Heinrich Steinweg

スタインウェイ
世界中のピアニストや作曲家に愛される超高級グランドピアノのブランド名

その歴史はハルツ地方の田舎町ヴォルフスハーゲンに始まる。
1797年2月にハインリヒ・エンゲルハルト・シュタインヴェークは営林官を
父に12人兄弟の末っ子として生まれた。

音楽の才能に恵まれた彼は、父親の職業を継ぐよりは家具商人の方がましだと
考えた。
そのときヨーロッパはナポレオンをめぐる戦争が続き、1815年6月18日
ワーテルローの戦いに応召された彼は進軍ラッパを吹いた。
戦争が終わってみると、7人の兄弟全部と父親は戦死していて、彼だけが残された。

彼は楽器を作りたかったが、それはかなわぬ夢でともかく家具職人の見習い修業を始めた。
のちにオルガン製作工房に職を見つけて、勉強熱心な彼はオルガン演奏を学び
ついには教会のオルガン演奏を勤めるまでになった。

やがて裕福な家庭の娘ユリアーネ・ティーマーと結婚し5人の息子と2人の娘に
めぐまれ、結婚後10年目にハルツの町ゼーゼンにピアノ工房をもつことができた。

ブラウンシュヴァイク公がピアノを買い求めたことで評判となり482台の
ピアノを世に送り出した。
しかし、飢饉、凶作、高関税のためにピアノが全然売れない状態が何年も続き
ピンチを脱出するため、彼は息子カールをニューヨークに送り込む。

やがて息子は発展を確信して、両親や兄弟たちをニューヨークに呼び寄せる。
ハインリヒと息子たちは、アメリカのピアノ製作会社に職を得て働く。

良い技術をもちながら給料は安いので、ついに独立して自分たちの会社を
1853年におこす。
57才で名もヘンリー・スタインウェイと改めたハイニリヒは
「可能な限り最高のピアノを作れ」を「スタインウェイ&サンズ」の
社是(しゃぜ)と決めた。

彼のアメリカでの第1号ピアノには、当然ながら483という製造番号がつけられた。
そのピアノはいまメトロポリタン美術館に展示されている。

グランドピアノは手作りで、完成までに1年以上かかり、値段も最低4万ドル
ということだ。

    もう一人の成功者リーバイ・ストラウス