女のあらそい
高木 実
「ニーベルンゲンの歌」(Das Nibelungenlied)といっても、あるいはまだよく
ご存じない方があるかも知れませんが、竜を退治して、その血を浴び、不死身と
なった英雄ジークフリート(Siegfried)がブルグント族の王グンター(Gunther)を
助けて数々の武勲をたて、ついには非業の最期をとげるお話を、子どもの頃の童話で
読んだ方もおありでしょう。
この「ニーベルンゲンの歌」は、ドイツ最大の詩人ゲーテの代表作にあげられる
「ファウスト」とならんで、ドイツ人気質をもっともよく伝える作品として、
いまではドイツ人で誰ひとり知らぬ者はいないドイツ文学の傑作にかぞえられて
おります。
ゲーテの作品が、詩人の「自己体験の告白」として成立したのにたいして、13世紀
初頭に完成したと推定される「ニーベルンゲンの歌」では、作者は作品の中に
完全に埋没してしまって、名前すらもわかっておりません。それというのも
作者は、4世紀から7世紀にかけて数多く歌われた英雄歌謡を材料にして、
彼の叙事詩を作りあげたからだろうと考えられています。
これらの英雄歌謡の中にはジークフリーやグンターのほか、グンターの家臣で
ジークフリートを謀殺するハーゲン(Hagen)、東ゴート族の王ディートリヒ(Dietrich)、
フン族の王エッツェル(Etzel)などゲルマン民族移動の時代に活躍した人物たちが
あらわれてきます。
13世紀といえば、ドイツを含めたヨーロッパが完全にキリスト教化して、その
基盤の上に宮廷騎士社会が成立するのですが、ゲーテがこの作品を評して
「モティーフは徹頭徹尾異教的」といっていますように、日曜日の教会のミサに
参列したり、騎士の習俗がとり入れられたりしてはいますが、その中心部分を
形づくっているのはキリスト教以前の古いゲルマン的要素であることは、
一度この作品をお読みになればおわかりになるでしょう。それがまたかえって
この作品の魅力を高めることにもなっております。
「ニーベルンゲンの歌」はまた古代ギリシアのホメーロスの叙事詩「イーリアス」
とよく比較されますが、北国ドイツの叙事詩は、全編の構成が劇的な緊張をはらんで、
まっしぐらに破局にむかって突き進んでゆくのがその特徴となっています。
そしてその中心に立っている悲劇の英雄がジークフリートなのですが、彼をめぐる
二人の女のすさまじい争いも、ドラマチックな迫力に富んでいます。
二人の王妃、グンターの妹でジークフリートの妻クリームヒルトとグンターの王妃
ブリュンヒルトは、第14歌章において夫たちのじまん話を始めます。
クリームヒルトは、夫ジークフリートはすべての国々を支配する力をもった人物だと
誇ります。これにたいしてブリュンヒルトは、自分の夫グンターがいる限り
そんなことはいわせない、と主張します。
ブリュンヒルトはグンターがジークフリートを伴って求婚の旅で彼女を訪れた時、
ジークフリートが自分はグンターの家臣であると紹介したことを忘れていないのです。
ところがブルグントの国へ来てみると、ジークフリートは臣下としての務めは
いっこうに果たさず、グンターと対等にふるまっている態度に疑惑の念をこくして
いたのです。
グンターに敗れた試合のこと、その後わかったグンターの柔弱な性格、
これらを思いあわせると、どうもうまうまと策略に乗せられたと思われて
ならないのでした。
そんなブリュンヒルトの気持ちに頓着することなく、クリームヒルトはみんなが
自分にブリュンヒルトと同じ敬意を払うかどうか,教会に先に入ることによって
ためしてみようと言い放ったのでした。
ここで夫の優劣をめぐる争いは、王妃たち自身の問題ヘと発展してゆきます。
美しく装った侍女たちを従えた二人の主妃は教会の前の公衆の面前で後へは
ひけぬ対決へと追いこまれてゆきます。
なぜ臣下の妻の分際で国王の妃よりも先に教会の中へ入ろうとするのか、
とブリュンヒルトが語気鋭くとがめると、
クリームヒルトは、あなたは夫ジークフリートの側妻(Kebse)だったのではないか、
とブリュンヒルトをはずかしめ、侍女をひきつれ、さっさと教会の中へ入って
しまいます。
口惜しさに泣きながらブリュンヒルトは、この恨みを何としても晴らさずにはおかぬ
と心にきめるのです。
ミサの終わったあと二人はもう一度教会の前で対決します。
クリームヒルトを呼びとめたブリュンヒルトは、自分がジークフリートの側妻だと
いう証拠を見せてほしいと要求します。これに応じてクリームヒルトは夫から
もらったものだといって手にはめていた金の指輪をブリュンヒルトに示します。
一瞬青ざめたブリュンヒルトは、それはいつか盗まれた指輪だと言いはります。
それに追い打ちをかけるようにクリームヒルトは身につけていた帯を見せます。
ブリュンヒルトはついに泣き出し、決定的な亀裂ができてしまったのです。
このあと呼び出されたジークフリートはグンターとブリュンヒルトの前で
自分はそんなことを妻に言ったおぼえはないと弁明しますが,これがもとで
ハーゲンの手にかかって殺されてしまうのです。日本語訳もありますので
一読をおすすめします。(基礎ドイツ語 第27巻第7号:11月号)
「ニーベルンゲンの歌」