ソバについて

【麦や米の代わりのソバ】
ソバの原産地は東アジアで、バイカル湖付近から中国東北地方に至る涼しい所という。 
中国には北魏末期6世紀ころ作物として栽培されたという記録がある。 
ヨーロッパには500年遅れて、十字軍により伝えられる。 
だからフランスではソバのことをサラセンの麦(ble Sarrasin )という。 
 フランスではそば粉のことをfarine de sarrasin(サラザンの粉)という。

トルコ経由で、ドイツ、ベルギー、フランス、イタリア、イギリスそして新大陸にもたらされた。 
旧ソ連が最大の生産地。 やせ地でも育つから、ソバは麦の不足を補うものとしても普及した。 

ふつうは全粒あるいは挽割りで粥にするのがヨーロッパ全体での食べ方。 
ロシアのカーシャはこの代表。東欧にもこの食べ方は多い。 
キルギスにもあるという。そういえば私も食べたかもしれない。
イギリスやチロル地方では、ダンプリング(だんご)のようにして食べる。 
イタリアではポレンタというそばがきがある。ポレンタの意味は貧民粥という。

また、薄焼き、厚焼きのパンケーキにして食べる。
フランスのブルターニュ地方のクレープは有名。ここは小麦の栽培ができなかった。
 ブルターニュ地方は食べ物を大切にしたから、フレンチトーストを考え出したらしい。
 フレンチ・トーストは、牛乳と卵を混ぜ、なかにパンを浸してフライパンで軽く焼いた(揚げた)もの。

19世紀末マークトウェインがヨーロッパ旅行をしたとき、故郷に帰ってまず食べたい
ものはメープル・シロップをかけたソバ粉のパンケーキだったという。
 小麦粉とそば粉を半分くらいずつ混ぜてゆるい生地を作り、低温でゆっくり 
 イースト発酵させ、鉄板に流して焼いたホットケーキのようなもので、 
 柔らかくしたバターとメープル・シロップを添えて食べるものだ。

日本のソバは、そば切りが代表的だが、そば切りが考案されるまでの食べ方は、 
脱穀したソバの実を雑穀類と混ぜて食べる粒食や、そばがきなどであった。 
そば切りは江戸時代になってからと言われる。白米を食べる習慣ができた江戸で
江戸患い(脚気)がはやり、そば切りが脚気にきくことがわかったからだろうか。

そば饅頭もすてがたい。隣のA県の西馬音内(にしもない)という所のお菓子屋を数軒訪ねて 
有名なそば饅頭を買い求めたものであった。が私の町の駅に売っていることを発見。 
A県米代川流域の「うちわもち(五平餅のようなもの)」、ソバのすいとん。
そば茶も健康食品

日本では縄文時代からすでにソバはあったという。
ソバは虫によって受粉する。ソバは花がいっせいに咲くのではなく、ダラダラといつまでも咲く。
ソバは成長が早く雑草の成長を抑える。つまり不適当な環境でも少数の子孫が生き残られる
ように野性的性質をもっている。稲や麦は人間に長い間栽培され、そういう性質を失った。

なお韓国では
ソバ(麺)のことを[メミルククス]という。
「メミル」が「蕎麦」(植物の)のことである。
 


     麺としての蕎麦に近い食べ物春雨とビーフン

    中国の麺文化(小麦粉の文化)