永訣の朝

宮沢賢治「永訣の朝」におけるローマ字表記について

国語学・言語学合同セミナーに行ってきました。
ふだん なにげなく使っている日本語も
真面目に考えると大変難しいものです。

宮沢賢治が妹とし子が死ぬときに
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
と頼まれたので
みぞれ雪をおわんにとってくる詩です。

この詩の中にローマ字の表記があります。

......
もうけふおまへはわかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
....

なぜ、このとし子の言葉だけローマ字にしたのか
その理由をさぐる研究発表でした。

まず他の学者の説の紹介

恩田逸夫
 トシの話を方言のまま写し、しかもローマ字表記として強調している。
「egu 行く」という語が中心となって、前と後ろの行の
「わかれてしまふ」と呼応する。

小沢俊郎
 Ora Orade Shitori egumo は、
そのことばが賢治の耳に音としてだけ響いたことを示しているのであろう。
知らない外国語を聞いた折のように、
その音声が意味を持たないもののごとく聞こえた。
ということは、それほど、聞き手賢治の気持ちにとって
異質のものだった、ということになる。
他のひらかな表記のとし子のことばは、賢治の心へ、沁み入って来たのに、
この一行だけは、賢治の心からあまりに離れていたのである。

芹沢俊介
 あたしはあたしでひとりいきます。
想像するに、賢治、この一言をどのような日本文字にすることも
できなかったのである。
それほどおそろしい現実が、この一言にはあったのである。
ひとり行くといっても、どこへ行くのだ。
賢治はただ、この一言の衝撃を、
「わかれてしまふ」という位相でしかとらえることができない。
(ひとり行かなくてはならないのは、賢治の方でもあるのだから。)

これに対して
豊田高専の松浦由起先生は、上の真ん中で紹介した
小沢説は、いくら方言だって意味は十分わかっていたはず
外国語のように聞こえた というのはあたっていない
と述べて
賢治と妹とし子は、アヴェ・マリアの賛美歌が好きで
よく聞いたり歌ったりしていたから
アルカデルトのアヴェ・マリアの一節
ora ora prono bis
を連想したのではないか
という結論でした。

私でさえ、わざわざ聞きに行ったくらいだから
この講演を聞きに来た各専門の先生方から
質問や意見がとびかいました。

まず教育学部の野坂先生は
小沢説を
苦しんで死んでいくとし子が賢治に
「一緒に来てくれ」と頼むことを賢治は予期していたのに
とし子はけなげにも「一人で行く」と言ったから
自分の気持ちにそぐわないものを感じて
それでわざわざローマ字表記にしたとも考えられる
だから 小沢説が間違いというわけでもないのではないか
と言いました。

(私は、野坂先生のご意見ももっともだけど
愛する兄に、一緒に来てくれ、と妹が言うには
彼女は女子大にも行ったインテリ女性であり
愛する兄なら、一緒に来てくれとは言うはずかない、と考えます。
やっぱり 一人でどこかへ行ってしまう
という死の現実、これに直面したから
ローマ字表記にせざるをえなかったのではないでしょうか。
誰でも死ぬときは一人です。
どこへ行ってしまうのでしょうか。
この絶望的問題があるから、古今東西宗教がなくならないと思います。)

英語の成田先生は、趣味が音楽というだけあって
セレモニーなどのときに
楽器を弾きます。
(日独協会で世界アルペンの大会に参加したドイツチーム歓迎会のときに
成田先生タキシードで演奏していました)

成田先生は、松浦先生の
アヴェ・マリアの曲がいっぱいあっても日本では
東京音楽学校の関係者でアルカデルトの作曲したものを
演奏することが多く
この曲に目をつけたアイデアは正解かもしれない
とコメントを述べていました。

賢治ととし子が、このora ora prono bis
を繰り返すアルカデルト作曲の曲を聞いていた
という証拠を集めるため
当時のレコードあるいは製品カタログがあれば
いいのでしょう。

(他の作曲者のアヴェ・マリアは
ora ora を何度も繰り返しはしないそうです。
Sancta Maria, mater Dei,
ora pro nobis peccatoribus
nunc et in hora mortis nostrae.
Amen.
けだかいマリア,神の母,
罪深いわたしたちのために,
今も死を迎える時にも
神に祈ってください。
アーメン。)

ドイツ語の小林先生は
ora というのは祈るということだから
ora ora というのは、祈ります祈ります
ということで、
それまでとし子は一人で行くといっているのに
祈ります ではなんとなく調和しないのではないか
と感想を言っていました。

賢治は熱心な日蓮宗ですから(賢治記念館に行けば沢山資料がある)
キリスト教とはあいいれないものをもっている。
むしろ、死にのぞんでは
賛美歌もマリアも出てこないで、南無妙法蓮華経とかお経の言葉が
出るのが当然、とは誰もが考えること。

ロシア語の笹尾先生は
花巻の言葉でオラとは、アクセントはどうなっているのか
と質問しました。

成田先生は盛岡出身
花巻鍛冶町高木ラジオ店(賢治がレコードなどよく買った店)の
若い店主さんも来ていて
みんなでいうには、オラのラにアクセントがある
というのです。
それに対して ラテン語のオラ(祈る)ならオにアクセントがあるはず。

ということで、たくさんの質問が飛び出し
当日は全部で6つの講演があったのですが、
松浦先生の講演が一番人気があったわけです。

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  永訣の朝 賢治のサービス精神 懇親会で  

さて 松浦先生の講演をはじめ
国語学・言語学の専門の先生方の講演は
私の頭を疲れさせ、白色状態になりました。

夜に懇親会に誘われ
工学部教務委員会委員長として今後もお願いすることもあるから
人的ネットワーク作りのために
場違いなメンバーとして参加しました。
(単なる酒好きという説もある)

半分以上の先生方は名古屋から来られたので、
地元で迎える側の人間が1人でも多い方がいいわけです。
ドイツ人が講演に来たときも、私はドイツ語の先生方に声をかけてもらい
たいてい夜の懇親会には参加しています。

そこで、失礼ながら
豊田高専の松浦由起先生に
すばらしかった講演の感動と私のコメントを申し上げました。

昨日の朝の新聞にも出ていましたが、
漱石の手書きの原稿と印刷出版された文学全集の間には
著者自らの訂正もあり、編集者の注文もあり
オリジナル原稿ですら、何度も直され
それがまた変えられて活字になる場合がよくあるようです。

賢治のこの詩も、他の箇所が原稿用紙に書く段階で
ローマ字で表記され、日本語に改められて活字になった部分もあるそうです。
そして、この問題の
Ora Orade Shitori egumo
だけはローマ字で残ったようです。

あの遠藤周作が述べているように
著者が自分で書いた文章を、大学の入学試験問題にとりあげられ
いろんな解釈が並べられ
この著者は一体どう考えて書いたのでしょう
と設問されているが
書いた本人でも間違うような問題で
遠藤周作自身、いろいろ考えて文章を書いている

実はみんな正解
どれもこれも著者として考えているから
ということが事実だと思います。

すなわち、講演の中で松浦先生が紹介した
3人の学説はみな自然に考えられことだから
妥当である。
松浦先生のアヴェ・マリア賛美歌の一節の連想
というのも無理のない考えです。
したがって、みな正解
と私は考えます。

宮沢賢治は熱心な日蓮教徒
でも心の狭い信者ではなく、ほかのものを良いものは何でも
受け入れる奥の深い人であった。
だから キリスト教徒ではないが賛美歌のすばらしさに感動し
銀河鉄道の夜では、タイタニック号の悲劇を取り入れている。

したがって、完全無欠の説をうちたてることは無理ではないか
と思います。
賢治自身がスケールが広い
つまりサービス精神の旺盛な人であったから
読者に啓蒙させる目的で
自分でいいと思ったことは、何でもとりいれてしまう
心の活動のためのデパートを目指していたのではないか
と私は考えます。

ついでに、私は調子にのって
賢治ゆっくりした自殺説(前から発表していますけど)
を松浦先生に紹介しました。
当時の最高学府を優秀な成績で卒業して
地元でも尊敬のまと、
その能力を発揮すれば、地元の発展の原動力となり
社会的高い地位にもつけたはず
しかし、彼は若者にありがちな潔癖な心をもち
自分の家の職業に負い目を感じ(質屋さんだったとか)
かといって、トルストイや有島武郎のような過激な行動もとれず
親の期待を裏切るようにして
身体にわざと無理をさせ
みずから強く積極的に生きるのとは反対の方向へ
もちろん精神活動はより深くより高く進んだのですが
栄養のあるものをわざと食べないで
死への旅路をゆっくりと進んで行ったのではないでしょうか。
と専門違いの立場ですが、私の考えを述べました。
松浦先生は反対しませんでした。

宮沢賢治は
人の10倍もたくさん知っていたから
サービス精神にまかせて
読者がいくらでも解釈できるような
豊富な資料を残して行った。

花巻の観光資源のことだけ考慮したのではなく
日本の学会の研究者の活動のために
山ほど資料を残してくれた
と思ってしまうのです。

Ora Orade Shitori egumo
とは人間誰でも さけられないテーマなのです。
それに対する解答を求めて
我々ひとりひとり考えていくのでしょう。
倉田百三が出家とその弟子の中で、
親鸞でさえ確信があって信じているのではなく
そうありたいと思っている
と書いていたのは
キリスト教徒として完全な悟りにまだ到達できない
倉田自身の弱さを書いている
それゆえ青年の読者は感動が強い
と解説に書かれていたように記憶しています。
(もしかすると間違っているかもしれない
私の一人よがりの解釈かもしれない)

誰かのまねをして、いやー宮沢賢治って本当にすばらしいですね

この記事は、ハイテクネットとうほくに書いたものです。
ハイテクネットとうほくは岩手県が科学技術庁の支援で実験的に行った
研究交流のパソコン通信でした。

   パソコン通信(ハイテクネットとうほく)の記念碑