ドイツ留学前に数年間、この三修社の雑誌を購読していました。
ドイツ語の能力はさっぱり上達しませんでしたが、ドイツ語の文法の
知識はこの雑誌のおかげで高いレベルを知ることができました。
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Wien の Cafe 小川一枝 香りはもともと好きであったが,コーヒー自体を決して好きとはいえなかった わたしが、今では朝の目醒めにコーヒーを欠かせなくなったのは、どうやら 2年半のウィーン滞在のたまもののようである。 ウィーンにいた時、閑な時わたしはよくCafe[カフェー]に出かけた。 日本の友人や家族宛の手紙、ちょっとした覚え書きなど、わたしは大抵、 そこで一杯のMelange[メラーンジュ]を前にして書いたものである。 日本と違って、ウィーンのカフェーは若者たちの溜まり場ではなく、年輩の人や、 年金暮らしの老人たちの憩いの場であった。 ビーダーマイアー風にしつらえたこういう古いカフェーでは、午後のお茶の時間が 近づくと、Ober[オーバー ボーイさんのこと]は俄にてきぱきと立ち働き、 テーブルカバーからパン屑を払い落としてしみの有無を点検し、それを裏返して、 窓際の、街頭に面した席には大抵、reserviert[レゼルヴィーアト 予約席]の 小さな札を置く。 間もなく、ボネットをかぶり、こぎれいなおしゃれをした老婦人たちの おしゃべり仲間や、常連らしいチェス仲間の老人たちが、そういう席を次々と 占領して、いつの間にか店内は低い談笑でいっぱいになる。仲間のいない老人たちは、 新聞や週刊誌を読むのに余念がない。彼らはこうして何時間でも悠然と、 カフェーに座っている。 若い人の中には、わたしのように書き物や調べ物を持ちこんで、仕事を片づけている ひとも多く、大抵は一杯のMelange か Braun(ストレートコーヒー)でねばるのである。 大きなカフェーでは、時々、小さな白いヘア飾りと、おそろいの真白な 小さなサロンエプロンをつけた Fraeulein(フロイライン といっても大抵は 年輩の女性である)が、ワゴンにさまざまなケーキをいっぱいのせ、「おひとついかが?」 ときいて回る。 ウィーンではケーキもドイツと違ってフランスのプティフールなみにぐっと小ぶりで エレガントである。ウィーンのカフェーのご自慢は,こういうケーキ類と, 香りが高く,味も柔らかいMelangeであった。 Melangeとはウイーン風の ミルクコーヒーで,コーヒーとミルクを一種のミキサーのような器械で攪拌して ジャーッと勢いよく泡立て,下においたカップに受けたものである。 わたしは柔らかな味のこのMelangeが特に好きで,カフェーに入ればきまって, "Eine Melange, bitte ! "といったものだった。ウィーンといえば,楽しかった芝居や オペラとともに,わたしには今でもこのMelangeがとても懐しく、Wiener Melange は, パリのカフェ・オ・レ(牛乳入りコーヒー)などより,はるかに味も香りも上等な ものだと思っている。 (3月号)