塩釜とゆべし

福岡のホテルで、みちのくの伝統和菓子の塩釜と柚餅子(ゆべし)についての 文献を読みましたので、紹介します。

・江戸時代食紀行(3)      塩釜と柚餅子(ゆべし)                    松下幸子 塩竈の塩釜  現在の塩釜は、微塵粉(みじんこ)(餅を煎餅状に薄くして白焼きにし、 細かく砕いたもの)に、砂糖・水飴・食塩・ゆかり(紫蘇の葉の粉)などを よく混ぜ、木型に詰めて押し固めて作ったもの。  和菓子の辞典によると、塩竈神社の祭神がこの地で塩づくりの方法を教えた際に、 糧食としての塩釜の製法を伝えたのが起源で、菓子になったのは江戸時代とされている。  享保3(1718)年刊行の「古今名物御前菓子秘伝抄」の中に算木(さんぎ)餅 の作り方がある。  これは粳(うるち)米粉に氷砂糖を粉にしたものを混ぜて少量の水でもみ合わせ、 箱に詰めて算木形に切り目を入れて蒸したもので、算木とは易占で使う小さな木の角棒 のことをいう。  この作り方は生の米粉を用い、箱に詰めてから蒸しており、現在の塩釜は微塵粉を 用いて蒸さない点が違っているが、出来上がりは同じようなものになる。当時の 方言集によると、今の塩釜のことを仙台では算木餅、または算木菓子と呼んでいた らしい。 柚餅子(ゆべし)  柚べしは江戸時代以前からあるが、菓子というよりも保存食、酒の肴であったらしく、 時代と共に変化している。現在でも各地に名物の柚べしがある。  和菓子の本を見ると、柚べしを名物とするところとして、仙台市、山形県米沢市、 新潟県巻町、石川県輪島市、岡山県高梁市(たかはしし)、愛媛県西条市などが あげられている。柚べしは原料に米の粉を使うので、米どころに柚べしがあるようである。  柚べしの作り方を書いた最も古い料理書「料理物語」(1643)では、米の粉を 使っていない。「柚子の実の上部を切って、中の実をとり出し、柚釜と蓋にする。 味噌に生姜や胡椒などすり混ぜ、かや・ごま・あんにん(あんずの種の中の肉) などはそのまま混ぜて、その味噌を柚釜に入れて蓋をして紐でからげる。これを よく蒸してから干し、あま(いろりの上の棚や天井)に釣って保存する」 ということである。  この方法で、現代人の口にあうよう、少し甘みをつけた味噌に、くるみを混ぜて 柚釜につめ、柚べしを作ってみると、案外簡単にできあがる。干すのには 家の北側の軒下に紙に包んでつるせば、1ケ月くらいで乾燥する。柚子の季節は 冬なのでかびる心配もなく、あとは冷蔵庫に入れて保存する。  「料理塩梅集」寛文8(1668)年になると、柚釜に詰めるものの主体が 糯米(もちごめ)や粳(うるち)米の粉や糒(ほしいい)になり、味噌や醤油で味をつけ、 砂糖も加えるようになってくる。  その後の「黒白精味集」(1746)には、5種類の柚べしがあり、柚釜に入れずに 棹形にして蒸し、竹の皮に包んで風乾するものもある。現在の柚べしには、柚釜に 入れる丸柚べしと、棹(棒)柚べしがあるが、棹形はこの頃からのものだろうか。  貝原益軒の「日本歳時記」(1687)には、11月には柚べしを作って貯える ようにと作り方も書いてあるから、当時は菓子というより保存食だったらしい。  著者(千葉大学の教官だったらしい)の好きな柚べしである、新潟県巻町本間屋の 柚べしの作り方。 「糯米(もちごめ)を煎って粉にしたものを、砂糖(中双 ちゅうざら)で作った密で こね、その時に柚子の皮の黄色い部分だけをすりおろして混ぜ、型に入れて蒸し、 さめてから切ってオブラートで包む」  商品は竹の皮で包装され柚餅子の名で売られている。 固くなったら焼いたり、天ぷらにしてもおいしい。 (文芸広場 第46巻第6号、第一法規出版)