基礎ドイツ語

ドイツ留学前に数年間、この三修社の雑誌を購読していました。
ドイツ語の能力はさっぱり上達しませんでしたが、ドイツ語の文法の
知識はこの雑誌のおかげで高いレベルを知ることができました。

この記事の転載については、出典を明示し原文を変更しないという条件のもとで、三修社から許可を得てあります。

第25巻第1号−第12号(昭和49年5月−昭和50年4月)

法螺男爵家の台所
           信岡資生

「ネ、おっそろしくって、わしはもうどうして
よいかわからんかった、うしろにはライオン、
前にはワニ。左は岩を噛む急流、右は眼もくらむ
断崖絶壁で、その谷底には毒蛇がウヨウヨいる。
前門のトラ、後門のオオカミよりはまだ悪い。
わしはネ。もうこのときは観念したネ。ウン、
ほんと。」

座の中央で語っているのは、このボーデンヴェア
ダー (Bodenwerder) 屋敷のあるじ。年の頃は60
ばかり。大柄でのっぺりした顔立ちは生まれの
良さを物語っています。青い眼ばかりがらんらん
と光っていますが、その底に茶目っ気のような
ものがたたえられているのを、話に夢中になって
聞き入る客たちのはたして何人が見抜いている
ことでしょうか。

「わしは、ガバと地べたに身を伏せたネ、本能的
というやつさ。次の瞬間、何ともいえぬ不気味
な、異様な、ごつーい音がした。ガシーッとネ。
何事ならんと、わしがおそるおそる、そーっと、
頭をあげて見るとダ ― 」

語り手が、開いた脚をここでトンとひとつ踏ん
ばってみせると、釣りこまれた客たちもいっせい
に身をビクッとふるわせています。

「おどりかかったライオンのやつ、わしの頭を
飛び越えて、ワニの口の中へ突っ込みおった。
ワニ公も、わしを一呑みにせんと口を大きく開い
たところだったから、ライオンの頭がのどの奥
まですっぽりはまって脱けなくなった。2頭
とも盛んに苦しみもがいとる。この機を逃すもの
かと、わしはすぐさま起き直り、腰の長剣右手で
抜くがはやいか、ライオンの頭と胴を切断した。
ライオンがライとオンになり、オンと倒れかかる
胴体にはかまわず、頭の方を左手で持った銃の
台尻でワニの口へぐいぐい押し込んだ。ワニ公
『ワニをする!』と言ったかどうか知らんが、
そのうちついに窒息して息絶えた。ホッとした
ね、わしは。からだじゅうから気が抜けたように、
ヘタヘタとその場へしゃがみこんだよ。冷や汗
が上衣の外までしみ出たよ。」

聞き手たちもホッとして、たばこを一服吸い直す
余裕が出ています。

「なんにしろ、大きなワニでな。計ったら40
フィートと7インチあった。宿へ帰ると亭主が
早速やってきて、ぜひ譲ってくれ、200ターラー、
いや300ターラー出しましょうと、うるさく
せがむ。わしは、ただでやるから勝手に持ってけ、
このミュンヒハオゼンは商売で狩猟をしとるん
じゃないわい、と気前の良いところを見せて
やった。亭主のやつ、ワニより大きい口をあけて、
ポカンとしておったわい。ワッハッハッ。まあ、
いいから、飲め、飲め。おーい、ワインが足りない
ようだぞ。もっとどんどん運んでこんか ― 」

得意気に話し終えて、上機嫌の男爵ミュンヒ
ハオゼンですが、台所では男爵夫人がおかんむり
です。

「冗談じゃないわ。毎晩毎晩、近所の者を集めて
ホラばかり吹いてさ、いい気なものね。木戸銭を
取るどころか、飲ませて食わせて話を聞いて
もらったうえ、手みやげまで持たせて帰すんだ
から。これじゃ家計が持つわけないじゃない。
しっかり見回ってくれないから、領地は荒れるし、
地代は滞るし、お嫁にきたとき持ってきた宝石類
はもうほとんど売りつくしたし、何とかしな
ければ ― 」

思わず洩らした太い溜息を聞きつけた執事の
ゲオルク。「奥様、ご心配なさいますな。
お殿さまはあれでなかなか話術に巧みでいらっ
しゃる。ご近所の衆がああして集まってくるのも、
あながちご馳走のせいばかりではございませぬ。
よいことがございます。わたしの古い知り合い
が、お殿さまのお話はたいそうおもしろいゆえ、
これを本にして売り出せばベスト・セラーと
なること必定、ぜひお許し願いたいと申し出て
おりますから、ひとつ原作料をウーンと高く
吹っかけておやりなさいませ。本が売れれば
お殿さまのお名まえも広まり、ミュンヒハオゼン
の家名もいっそう上がるというものでして。」

奥方と執事が蔭でこんな相談をしているのを
知ってか知らずか、男爵はご機嫌うるわしく今晩
の客を玄関まで送り出しながらこう言っている
のが聞こえます。

「では明晩は、地中海で釣をしたときのとって
おきの冒険談をひろうしてさしあげるとしよう。
ワインも上等のを吟味して用意させておくほど
に、楽しみに出かけてらっしゃるがよいぞ。」

「ほら男爵 (Luegenbaron [リューゲン・バローン])」こと Karl Friedrich Hieronymus von
Muenchhausen [カルル・フリードリヒ・ヒエローニュムス・フォン・ミュンヒハオゼン] は、
1720年5月11日ウェーザー (der Weser) 河畔の Bodenwerder に生まれた。18歳でロシアの
軍隊に入り、トルコ戦に従軍、1750年に退官して故郷の領地に帰り、郷士として一生を終えた。
1797年没。生前からすでに彼の名を冠した物語が出版されていたが、たいていは古くから
あった Jaegerlatein [イェーガー・ラタイン] (狩猟ほら話) であった。1786年に Gottfried 
August Buerger [ゴットフリート・アオグスト・ビュルガー] が、英国で出版された R.E. 
Raspe [ラスペ] のミュンヒハオゼン物語を作り直して "Wunderbare Reisen des Freiherrn 
von Muenchhausen" [ミュンヒハオゼン男爵の旅行奇談] を著わし、その後の絵本や民衆本の
基を作った。
    (2月号)   

             

 

 

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