基礎ドイツ語

ドイツ留学前に数年間、この三修社の雑誌を購読していました。
ドイツ語の能力はさっぱり上達しませんでしたが、ドイツ語の文法の
知識はこの雑誌のおかげで高いレベルを知ることができました。

この記事の転載については、出典を明示し原文を変更しないという条件のもとで、三修社から許可を得てあります。

第26巻第1号−第12号(昭和50年5月−昭和51年4月)

言葉の音楽
         真 鍋 良 一

イタリーのローマには相当数のドイツ系イタリー人がいるそうです。何十年か前にロー
マにやって来て、そのままそこに居着いた人たちです。彼らの多くはイタリー人と結婚し、
仕事の上はもちろん、家庭内でもイタリー語だけを喋って、3、40年をローマで暮らしている
わけです。さて、その人たちのイタリー語ですが、あるドイツ人に言わすと、やっぱり彼
らの喋っているのはドイツ語だ、いやザクセンの方言だ、シュワーベンの方言だ、彼らは
単語も正しく使い、文法上の誤りも犯さない、しかしやっぱりイタリー語ではない、と。
どこに問題があるかというと、彼らのイタリー語には「イタリー語の音楽」がないという
のです。言葉の抑揚というか、リズムというか、それよりももっと広い意味での言葉の「音
楽」がないというのです。

外国語をやる人にとっては、誠に痛いところ、またきびしい言葉です。正確無比の間違
いのない完璧なドイツ語を喋っても、ドイツ語の音楽に欠けていたならば、ドイツ語では
ない、というのですから。私の九州生まれの友人で、相当英語の達者な人がいますが、彼の
話すのをただ音声のリズムとしてだけに重点をおいてきいていると、明らかに九州弁なん
ですね。実にその調子が博多あたりの人の九州弁の「ふしまわし」に似ているのです。

近頃テレビなどで関西弁のドラマなどがよく放送されますが、生の関西弁を喋る俳優と、
習った関西弁を話す俳優とはすぐわかります。個々の単語のアクセントが如何に関西的で
も、「ふしまわし」のほうは東京音楽なのです。コマーシャルにもよく「西洋音楽」で日本
語を喋る外国人がでてきますね。

さてドイツ語を習う場合、割合人が見逃しがちなのが、この「音楽」なのです。視聴覚
教育がずい分広く行われるようになりましたが、テープやカセットでドイツ語なり、フラ
ンス語なりの音楽をおぼえることに割合注意がむいていないのじゃないですか。つまり「ラ
ララー」と口ずさびながら、ドイツ人の読むテキストのふしまわしをおぼえることです。
ドイツ語の口まねをしながら音楽がおぼえられたら、なお結構ですが、メロディを口ずさ
むように、ふしまわしをまねするのも大切です。文の意味などは一応おいて、音(おと)または
声(こえ)だけをきくとよくわかります。

最近特にこの「音楽」の問題が、私には気になって仕方がないので一筆。
         (8月号)



8月にストーブを焚く
             杉山佳子

ドイツに行かずしてドイツの気候を味わおうと思う者は、まず北海道釧路市に来られたし。
北緯43度の当市では、8月の最高気温26℃ がせいぜい3日間、日中気温10℃〜15℃が夏
と秋の大体の平均で、夜に入れば真夏にストーブをつけるというのも、めずらしくあり
ません。なぜドイツの夏は heiss [ハイス] でなく、warm [ヴァルム] というかが実感と
してよくわかります。これは言いまわしの問題ではなく、事実として暑くない、暖かいの
です。釧路の日本語でも、8月の挨拶は「あったかいですね」というので、「暑いですね」
は外来語です。1月、2月の最低気温はマイナス18℃〜23℃で、この頃になると、日中
最高が高くて 0℃ですから、ドイツ風にマイナスは省いて「今朝は20度だったよ」と言い
ます。連日マイナスなのが当り前なのですから、周知の前提は言語として省かれるという
規則がはたらく訳です、有名なしばれるという表現は、受身の「れる」と「られる」の誤用
からきたもので、「寒さによって体が縛られる」からきたという説があります。これは
「こごえる」と「氷が張る」という2つの意味があって、動詞 frieren [フリーレン] に相当
します。当市はまた、日本最大の遠洋漁業基地で、先頃の経済水域 200カイリ問題で、生産
額の 70%減、人口25%減を予想され、破滅的な打撃を受けるかと心配されました。漁獲
の中で、秋味(あきあじ)と呼ばれる鮭の他に、通称スケソのスケトウダラが、最もありふれ
た魚ですが、このスケソの塩蔵品を買付けに、Hamburg [ハンブルク] からドイツ人がやっ
てきたことがあります。塩蔵する(salzen[ザルツェン])というのは、解体魚体を塩に
まぶして、高さ1mにも積みつけ、3週間おくと水分が出てパサパサになる、このスリッパ
のようなのを食料としてアフリカへ輸出したり、ドイツでも食べるというのです。わずか
の間にも、日独労働条件の違いなど問題になり、特にパートの中年女性を労働力の中心に
した日本のやり方に、納得がいかないようで、労働者の専門性のなさをしきりに言っていま
した。手の汚れる仕事は、スペイン人などの一族ぐるみの外人労働者(Gastarbeiter [ガス
ト・アルバイター])ばかりという西独では、闇でも働こうという気構えで、そうしたヨー
ロッパの生粋の労働者に比べれば、日本はまだまだ働かず、遊ばずの印象を与えたようです。
         (8月号)



あしを出したファオスト博士
              信岡資生

狂乱物価と言われたほど、値上げの相次
いだ今日の時代を、薄給の身で家族を養っ
ていかねばならぬ東洋の経済大国のサラリ
ーマンの苦労たるや並大抵ではありません
が、ひぐらしが鳴いても「カネカネ」と聞
くほど、かねに困るのは古今東西を問わぬ
浮き世の習い、かの悪名高き魔術師∃ーハ
ン・ファオスト博士でさえ、かねに困るこ
とがよくあったそうです。血判をおして、
悪魔と取り交わした契約によれば、24年間
は金銀財宝に事欠かぬはずでしたが、そこ
はそれ、海千山千の相手のこと、いざ頼む
となると、教えてやった妖術を使って自分
で調達してみろと、にべもなくあしらわれ
るのです。あるときのこと、飲み仲間と連
れ立って、一と晩豪遊したと思ってくださ
い。われわれご同様、飲み食いするとき
は、ついふところのぐあいなんぞ忘れてし
まいますので、勘定してみると、不足が生
じました。このとき、がらにもなく侠気
(きょうき)を出したファオスト博士、「わしに任せ
ろ」とばかり、あるユダヤ人の金貸しの許
へ行って、60ターラーを1か月の約束で借
りてきて急場をしのぎました。期限が来て、
金貸しが催促にやってまいりましたが、博
士にはもちろん算段がつきません。
  「どうしてくれます、先生?」
  「ウーム、弱った。しかし無い袖は振れんぞ。」
  「聞くところによると、先生は悪魔と親
  しいそうですな。メフィストーフェレス
  (Mephistopheles)とかいうだんなか
  ら、ちょいと融通してもらったらどんな
  もんで。」
  「それがナ、悪魔の世界もスタグフレー
  ションに見舞われているとかで、近頃は
  とんと渋くなってのう。とにかく期限を
  延ばしてもらいたい。」
  「なにか担保にもらえるものがあります
  かな?」
  「ごらんの通りで、めぼしいものはもう
  なんにも残とらんが ――そうじゃ、い
  っそのこと、わしのあしを1本かたに持
  ってってもらうとしよう。もとはといえ
  ば、あしを出したから、お前の世話に
  なったんだから。」
  「おあしの代わりに、あしを持って行け
  とおっしゃるんで?」
  「うん、あしからず」

あしなんぞ預かったって、あしてまとい
になるばかり、あし代にもならない、とは
思いましたが、金貸しは、半ばは人を食っ
た博士の言いぐさに腹を立て、半ばは好奇
心もあっで承諾しました。さっそく実験室
から糸鋸(のこ)を取ってきたファオスト博士、
金貸しの目の前でむぞうさにごしごしと右
あしを切り落とし、呆れているその手に
握らせて、こう言いました。「さあ、持っ
てけ。かねができたら取り戻しに行くか
ら、それまでのみに食わさぬよう、大事に
手入れをしてしまっとけ。サービスにこの
いぼでも取り除いといてくれ」

金貸しは、受け取ったあしをかついでの
戻り道、とある橋の上で休みました。「あ
ーあ、どうでもいいけど驚いたぜ。自分の
あしを切り落として質草にするたぁ、あい
つもそうとうなわるだな。しかし、こんな
あし、うちへ持って帰ってもどこへ置いた
らよかろう?  あの貧乏ぶりじゃ、かねを
こしらえて、あしを引き取りに来る気づか
いは、まずなさそうだし、へたに長く転が
しとけば、腐って使いものにならなくなっ
ちまう。こいつぁ、いっそのこと」――と
うとう彼は、あしを川の中へ投げ込んで、
厄介払いをしたつもりで家へ帰って行きま
した。

ところが、3日経ってから、博士の使い
がやってきて、かねができたからあしを返
せと言ったので、主人はびっくり。「あ
しまった」と思ったがもう間に合いませ
ん。「それがねえ、その、あれは ――実は
捨てちまったんで。どうぞごかんべんを――
」。かんかんになって乗りこんできたフ
ァオスト博士の前で、平ぐものように這い
つくばってあやまった金貸いは、とうとう、
先の60ターラーを帳消しにしたうえ、さら
に60ターラーを差し出すことで、ようやく
かんべんしてもらいました。

ところが、帰って行くファオスト博士の
あしはちゃんと2本ありました。妖術を使
って、あしを切り落とすと見せかけ、金貸
しに渡したのは火かき棒だったのです。あ
とでこのことを知った彼は「棒引き」させ
られたことを大いに口惜しがったというこ
とです。

「ファオスト伝説」は、実在の人物に基づいている。Georg Faust[ゲオルク・ファオスト]
(のち Johann[ヨーハン]と改名)は、1480年頃、ヴュルテンベルク(Wuerttemberg)に生まれ、
ハイデルベルク大学で神学を修め、各地を遍歴して医師、占星術師、錬金術師としての名を高め、
1539年頃南独のシュタオフェン(Staufen)に没した。死後間もなく、その奇行を題材とした
民衆本(Volksbuch[フォルクスブーフ])が巷(こう)間に流布(るふ)した。悪魔との契約により、
現世の享楽と引換えに魂を売り渡すテーマは、ゲーテをはじめとする多くの詩人の創作欲をかり立て、
人物の性格も筋書きもさまざまなファオスト物語が生まれている。
     (8月号)

             

 

 

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