菌類研究の最近の話題と分類学の基礎教育

iii.菌類の多様性とヒトヘの功罪

菌類を有用か有害かによって2分することが しばしば行われます。例えば、多くの菌類は植 物に寄生しますが、そのような菌類は宿主の植 物にとって、あるいはその植物を利用する人類 にとっては有害な病原菌とされます。反面、植 物寄生菌類はセルロースや難分解性のりグニン を分解し、地球規模での炭素循環に貢献する点 では有用な菌類であるともいえます。最近は、 維管束植物と菌類との菌根共生が植物の生育を 促進するという有用性が注目され、研究が進め られています。このような菌類の特性や多様性 に注目しながら、その功罪のいくつかを紹介し ましょう。

有用な菌類

マツタケは、日本人にとっては時代を越えて 天然食用キノコの王様でしょう。人工栽培が試 みられていますがまだ実用化していません。一 方シイタケを中心としたキノコ栽培は、日本や 中国で一大産業に発展し、各種栽培キノコが季 節を問わず店頭に並ぶようになりました。因み に、日本のキノコ産業の規模は平成10年の生産 量約33万トン、金額にして約2,600憶円に達して います。このような状況下で新しい食用キノコ の導入、栽培技術の開発、品種の改良の研究が 盛んに行われています。最近の栽培キノコの新 顔はエリンギイ Pleurotus eryngii でしょうか。 米国のアミガサタケや台湾のキヌガサタケも具 体的な技術は公開されていませんが栽培されて いるといってよいキノコのようです。 ところで、人類は古くからカビの有用な働き を利用して様々な発酵・醸造食品を作ってきま した。西洋のワイン(コウボの Saccharomyces を 利用)、チーズ(ケカビ Mucor の凝乳酵素の利用 やアオカビ Penicillium を利用したブルー・チー ズなど)に代表される食文化に対して、東アジ アのわが国では家庭で作る甘酒をはじめ、清酒 ・焼酎・泡盛・味噌・醤油を作るのにスタータ 一として麹菌 (Aspergillus spp.)を利用してき ました。 ここで、戦前の泡盛・黒麹菌の現存について 2年前、沖縄の新間等に大きく報じられた話題 を紹介しましょう。故坂口謹一郎東大名誉教授 とその研究グループが、約60年前に沖縄の喜屋 武酒造所(瑞泉酒造の前身)で採取した黒麹菌 Aspergillus awamori var. piceus を用いて、首 里市の瑞泉酒造の技術陣が戦前の泡盛の復元に 成功しました。この泡盛は、昨年11月に試歓会 が開かれました。その泡盛は果実香漂う、品格 のある酒として評判になりました。戦前の泡盛 に用いられていたこの黒麹菌の菌株は、東大分 子細胞生物学研究所の微生物株保存施設に IAM 2351 として保存されています。この話は、 微生物株保存施設の存在意義を端的に示す実例 として後世に残るでしょう。 また、チーズの製造には、昔から仔牛の第4 胃から得られる凝乳酵素のレンニンまたはキモ シンが用いられてきました。そのため、チーズ の製造のたびに多くの仔キが犠牲になりました。 故有馬啓東大名誉教授とそのグループは、カビ 類から凝乳酵素をスクリーニングする技術を駆 使してケカビの一種 Mucor pusillus からムコー ルレンニンを発見し、今日ではそれがチーズ製 造の半分以上に利用されているといわれていま す。さらに最近は、DNA組替え技術(遺伝子工 学)によって、微生物に生産させた仔牛キモシ ンも使われるようになっています。 その他、食品に関する新しい開発利用例には、 食品に添加して昧をよくする菌類たんぱく質(マ イコプロテン)があります。イギリスでは非病 原性の Fusarium graminearum A35菌株の培 養した菌体から抽出された菌類たんぱく質 Quorn が発売されています。シチューやカレーに加え て利用されますが、私にはまだ試食の機会があ りません。 カビが生産する抗生物質には、ペニシリン、 セファロスポリンなどに代表されるβ−ラクタム 抗生物質をはじめ、多数あります。 最近は、医薬として利用可能な生理活性物質 を菌類から捜し出す動きが世界的に強まってい ます。その中で注目を浴びているのは、三共(株) が開発したメバロチンでしょう。この医薬は高 脂血症治療剤で、いわゆる悪玉コレステロール を血液から排除するための薬です。この薬品の 製造にはアオカビの一種 Penicillium citrinum が重要な役割を果しています。

有害な菌類

有害な菌類としてよく知られる例は毒キノコ による中毒でしょう。ヨーロッパではタマゴテ ングタケ Amanita phalloides による中毒死がキ ノコ中毒死の90%を占めるといわれます。日本 にはタマゴテングタケはほとんど無く、同様に 猛毒のシロタマゴテングタケやドクツルタケが 知られています。分類研究の立ち遅れはこのよ うな猛毒キノコにも関わり、従来それぞれのキ ノコに付された学名 A. verna、A. virosaは、ヨ ーロッパ産のよく似た別種キノコに与えられた 学名らしいと考えられ始めています。さらに詳 しい分類研究が必要でしょう。 昨年秋には、新潟県下でカエンタケ(火炎茸) Podostroma cornu-damae による中毒死事故が 起きました。このキノコは従来発熱、歩行障害、 頭髪の脱毛などの症状が報告されていましたが、 命に関わる猛毒をもつことは知られていません でした。 ところで、カビにも有毒成分をもつ例があり、 その毒成分は総称してカビ毒(マイコトキシン) と呼ばれます。カビ毒が注目されるようになっ てから40年以上経過しましたが、今日でもカビ 中毒には目が離せません。中でも Aspergillus flavus、A. parasiticus などが産出するアフラト キシンB1 は強い発ガン性があり、これらのカビ が生えた食品は要注意です。 農業生産の面では、植物病のために作物が被 害をうけ、収穫が減ることによる経済的損失は 莫大です。ヨーロッパでは植物病原菌の約80% が菌類であるといわれています。植物病原菌の 防除のために用いる農薬の人体への影響や、環 境汚染などの間接的な有害性の問題も起きます。 最近は寄生菌類と宿主植物の間の感染や防御の しくみも分子レベルからの解明が進められてい ます。 菌類の中には、ヒトや動物の病原菌も含まれ ます。菌類によるヒトや動物の病気を真菌症と 呼びます。ヒトに対して病原性が知られている 菌類は、まれな例も含めて約80属、200種におよ び、世界の人口の約5分の1の人々が皮膚真菌 症をはじめとする各種真菌症に苦しんでいると いわれます。中でも Blastomyces dermatitidis、 Histoplasma capsulata、Coccidioides immitis、 Penicillium marneffei などは、地域流行型で皮 膚にとどまらず内臓も侵す深在性真菌症として 恐れられています。 コウボの仲間にも真菌症の原因菌となる種や 菌株があります。子嚢菌系統のCandida albicans は、いわゆる日和見感染を起こす病原性コウボ (酵母)の代表選手です。一方、担子菌系統の Cryptococcus neoformans は好んで脳を犯しま す。 その他、室内環境を汚染するカビが、アレル ギー性疾患に関係があることが近年注目され、 対策研究が進められています。 おわりに、菌類の多様性と菌類の人類に対す る功罪も、21世紀には、分子(遺伝子)レベル で塀明され、有用菌がさらに効果的に利用され、 一方有害菌が的確に排除されることを期待した いと思います。 (東京大学総合研究博物館 杉山純多) (国立科学博物館ニュース 第375号 2000.6.20)

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