非常にユニークな本、著者が盛岡出身というのも意外。
朝鮮半島の食べ物と日本や中国の食べ物の比較が具体的である。
干し柿の作り方 ・皮をむいて乾燥する ・樹からとらないでそのままにする。とってから暖かいところに置く。 ・アルコールにつけ密封する。 ・凍らす。 ・炭酸ガスの中に保管する。 ・40〜50度の湯に10数時間漬ける。 ・水の中に数日間保管する。 柿の話 トラと串柿 暗い夜、みんな寝静まっているとき幼子が起きて泣いていた。 困った母親は子守歌を歌って聞かせたり、お化けや人食いトラが きたといって脅かすが、子どもは泣きやまない。 ところが、母親が「串柿(コッカム)だよ」と言ったとたんに 子どもが泣きやんだ。 その様子を隠れて聞いていた人食いトラが「俺よりこわいコッカム が来たぞ」と思って、あわてて牛小屋に逃げ込んだ。 ところが、そこにいあわせた牛泥棒がトラを牛と間違えて飛び乗った から、トラは驚いて、てっきりおそろしいコッカムがおそってきたと 思い一目散に逃げ出した。 (泣く子と串柿のおかげで、トラも牛泥棒も追い払うことができた) 別の本では、トラは牛を食べようと、みんなが寝静まるのを待っていた。 しかし、トラよりもこわいコッカムの話を聞いたので トラはすっかりおびえてしまっているところに、牛泥棒が暗闇にまぎれて トラに近づいてきて、牛と間違えてトラを外に連れ出す。 トラは逃げだそうとしたとき、牛泥棒もトラに気がついて、食べられない ようにとっさにトラの背中に乗ってしまい、あとは牛泥棒を乗せて トラが野原をぬけ山道を走っていき、ほどのよいところで牛泥棒は 木の枝につかまりトラから逃げ出すという話になっている。 (日本民話)ふるやのもり 雨の降る夜、お爺さんとお婆さんの家に、狼と馬泥棒が忍び込んでいた。 お爺さんとお婆さんは、狼よりも「ふるやのもり」が怖いと話している。 ぽたりぽたりとしずくが落ちてきて、お婆さんが「ああ、ふるやのもりだ」と叫ぶ。 怖くなった狼は逃げ出して馬小屋の前をすぎたとき、子馬をぬすもうとして そこにいた泥棒が狼を子馬とまちがえて、狼の背中に乗ってしまう。 狼のほうも、背中に乗ったのは「ふるやのもり」だと思って、怖くなって走り出す。 やがて、狼は馬泥棒をふるい落とすと、泥棒は古井戸に落ちる。 狼から怖いふるやのもりの話を猿が尾を古井戸に差し入れると、馬泥棒はそれに つかまる。驚いた猿は引っ張って、尾を切ってしまう。それで猿の尾は短くなった。 昔の民家は、かやぶき屋根だった。かやぶき屋根は傷むから、何年に一度は、 葺き替えをしなければならなかった。 葺き替えをしないと、腐った萱からの雨漏りは、ポタポタどころか、 真っ黒な泥水が、滝のように降ってくる。 畳も布団もどろどろにしてしまうほどなのである。 一晩中降り続けば、眠ることなど当然できない。 棗(ナツメ) 中国や朝鮮ではよく使われるナツメだが、日本ではあまり知られていない。 紅棗:成熟したナツメをほしたもの 烏棗:煮た後に薫製にしたもの 南棗:煮た後に乾燥したもの 密棗:砂糖で煮て乾燥したもの 棗は漢方薬にも使われる健康食品である。 棗は乾燥地に適していて、日本のような高温多湿地帯には厳しい環境である。 柏は日本では柏餅でおなじみ、ブナ科のカシワを意味するが(ドングリ) 中国ではヒノキ科のコノテガシワを意味し、朝鮮では マツ科の朝鮮五葉松のことである。 イカ 中国での使い分け 烏賊(コウイカ)、柔魚(ヤリイカやスルメイカ) 「南越志」には、イカが水面に浮いていると、死んだものと思って烏が ついばもうとしたら、烏を水中に引きこんで食べてしまうから烏賊 と名づけられたと書いてあるそうだ。あるいは、腹の中の墨を出して 小魚を捕まえて食べることから黒い賊(烏賊)と名づけられたともいう。 逃げるときに墨を吐くから、その連想で烏という字がつけられたのでしょう。 宇治拾遺物語 大友皇子は、吉野山に陰棲した大海人皇子を殺し、皇位を奪おうと 謀った。これを知った大友皇子の妃十市皇女は、父親である大海人皇子 になんとかして知らせようと思い悩んだ。そして、焼いたフナの 腹に文を忍ばせて、吉野の父に送った。 陳渉世家 秦に対して反乱を起こそうとする陳勝・呉広が、絹に「陳勝、王たらん」と朱書して 魚の腹中に入れておいた。何も知らぬ兵卒がその魚を煮て食べ、腹中の書を見つけて 不思議がった。(史記) 臥薪嘗胆 勾践(こうせん)は会稽山で、呉王夫差(ふさ)に破れ牢に幽閉された。 忠臣范蠡(はんれい)は鯉の腹に白絹に書いた密書を入れ獄中の勾践と 連絡をとり、美女西施を夫差に送った。やがて勾践は夫差を攻略し、 会稽山の恥を雪辱した。(陳渉世家) 高句麗の俗楽 書生が遊学して瞑州に至ると、良家の美しい娘を見つけた。 書生は詩を書き送って求愛した。娘は書生が試験に合格して 父母の許しがあれば請けましょうと言った。書生は都に帰り 学業に励んだ。ところが、娘の家では婿を迎え入れるてはずが すすんだ。娘はつねひごろ池に魚を飼っていた。娘は魚に 「私を助けておくれ」と言って手紙を池に投げた。すると 魚がその手紙を飲み込んで死んでしまった。 そして、都の書生が父母の食事のため市場で魚を買って帰った ところ、魚の腹から手紙が出てきたのである。その手紙をもって 娘の家に行くと、まさに婿が娘の家の門にはいるところだった。 書生は魚の腹から出た手紙を娘の両親に見せると、両親は 婿になるはずの男を帰して、書生を迎え入れることにした。 韓国全羅南道や日本の広島岡山では、アンモニア臭のするエイやサメ を愛好する人々がいる。