自分の尺度でしか見ようとしない人間

     国立科学博物館・地学研究部主任研究官 真鍋 真

  恐竜の化石は、発見され岩石の中から削り出された瞬間、初めて人間と出会う。
化石が自己紹介をしてくれたり、分類ラベルが付いてくるわけではないので、古生物学者は、
化石を目で見、ときには複雑な形を手で触り理解し、まずは、その骨が体のどの部分の骨
なのかを知ろうとする。それが太股の骨(大腿骨)であるならば、それがどんな恐竜の大腿骨
なのかを知ろうとする。分からなければ分からないほど、恐竜に自分の古生物学者としての
能力が試されているような気になる。博物館に収蔵されている標本と比較したり、文献を
調べたり、自分のノートや写真といった記録や記憶を総動員して、来る日も来る日も標本と
向かい合うことも少なくない。ずっと分からないこともあれば、何年もして忘れた頃にひょん
なことから分かることもある。

 私の大学院時代の指導教官のジョン・オストロム教授(米・イェール大学)は、苦しみに
苦しみ抜いた後に、急に霧が晴れるように理解できる瞬間の快感こそが研究者の喜びだと常々
語っている。オストロム教授は、始祖鳥という最古の鳥類の標本を見続けたある日、突然、
「始祖鳥は羽毛さえなかったら、骨格は恐竜じゃないか」と気がつき、一九七〇年代に鳥類の
恐竜起源説を提唱した。その後、この説を裏付ける証拠が次々と発見され、今では大多数の
古生物学者に受け入れられている。今から六、五〇〇万年前の中生代末に、環境変化に適応
できずに絶滅したと思われていた恐竜は、鳥に姿を変えて現在も繁栄し続けているのだ。

 始祖鳥の化石は、ドイツ南部の約一億五、〇〇〇万年前(ジュラ紀後期)の地層から、
最初の標本が一八六一年に発見された。現在でも、確かなものとしては史上最古、最も原始的
な鳥の化石である。ベルリンのフンボルト大学博物館に収蔵されるこの標本(写真―1)は、
左右の翼を大きく開き、背中から大きく首をのけぞらせるような格好で石灰岩の中に閉じこめ
られている。一見すると、頭にはくちばしではなく歯、そして長い尻尾があり、とても爬虫類
的である。しかし、斜めからローアングルの光をあてると、翼のまわりは羽毛の痕跡が浮かび
上がり、これが間違いなく鳥であることを教えてくれる。一八五九年に『種の起源』の初版を
出版し、進化という概念を発表したチャールズ・ダーウィンは、早速『種の起源』の改訂版に
始祖鳥のことを紹介している。ダーウィンは、始祖鳥こそ鳥類が爬虫類から進化したことの
物的証拠、ミッシングリンクだと考えたからだ。いまでこそ、魚類の中から陸上にも上がる
両生類が、両生類の中から殻のある卵を持つ爬虫類と哺乳類が、爬虫類の中から空を飛ぶ鳥類
が進化したことは常識と言っても良いが、十九世紀には、地球の歴史が四六億年もあるとは
知るよしもなく、せいぜい数百年から数千年としか考えられていなかった。だから、種が
誕生したり、絶滅したりすることは想像できないことだつた。ダーウィンにとって、爬虫類的
な特徴と、鳥類的な特徴を合わせ持つ始祖鳥は、爬虫類から鳥類への「進化」を具体的に示す
最適な例だったのだ。

 私たちは左右二本の「さこつ(鎖骨)」を持っているが、鳥の「さこつ(叉骨)」は、
胸のところで癒合してV字形のー本の骨になっている。つまり叉骨は鳥類だけに進化した骨
で、羽毛と並んで鳥類を特徴づけるものとして知られるのである。ベルリンの始祖鳥の化石
には叉骨がなかったが、ロンドンの大英自然史博物館に収蔵されている始祖鳥には叉骨が確認
できる。叉骨は鳥が羽ばたくときに、打ち下ろした翼を跳ね上げるのに胸でバネのように作用
しており、まさに鳥類が飛ぶために進化したような骨である。

 一九九〇年代に、それまでの常識を覆す化石が次々と発見された。まず、中国の遼寧省の
約一億二、七〇〇万年前(白亜紀前期)の地層から発見されたのは、中華竜鳥やシノルニソ
サウルスと呼ばれる肉食恐竜である。彼らは空を飛んだとは考えられない恐竜なのに、羽毛を
持っていた。羽毛は飛ぶこととは関係なく恐竜に進化し、それが後に鳥が飛ぶことに上手く
活用したらしいことがわかった。現在では、羽毛は我々がダウンジャケットを着るように、
保温のために進化したのではないかと考えられている。

 さらに、ジュラシックパークでお馴染みのヴゥロキラプトルや、前述のシノルニソサウルス
などが叉骨を持っていたことが分かった(写真−2)。ティラノサウルスのような前肢が
著しく退化したものにも叉骨が確認された。飛ばない恐竜における叉骨の機能は謎だが、
叉骨もまた飛ぶこととは別の目的で恐竜に進化したものが、鳥類で飛ぶことに上手く転用され
たらしい。モンゴルではオヴィラプトルという恐竜が巣(卵)の上に覆い被さるように座った
標本が発見された。卵を温めるという行動も、恐竜に進化し、それが鳥類に受け継がれた
らしい。

 以上のように、鳥類と肉食恐竜だけに進化した特徴は、羽毛(外皮)、叉骨(骨格)、
抱卵(行動)と多岐にわたり、鳥類と肉食恐竜が、共通の祖先(ルーツ)を持っていたことを
物語っている。そして、今、どこまでが恐竜で、どこからが鳥類か、恐竜と鳥類の境界線を
引くことが難しいくらいその変化は連続的だ。現在のところ、飛べなかったのは恐竜で、
飛べたのは鳥類、約六、五〇〇万年前の大絶滅を生き残れなかったのが恐竜で、生き残れた
のが鳥類だと定義されている。しかしそれは、鳥類を飛ぶものと定義することによって、
連続的な進化の現象に恣意的に境界線を引いているだけに過ぎないとも言える。飛べない恐竜
から飛べる鳥類が進化したのだが、その境界線は「飛べる」「飛べない」という機能だけで
区別してよいのだろうか? 飛べたときが鳥類の起源なのではなく、鳥類の基本形の完成では
ないのだろうか? 人間は、自分たちに認識できる尺度のみで自然界を科学し、理解しようと
試みるが、恐竜と鳥類は私たち現代人の認知能力を試しているのかも知れない。

(建設業界 2002.1)

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