世界人名ものがたり その3

梅田修:世界人名ものがたり、講談社現代新書1437
これを参考にしながら、自分のおそまつ知識も加えて書いていきましょう。

イギリスを作ったアングロ・サクソン民族はドイツから移住した部族だった。
サクソン族は2世紀なかばにもう、ユトランド半島(今のデンマーク)から
エルベ河下流地方に住んでいた。
そして、そのサクソン族の一部は5世紀なかばにアングル族とともに
ブリタニアに移住したのである。

ハインリヒ
ハインリヒ(Heinrich)は、ザクセン朝初代のドイツ王ハインリヒ1世(在位919-936)
が出て全ドイツ的な名前となった。
ハインリヒ1世は、ザクセンとフランケンの豪族から国王に選挙された。
最初バイエルン、シュワーベン両部族は彼の王位を認めなかったが、
ハインリヒ1世は両部族に大幅な自立性を与えることにより、彼の王位を承認させる
ことに成功した。925年に一時西フランク王国領となっていたロートリンゲンを奪回、
東方でも国境地域に多数の城塞を築いてスラブ人の侵入に備えた。
王権を確立するにしたがい、一時部族大公に与えた諸特権の回収にも努力して、
中世ドイツ王国の基礎を固めた。

彼の曾孫ハインリヒ2世は、ザクセン朝最後のドイツ王であり、神聖ローマ帝国
皇帝(在位1002-1024)となった。

彼は熱心なキリスト教徒としてローマ教皇に恭順を示し、スラブ人への伝道に
力をつくした。

ハインリヒ[獅子公](在位 1129?‐95)
ウェルフェン家のザクセン、バイエルン大公。イングランド王ヘンリー2世の王女
マティルデを妃とした。シュタウフェン家の国王フリードリヒ1世との政治的和解により、
東北ドイツ、バルト海沿岸地方にまで支配を広げた。
ブラウンシュヴァイクを首都として、宮殿を造営した。フリードリヒ1世と対立して、
皇帝から公の位を追放された。公はイギリスでの一時亡命から帰国した後、
フリードリヒ1世を継いだハインリヒ6世と和解したが、かつての大公位に復帰する
ことはできず、ブラウンシュワイクとリューネブルクの世襲領を領有するのみであった。

ドイツ語名 Heinrich の語源は Heimrich である。-rich は英語の rich(裕福な)と
同系の言葉であるが、類語に、ゲンマン語系の right(正しい)や、ラテン語系の
rex(王)、regal(王の)、rule(支配する)などがある。
Heim(家)は英語のhome(家庭)と同系の言葉である。

Heinrich のラテン語名Henricus からフランス語アンリ(Henri)を経て、
英語名ヘンリー(Henry)となったのである。

ヘンリー1世(在位1100-1135)はウィリアム征服王の第4王子である。
プランタジネット王家の創始者ヘンリー2世(在位1154-1189)は征服王の曾孫である。
ヘンリー2世は、アキテーヌのエレアノールとの結婚により、西のピレネーから
南フランスに及ぶヨーロッパ最大の領地を獲得した。
彼の支配地域はカペー家が支配する領地よりはるかに広く、イングランド王国は
フランク王国以来の強大な国になった。

ヘンリー8世(在位1509‐1547)は、ヘンリー7世とヨーク家のエリザベスの次子だった。
即位後亡兄の妻キャサリン・オブ・アラゴン(のちのメアリー1世の母)と結婚した。
義父フェルナンドと結んだ反フランス・親スペイン外交路線はイギリスにとって
必ずしも有益ではなかった。王妃との間には男子が育たず、アン・ブーリンとの恋愛
によってキャサリンとの離婚の認可を教皇に求めたが、教皇はキャサリンが
神聖ローマ帝国皇帝カール5世の伯母に当たることから、最終的に拒絶した。
そのため、イギリスにおけるローマ教皇権のすべてを取り除くことによって
離婚問題の決着が図ろうとして、「上訴禁止法」によって主権国家の宣言
と外国からの司法権独立の表明を行い、翌年の「国王至上法」によってイギリスの
教会をローマ教皇の支配から解放し、イギリス国教会を成立させた(宗教改革)。

エドワード
エドワードは、アングロ・サクソン的な名前である。

エドワード懺悔王(在位1042‐1066)
ウェセックス王家最後のイングランド王。デーン王朝のクヌット2世に追われて
幼時にノルマンディーに亡命して成人する。1042年デーン王朝の断絶とともに帰国、
即位した。ウェストミンスター寺院を建立するなど敬虔で「証聖者(the Confessor)」
の称号を与えられた。
政治的能力を欠き、治世中しばしば混乱が生じた。嗣子がいなかったので、
死後王位の争いがおこり、ノルマンディー公ウィリアムの侵入を招いた。

エドワード亡き後、イングランドを征服したノルマン人たちは、
自分たちがイングランド王として正統な血筋であることを強調する意味もあり、
証聖王エドワードを祭り上げた。その結果、ノルマン人のイングランド征服後も、
エドワードはイングランド統一の象徴的名前として人気を維持した。

エドワード1世(在位1272‐1307)
十字軍に参加し名をあげ、ウェールズを征服して、イングランド王のスコットランド
に対する主権を承認させ、今日の英国の基盤を築いた王である。

エドワード8世(在位1936)
アメリカ人シンプソン夫人と恋におちいり、恋ゆえに王位を捨てた。

エドワード(Edward)は古英語では Eadweard である。古英語ead は、「財産」、
「富」、「繁栄」、「幸福」などの意味があった。
weard は ward(監督、保護)の語源であり、この言葉はフランス語を経て
英語化した guard(守護者)と同じ語源の言葉である。 世界人名ものがたり さらに続き