香港旅行記(2)

6回目から10回目まで

香港旅行記 その6

さて日時と曜日を書いていないことに気がついた。

12月9日(月)仙台から香港に移動した。
12月10日(火)香港の市内見学をした。

この10日の夜には国際会議の開催されるホテルで
歓迎レセプションがある。
それまで自由に香港市内を見て歩いた。

まず九龍公園の中の香港歴史博物館を見たわけで
これについては前回の記事で報告した。

この後は九龍公園の南端にある回教の教会(モスク)が
一般開放されているということで中に入ってみた。
入口で靴を脱ぐことだけを入口にいた信者から指示された。

中の様子については宗教に関することなので、ここでは書かないが
京都や奈良の寺院やヨーロッパのキリスト教会の中と同じ
静けさと落ち着きがあった。

見学の後に入口わきの置いてある賽銭箱に喜捨してきた。

見学したモスク

このモスクはイギリス軍の中にいたインド兵のために
建設されたという。

私の知識では現在のインドの宗教はヒンズー教が支配的で
イスラム教徒はインドを逃れて、パキスタンやバングラディッシュを
建国したと思う。

当時は全インドにヒンズー教徒もイスラム教徒もいたのだろう。
イギリスはインドから兵士を連れてきたから、イスラム教徒のインド兵も
まぎれこんでいたのだろう。

中国にも新彊ウィグル地区など回教徒はたくさんいるから
モスクもあちこちにある。

中国人留学生が前に工学部に研究に来ていたが、彼はイスラム教徒
であった。見かけ上は他の中国人留学生と変わらないが、
工学部生協の食事でも食べ物に苦労していた。

魚は食べてよいが豚肉は食べられない。
ラーメンなどもトン骨スープなら厳禁だ。
羊の肉はよろしいと言っていた。

現在、私の研究室にもマレーシア留学生がいるが
彼の食べ物にも気を使う。

ミソ汁やソバは問題ない。
エビや貝も大丈夫。

牛肉も食べてよいが、宗教上の儀式が必要とのこと。
聖者によって清められた牛肉を盛岡でも食べられるとのことを聞いて
私も安心した。

(ということでモスク見学は留学生理解と国際交流のためでした)

この後は地下鉄で香港島へ行った。

モスクの前に地下鉄の駅がある。

もちろん向かいの銀行を見つけたので、そこで日本円から香港ドルに
両替をした。

   スリに注意

地下鉄はやはりロンドン流、日本人には乗りやすい。
日本の建設会社が香港の地下鉄工事をしたということを聞いたことがある。

銅鑼灣(Causeway Bay)で下りる。
ここには日本のデパートが集まっている。
大丸、三越、高島屋、SOGO

私は胡文虎花園を見学するのが目的だった。
萬金油という何にでもきく薬の販売で巨万の富を築いた
胡文虎が作った庭園。斜面に極彩色の彫刻や東屋が建てられ
そのケバケバしさにはあきれてしまう。

私が見たときは原色もだいぶ色がさめていたが。

   胡文虎花園    虎塔    虎塔    記念碑

この花園のテーマは仏教。
だから佛塔もあるし、佛像(釈迦像か阿弥陀如来か観音様か
忘れてしまった)もある。

しかし、胡文虎の没後、2代目は庭園を売り払ってしまい、
新しい地主はここにマンションを建てようとした。
すでに一部はマンションになっているようだ。

だが胡文虎未亡人の要望により、マンション工事は中断している。

いずれ、この花園はなくなるだろう。
見学するならいまのうち。

当然のごとく庭内には一番よい場所に
萬金油が売られていた。

店の人は日本語が上手で、たくさん買えば安いよと
勧める。 やはり日本人観光客が多いのだろう。

1個だけ買ってきたが、日本でも評判の薬。

シンガポールで見たヒストリー・ミュージアムの胡文虎の翡翠コレクション

   別の2階建てバス

香港名物2階建てバス。この風景はロンドンを思い出す。

帰りは11番のバスに乗って中環(Central)のバスターミナル(終点)
までバスの旅となった。
2階建てバスに乗ったので、眺めのよい2階の座席に座った。

実は中環のバスターミナルの近くの埠頭から出ているフェリーに乗ると
今夜の歓迎レセプションのあるハーバー・プラザ・ホテルの近くの埠頭まで
行けるはずであった。

しかし、目についた埠頭は
中環埠頭(Central District Pier) ここは長距離の離島行のフェリーだけ
ランタオ島やラマ島行き 今回は時間がないので無理。

実はよく探せば近くの中央郵便局のそばに
私の探していた天星埠頭(Star Ferry Pier)
があったのだが、香港の過密都市、高層建物の中で興奮した私には
見つけられなかったのです。

どうせ、泊まっているホテル(BP International House)のホールに
指定の時間にいると、香港理工大学の人が迎えに来てくれることになっている
から、確実な方法でホテルに戻ろうと思った。

ここからは滑稽なことだが、今乗って来た交通手段を逆に使って
中環のバスターミナルの11番のバスで
銅鑼灣(Causeway Bay)の駅まで行き、そこから地下鉄に乗り込み
地下鉄を乗り換えて、ホテルの近くの尖沙咀(Tsim Sha Tsui)駅で
下りる。モスクの前に戻った。

(中環のバスターミナルから少し歩けば地下鉄の駅があるはずであるが
もし見つからないと困るから遠まわりでも確実なコースにしたわけです)

そして無事ホテルに到着。
ほどなく案内板を持った香港理工大学の若い先生がホールに現われて
結局10名くらいの国際会議参加者を集めて、ホテルの裏の駐車場に
留っているバスへ案内してくれた。

顔だけ見ると韓国人か中国人かわからないが、バスの中で英語に混じって
日本語が飛び出すと、なんと大部分は日本からの参加者だった。

歓迎レセプションはカクテルパーティで、日本から京都大学を退官された
F教授や名古屋大学のU教授など、土木学会でおなじみの先生も
多く、やはり鋼構造関係のグループの国際会議であった。

土木学会会員のほかに建築学会の会員も混じっていた。

私は建築学会にも入っているので、ぼつぼつと全国大学の建築の
先生の名前も話題に出てきた。

ホテルは海辺のホテルだけあって、夜景が美しかった。
対岸に香港島が見えるので、このホテルに泊まる価値はありそう。

ただし宿泊費が最高に高くて、私の泊まったホテルのほうが
経済的だった。

国際会議参加にはお金がかかる。

香港で二階建バスに乗り超高層ビルを眺めながら走ったので
香港はロンドンだと思った。

交通信号もロンドンで発見したように
赤→赤+黄→緑
というふうに変化する。

交差点にはロータリーも健在。
まさしくロンドン。

赤と黄色が同時についた信号。ロンドンを思い出す。(次の写真は、緑の矢印信号が点灯しているが見えにくい)

香港を中国から譲り受けたイギリスは
何もない岩だらけの漁村で、最初はひどくがっかりしたということだった。

しかも当時の中国人はレベルも低かったろうから
イギリス人の要求になかなか答えられず
教えるイギリス人も教えられる中国人も大いに苦労したことであろう。

しかしイギリス人は着々と香港の都市を建設して、国際貿易港としての
機能を整備したので、中国本土を越えるような勢いの町になってしまった。

南米の国はラテン系のヨーロッパの国が指導したから遅れたので
もしイギリスやドイツが指導したなら、もっと進んだ国が生まれたはずだ
と言う人もいる。

では日本人が南米の国を指導したらどうなるか。

ペルーこそ日系人が作っている発展途上の国で
一つの実験だと思われる。

その意味で日系人を応援したいが、ヨーロッパ系ペルー人に
してみると主導権を日系人に奪われて面白くないのではないか
と思われる。

ゲリラには反対だが、フジモリ大統領批判を口にする野党の
気持はそういうところにあるかもしれない。

日本国内でゲリラ騒ぎに便乗して、日系ペルー人にやつあたりするのは
大いに筋違いです。

日系ペルー人こそフジモリ大統領を支援しているし
一種の運命共同体メンバー。

土着のインディオの子孫は大統領を支援していると言われる。
貧しい最下層の暮らしが大統領の政策で少しずつよくなっていると言われる。
ヨーロッパ系のペルー人の動きが問題でないかと私は考えている。
(現地に行ったことがないから、的外れかもしれません)

前にブラジル留学をした佐々木君の旅行記をネットニュースで紹介したが、
日本に出稼ぎに来られる日系人は日本で稼いで帰ると
ブラジルでは金持ちになってしまう。

だんだん日系人が裕福になり、他のブラジル人からねたまれる。
そういうことがペルーでも起きているのではないだろうか。

日本の海外援助も気をつけてやらないといけないと思う。

金持ちが自分の子供ばかり可愛がって良い着物を着せたりすると
庶民は面白くない。

金持ちが没落したら、いいきみだと思われるかもしれない。

心ある金持ちなら、一般民衆のために寄付したり、公民館を
建てたりしたほうがいいかもしれない。

香港で世界を考え、日本を考えたことでした。

         

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