スカートの風 呉 善花
ご存じ日本通の韓国女性の日韓文化比較
このシリーズの1巻目
スカートの風 チマパラム
親から押しつけられる結婚
韓国では女も30歳になると結婚できなくなる。何よりも両親が心配する。
親も強く世間体を気にして、頼むから親孝行をするつもりで見合いしてくれと迫るから、
娘も断り切れずに見合いをして結婚してしまう。
しかし、もともと気に染まない結婚なのだから、家出してから、日本に逃げようと著者に電話をかけてきた。
30すぎの女が結婚しないでいると、何か欠点があると世間から思われ、親も娘も辛くなる。
こういうわけで、30歳を過ぎた未婚の娘はほとんど親から離れて一人で暮らすことになる。
しかし、30歳以上で仕事に就くことは難しいから、水商売に入るか、誰かの愛人になって生活していこうとする。
愛人になれば、今度は自分の将来をみてもらうために、その男の子どもを産もうとする。
たとえ幸せな結婚をしても、次には男の子を産まなくてはならないという難関が待っている。
ある女性は女の子を二人続けて産んだために、家の中でまるでお手伝いさんのような扱いを受けていた。
ところが、ようやく三人目に男の子を産むと、彼女はこれまでの家庭での態度を180度変化させた。
それまでびくびくしなから対していた舅と姑に、大きな声を出して言うべきことを言い、夫にも大胆に対応する女に変わっていった。
また、男の子が産まれないという理由で離婚するケースがいまだに後を絶たない。
女の子が生まれても、子どもは大変かわいがられる。
どこの韓国の家庭でも子どもはひどくかわいがられる。
子どもへの独占的な愛をあますことなく表す韓国の母親たちは、最近では夫に対しても
それを同じように向けようとしはじめている。
夫の浮気相手の女に包丁を持って切りかかり、怪我を負わせたという事件が最近韓国で起こっている。
それに類似した、夫の浮気の相手の女と妻との激しい衝突が、このところかなり起きるようになっている。
これまで夫の浮気には目をつむってきた女たちに、ようやく反抗のきざしが見えてきたのである。
この背景には、女の権利を保護する法律の制定がないとは言えないが、それが主に原因とは思えない。
たとえば、夫の姦通に対しては、夫と相手の女を妻が告訴することができ、その罰はかなり重い。
しかし、告訴をすれば自動的に離婚しなくてはならないようになっている。
さらに処女性を重んじる韓国では結婚外の性交についてはすべて男が責任を負わされる。
また、日本と同じように結婚詐欺罪もある。しかし現実には、これらの告訴を行う場合は、
女はまともな結婚をあきらめる覚悟が必要である。
それでも、妻たちが男の身勝手な性関係への反抗をあらわにしはじめたところには、
ある程度、離婚もやむを得ないという意識がどこかにあるはずだ。
確かに、女の独占欲を子どもだけに向けさせるような社会にひずみが走りはじめたのである。
女と男の役割をはっきりと区別することができていてはじめて、女が夫の浮気を「やむを得ない」
こととして容認するのであり、もともと韓国の女が男の浮気を認めているわけではない。
こうなった決定的な要因を、著者は日本の社会の存在があると見ている。
その契機は韓国内部にあり、社会的に言えば中間階層の増大であり、社会の情報化の進展にあるだろう。
韓国は男の浮気天国であるとともに、浮気はすぐにばれるようにできている。
韓国の男たちは感情をごまかすことが大の苦手で、すぐに表情に出てしまう。
そして、韓国では妻よりは愛人により愛情をそそぎ、またお金を使うことが一般的でもある。
そうした夫の気持ちも、妻たちにはガラス張りの部屋のように、手にとるように見えてしまう。
そして、目に見えた形で心の真実を問題にするのが韓国人だ。
それにもかかわらず、妻たちがそれほど文句を言うことがなかったのは、おそらくは、
子供を産み育てることが、杜会のなかでもトップクラスの尊重すべき価値としてあったからだった。
子供は将来親を養ってくれるから宝なのだという家族の意識は、社会的には次の時代を
彼らが作っていくことを信じる意識である。したがって、社会がこのことを信じられて
いる限り、女たちは我慢し続けたに違いない。
韓国でいまほんとうに崩れはじめているのは、この信じ方であるような気がしてならない。
経済が急成長し、それが突然頭打ちになるという事態は、韓国の社会に大きな価値観の揺らぎをつくり出した。
人を産むことよりも物を産むことの重視が進む一方で、手塩にかけて産み育てた者をあぶれさせてしまう生産社会。
たとえば、大学を出ても就職先がなく、展望のないまま就職浪人で年を過ごす人たちが年々増えてきている。
これまで信じられてきた価値が社会に不安な揺らぎを作り出す。
そこで、韓国の妻たちがまず夫の浮気ヘの反発という形で動きはしめたことは充分納得いくことであるように思う。
なぜならば、妻たちがいま男を責めている姿は、処女性を重んじ、一人の人だけを愛し続けなくてはならないという、
男の押しつけた倫理を、その正反対を生きてきた男たちにそっくりそのまま返していこうとする、歴史的な復讐と見ることができるからである。
韓国でも最近は核家族化が進んでおり、予供が学校に行くようになると家で特別にする仕事がないため、
暇な時間を持つことのできる女たちが増えて来ている。
日本では女がそうした年齢に達した以後の人生を女性の第三期といい、
女たちは再び仕事に出たり、文化活動に専心したりしながら、子育て以後の活発な人生を展開している。
韓国では、そうした女たちが向きあえる人生の場がまったくない。
そこにまた、さまざまな問題が生じることになる。
いわゆる韓国の有閑マダムたちで、ある程度経済的な余裕のある者たちは、サウナやスポーツクラブに行ったりするのだが、
一般的には友だちどうしがどこかの家に集まって花札をすることが多い。
そして、しだいに遊び友だちの間に日本のネズミ講さながらのケーが流行っていく。
このケーで得たお金で女たちが誘いあい、キャバレーヘと繰り出すのである。
こうした遊びが地についてくると、次には韓国でチェビゾクというホストクラブでの遊びへと発展する。
こうして遊びに深入りし、若い男たちにお金を貢ぐことの楽しみを覚え、男以上に気前よくお金を使うようになる有閑マダムたちが多いという。
いま述べたような女たちの一連の動きをチマパラム(スカートの風)と言っている。
(この本のタイトルはそこからとっていた)
チマパラムという言葉は、女が浮気をしたり、あるいは社会へ出てワアワアと騒がしくすることを意味している。
かつて韓国の男たちが、盛んに中近東に出稼ぎに行ったことがあった。
そのころ、亭主から送られてくるお金をチェビゾクに投資したり、愛人をつくってしまう女たちがかなり登場して、ひとつの社会問題ともなった。
このときにも、チマパラムが起こったと言われたものである。
圧迫を受け続け、一時的に圧迫がなくなったことから生じた反動には違いない。
それでも、条件さえあれば、韓国の女たちも家の外に自由を求めて行動することがあり得ることを、これらのことは物語っている。
男たちが、世の中のことを知った女はチマパラムを起こす可能性が高いと言って、
社会のことを何も知らない箱入り娘を結婚相手に望むことが多い。
そして、結婚してからも、妻を社会的な場にできるだけ触れさせないようにする。
確かにそうした男たちの見方は正確である。
いま、社会のことを少しずつわかりはじめてきた韓国の女たちのなかに、ホストクラブ
の遊びに行き着くようなものとは別の、新しいチマパラムが起こりつつある。
日本の韓国人ホステスは新宿歌舞伎町だけで約3000人、赤坂にそれ以上、さらに上野が大きな拠点としてあり、その他の繁華街にも入り込んでいる。
東京だけでも一万人を越えるとみられるが、その他に、留学生をはじめ、工員、雑役、料理店員などの什事をしている女たちもまた、かなりな数にのぼる。
仕事をして自分の力で生活すること。そうした女たちの動きがようやく、日本の社会を背景に、韓国の女の歴史の地平線上に浮かび上がってきている。
じゃぱゆきさんと言われ眉をひそめる人もいる反面、日本の風俗産業に出稼ぎに行く韓国女性を
このように韓国社会の女の地位の改善に結びつける見方もあったのかと、内心衝撃を受けた本。