これは恐竜やその他の爬虫類、哺乳類、
魚類、植物の標本を分類し、生態系の復元を試み、真の多様性を明らかにすること、現地調査
を行い、その堆積環境、地層の年代について詳細なデータを得ることを目的とした研究である
(写真4)。この研究成果がある程度まとまった段階で、このコーナーの展示更新を行い、
当館における研究の成果の一部を展示で紹介する予定である。

 さて、恐竜が限石衝突によって絶滅したのであれば、K/T境界の直後に恐竜が急激に減少
したことが想定される。限石衝突の直後の地層には、恐竜の大量死の痕跡があっても良さそう
だが、K/T境界前後は、後述するように良い化石産地が見つかっていない。サンディサイト
はK/T境界から約50m下に位置するが、サンディサイトより上位の地層は既に風化浸食され
てしまい、動植物の多様性の変化を直接追跡することが出来ない。ヘルクリーク層の上に
新生代暁新世のフォートユニオン層が連続して堆積している他の場所を調査研究しなくては
ならない。ある研究では、ある角竜化石がこの二つの地層の境界の僅か30cm下から発見された
ことから、恐竜が白亜紀最末期まで繋栄していたとした。これまでの多くの研究はヘルク
リーク層とフォートユニオン層を境にした動植物相の変化を議論しているが、KT境界は時間
の境界であり、地層の境界は堆積環境の変化の境界である。つまり二つの境界が必ずしも一致
するわけではない。 K/T境界をイリジウムの測定や花粉の生層序によって特定していくと、
先ほどの角竜化石は、K/T境界の約1.8m下に位置することが明らかになった。さらに重要な
のは、この角竜の産出層準からK/T境界までは、恐竜以外の骨格も発見されていないので
ある。白亜紀最末期の約1.8mについては、恐竜はおろか哺乳類に関しても信頼すべきデータが
ないわけである。古地磁気による編年を基に地層の堆積速度を割り出した場合、1.8mは約
24000年位に相当すると考えられる。恐竜の絶滅に至る過程が急激であったのかどうかを判断
出来ないのである。

 白亜紀最末期の恐竜はティラノサウルスやトリケラトプス、エドモントサウルス、パキケ
ファロサウルスなど、それぞれの系統を代表する繁栄した種が多い。たとえ恐竜の多様性が
減っていたとしても、これらの恐竜たちから恐竜が衰退傾向にあったとは言えないという議論
もある。現在、生物種の多様性を維持するための環境保全は、全地球的な課題である。どの
程度の多様性が「適正」なのかについては合意がないが、多様性を維持することは「地球に
優しい」以上にどのような意味があるのだろうか。多様性が低いと、何か急激な変化があった
時に全生態系が壊滅的な損害を被ることがあり、生態系として絶滅のりスクが高くなる傾向が
指摘されている。多様性の高さは生態系の安定度と相関するようだ。白亜紀最末期に恐竜の
多様性が徐々に低くなっていたかどうかは、今後さらに地道な調査研究が必要だが、恐竜の
多様性が低くなっていたとしたら、それは恐竜を含む生態系において、急激な環境変化などに
対して、大絶滅のりスクが高まっていたとも言えるだろう。

  白亜紀末に大部分の恐竜は絶滅したが、一部の恐竜は鳥に姿を変えて現代まで存続して
いると考えられている。鳥と恐竜の近縁関係が明らかになればなるほど、どこまでが恐竜で
どこからが鳥なのか、境界線を引くことが難しいくらい、その変化は連続的だ。現在のところ
飛べなかったのは恐竜で、飛べたのは鳥類、約6500万年前の大絶滅を生き残れなかったの
恐竜で、生き残れたのが鳥類だと定義されている。しかし、それは鳥類を飛ぶものと定義する
ことによって、連続的な進化の現象に、恣意的に境界線を引いているとも言える。飛べない
恐竜から飛べる鳥類が進化したのだが、その境界線は「飛べる」「飛べない」という機能で区別
して良いのだろうか? 飛べた時は鳥類の起源ではなく、鳥類の基本形の完成だったかもしれ
ない。その絶滅が長期間であっても短期間であっても、鳥が存続し、肉食恐竜が絶滅した理由
を説明するのは難しい。

 中生代と新生代の境界(K/T境界)を挟んで、その前後(地層の上下)から陸生の脊椎動物
化石群を確認できる場所は、今のところ米ノースダコタ、サウスダコタ、モンタナ、ワイオ
ミング州などに分布するヘルクリーク層など、北アメリカにしかない。そこで、K/T境界を
境に急激な環境変化が起こり、恐竜が絶滅したとしても、それは限石衝突地に近い北アメリカ
だけの現象に過ぎないのではないかという指摘もある。これについては、最近、まだ恐竜化石
は見つかっていないものの、北アメリカから遠く離れたニュージーランドで、K/T境界の後
5分の4の植物が絶滅したことが花粉や胞子の分析から明らかになった。 K/T境界における
環境悪化は、汎世界的な現象である可能性が著しく高くなった。哺乳類やワ二、カメ、
トカゲ、ヘビなどが生き残り、1.6億年以上も繁栄してきた恐竜が適応できなかった環境の
変化とは何だったのか、まだまだ謎は尽きない。

(国立科学博物館ニュース 第394号)

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