基礎ドイツ語

ドイツ留学前に数年間、この三修社の雑誌を購読していました。
ドイツ語の能力はさっぱり上達しませんでしたが、ドイツ語の文法の
知識はこの雑誌のおかげで高いレベルを知ることができました。

この記事の転載については、出典を明示し原文を変更しないという条件のもとで、三修社から許可を得てあります。

第25巻第1号−第12号(昭和49年5月−昭和50年4月)

ドイツ・リアリズムとケラーの「緑のハインリヒ」
             信岡資生

前号でお話ししたロマン主義の反作用と
して、19世紀も30年代を過ぎる頃から、文
孝の上では写実主義的傾向が高まっできま
した。世の中も、この時代になると、経済
のしくみの発達と、科学技術の進歩が、社
会のあらゆる面で生活の大幅な変革を惹き
起こし、人びとはそうした現実に眼を向け
て、これに適応した生活態度をとらずには
おれなくなったのです。市民の間では、夢
想への耽溺から現実の直視へ戻り、形而上
学的傾向を脱して経験を尊重する風潮がし
だいに生まれ、彼等は理想追求の野心を捨
てて、諦観の中に小市民的な家庭の幸福を
守ろうとします。そうした傾向は、まず、
グリルパルツァー(Franz Grillparzer 1791
-1872)、シュティフター(Adalbert Stifter
1805-1868)、インマーマン(Karl Immer-
mann 1796-1840)らに代表される、いわ
ゆる「ビ−ダ−マイア−」文学の流行に現
われますが、「ビーダーマイアー」文学が、
その市民的俗物性を非無されながらも、開
拓した現実生活の客観的描写、市民の倫理
性の追求、人間心理の精細な分析と観察の
姿勢は、これに続いたドイツ・リアリズム
文学へと受け継がれて行き、散文小説の1
つの黄金時代が到来します。ゴットヘルフ
(Jeremias Gotthelf 1797-1854)、ケラー
(Gottfried Keller 1819-1890)、C.F.マ
イアー(Conrad Ferdinand Meyer 1825-
1898)、シュトルム(Theodor Storm 1817
-1888)、フォンターネ(Theodor Fontane
1819-1898)らが、その代表者として活躍
しました。

ケラーは、スイスのツューリヒの、ある
職人の家に生まれました。早くから父と死
別し、貧窮の中に成長し、工業学校に学ん
でいたとき、教師排斥事件に巻きこまれて
退学したのをきっかけに、画家として立と
うとし、ミュンヒェンの美術学校に入学し
て絵の勉強に励みますが、まもなく行き詰
まって故郵の母の許へ戻ってきます。郷里
で、最初は政治的理想主義に走って、政治
詩を作ったり、実践運動に身を投じたりし
ますが、やがて州政府の給費を受けてハイ
デルベルクに留学、そこでフォイア一バハ
(Ludwig Feuerbach 1804-1872)の現世
主義哲学に接して大きな影響を受け、彼に
より「自然と人間とを正しくとらえ感ず
る」ことを教えられて、理念よりも現実追
究の道をたどるようになりました。

「緑のハインリヒ」(Der Gruene Heinrich)
は、そうしたケラー自身の青春の体験を綴
った自伝小説です。 ミュンヒェンから故郷
に帰って、失意の日を送っていた頃すで
に、彼はこの小説の構想を立てていまし
た。はじめケラーは、1人の若い芸術家
の野望が潰えて、母と共に当人の身も滅ぶ
という暗い結末の3人称体の物語を、抒情
的な挿話をまじえながら書こうとしたので
すが、フォイァーバハの感化を受けてか
ら、写実的、心理的傾向が前面に強く押し
出され、1851-55年の間に書かれた初版
が、25年経った1877-80年に改作された
ときには、少年の内面的成長に重点を置く
1人称体の作品となりました。

小説では、石工の遺児ハインリヒは、母
の手一つで育てられ、父の洋服の布地で仕
立てられた緑色の上衣をいつも着ているの
で、みんなから「緑のハインリヒ」と呼ば
れていました。貧民学校からあげてもらっ
た実業学校で、教師いじめの首謀者の濡れ
ぎぬを着せられて放校処分を受けた彼は、
いなかのおじの手許に引き取られ、自然に
接して風景画家を志すようになります。こ
のおじの家では、ユーディットとアンナと
いう、2人の女性が登場します。ハインリ
ヒは、優しいアンナに愛情を寄せますが、
アンナはまもなく病死し、彼は美しい未亡
人ユーディットの愛を斥けて、ミュンヒェ
ンダのぼって本格的な絵画の修業に専念す
ることになります。しかし、学資に窮し、
自己の才能にも自信を失った主人公は、故
郷に残してきた母の病気を耳にして、画道
を諦め、帰郷の旅につきます。その途中
で、彼の絵の熱心な収集者である金持ちの
伯爵と出会って、彼は思わぬ大金を入手す
ることができ、ツューリヒに無事たどり着
き、母の臨終にも間に合います。母の野辺
送りを済ましたあと、ハインリヒは、アメ
リカから帰ってきたユーディットと和解し
て、官吏としての職務に生き甲斐を見出す
のでした。

「緑のハインリヒ」は、ドイツ文学に
特有なジャンルである「教養小説」ビルドゥングス・ロマーン
(Bildungsroman)の流れを汲むものと見る
ることができます。1人の人間として成長
して行く芸術家と、現実の世界との対決
が、モチーフになっています。そして、公
共への奉仕活動は、芸術的創作にまさると
も劣らない価値があるという考えかたが貫
かれています。

ケラーはこの小説を、ベルリーンでの遊
学中に、貧困と空腹の苦しみの中で書き上
げました。現実のケラーのこのあとの生涯
は、ベルリーンから三たび戻った故郷ツュ
ーリヒで、書記官として15年ほど勤めあげ
たあげく、やっと作家としての自由な生活
に入ることができたのでした。ケラーの家
庭生活は不遇で、背が低くて頭でっかちの
異様な風采(さい)と、社交性の乏しい性格もわ
ざわいして、幾人かの女性に次々と求婚し
て、みな拒絶され、とうとう独身のまま、
実妹の世話を受けて、持病に悩みながら71
年の一生を過ごしました。
 (10月号) 



ワインの話
         真 鍋 良 一

ワインの話といっても3ページぐらいで、
何もかもお話することもできませんし、私も
何もかも知っているわけではありません。
まあ、若い人たちよりワインを飲んだ量が
多少多いという程度、その程度の話と思って
いただきましょう。

まずどうしても言いたいことは「ブドウ酒は
古いほどいい」というまちがった「迷信」です。
ワインはつくったときの出来具合で、貯蔵の
きくもの、それも2、3年は大丈夫というものも
あれば、長期の貯蔵に耐えるものなどいろいろ
あるのです。たとえばイタリーのワインは、
どちらかというと寿命が短いので、新鮮なうちに
さっさと飲むのに適しています。フランスには
いわゆる銘醸ものといわれる古いワインがよく
ありますが、稀少価値はあっても、かならずしも
うまいと言えないものもあるときいています。
(そんなに古くて高いのはのんだことがありません。)
ドイツの白ブドウ酒はうまいのですが、一般に
貯蔵はせいぜい2、3年なしい6,7年、
1951年のドイツワインは非常に出来もよく
おいしいので、勿体ながって10年もおいてから、
飲んだらとても駄目で残念ながら棄ててしまった
と、あるドイツ人にききました。

要するに新しい古いが美味とよいわるいの標準では
ないということです。おいしいワインをおいしく飲む、
これが飲み方なのです。世の中にはなかなか食べ物や
飲み物にやかましい人がいて、食べ方にむずかしい
ことをいう人もいますが、あんまり厳格にルールを
守らされると、おいしいものもまずくなります。
しかし多少ルールらしきものをならべれば:

これはご存知の方も多いでしょうが、白ブドウ酒は
ひやしてのむ。赤は「室内温度」(Zimmertemperatur)
でのむ。これは原則ですね。白は魚料理に、赤は
肉料理にと申しますが、これは私の知る限りかならず
しも守られず、ドイツなどではよく食事中ずーっと
白だけですますこともあります。

が、一番大切なことは、とにかくおいしく飲むこと
です。ビールは飲むとよく豪放になりかねませんが、
ワインは牧水の歌にあるように「しずかにのむ
べかりけ」るものなのです。この「しずかに」という
のがワインの生命なのです。欧州から送ってきた
ワインは、船便でインド洋を渡ってこようが、空輸
されたものであろうが、とにかく ― 本当は ―
少くとも1か月はしずかに寝かせて、休ませてやる
べきなのです。ゆっくりと休養をとったワインを、
杯にゆっくりと注いで、しずかに飲む、ここが値打ち
です。この頃はマーケットなどでも、よくドイツワイン
を売っていますが、買ってきて、すぐにポンと栓を
ぬいて、ドクドクッとグラスをついで、ガブガブッと
やったのでは、どんなよいワインでもいけません。
息せききって走ってきたワインはいけません。
近所の酒屋で買ってきたワインでも、2、3時間は
休養させなさい、というのがワイン通のルールの
ようです。

よくワインが出ますと、ご主人役が自分のグラスに
少しついで、またはつがせて、通 (Weinkenner) 
らしく、ちょっと口に含んで「ききざけ」をしますが、
あれは何も「きき酒」や「お毒見」のためではない
のです。あれは元来は、ワインのキルクの栓を
ぬいたとき、キルクのかけらやこながワインの中
に落ちることがある。古いワインですと栓がボロボロ
になっていたりして、ますますその可能性があり
ます。そこで主人役が最初に少し自分のグラスに
ついで、キルクのかけらなどがお客のグラスの中に
入らぬようにした心づかいなのです。主人役がよくよく
のききざけの大家でない限り、あんなことで、ワイン
の良否の判定ができるわけはないのですから。

まあ、われわれは、いろいろなワインをのんで見て、
お値段と自分の好みに合ったものをきめて行くわけ
なのですが、それにはボトルに貼ってあるラベルの
見方を知っていないと、次に同じ銘柄を注文しようと
思ったときに困りますから、一応ラベルの見方だけ
簡単にご紹介しましょう。私はフランスのものは
あまり知りませんが、フランスのワインのラベルには
生産地が印刷されていて、年号とともにブルビーニュ
地方産」とか「メドック地区産」とか「○○村産」とか
あって、地方、地区、村のように地理的区分の小さい
ところのほど上等で、ぶどう園(シャトー)の名前が
ついていれば、1番上等だそうです。わかり易くいえば、
日本にたとえれば「○○県産」とだけあるより
「××郡産」とだけのほうが上等で「△△村産」と
だけ書いてあればなお高級、「何々園」とあったら
最高級だそうです。

ドイツもだいたいそうですが、Mosel-Saar-Ruwer
[モーゼル・ザール・ルーヴァー] とか Rheingau
[ラインガオ] とか Rheinhessen {ラインヘッセン}
とかいう産地の地方名は必ず書いてあります。それに
銘柄名と年号はもちろんですが、その他「遅摘
(おそづみ)」(Spaetlese) とか「選別摘」
(Auslese) とか、ぶどうの摘み方、摘んだ時期
(お茶の1番茶、2番茶というのと似ています)など
の記入もあり、また「畑もと詰」(Originalabfuellung)
とか、さらに畑の名前、つまりぶどう園の名称も
かならずついてきます。こういうことをドイツ語で
かきならべて、あるいはカナ書きにして、ご紹介しても、
とてもおぼえきれるものではありません。ワインを飲む
よあになってから、ラベルを見てだんだんおぼえて行く
ことです。

ただ大切なことを書きそえておきましょう。ドイツワイン
の品質は1971年の新しい法律によって3つに大別される
ことになったのです。まだもちろん1970年以前のワインも
でまわっていますから、そのラベルには「純天然ワイン」
(Naturrein) とか「国有ぶどう園管理区」(Verwaltung 
der Staatsweingueter) とかいろいろな記入があって
品質判定がなかなかむずかしかったのですが、それでも
ラベルに Cabinett または Kabinett [カビネット] と
あれば、間違いなく上等でうまいと考えてよろしいです。
「上質保証」とでも考えて大丈夫です。

そこへいくと1971年以後のものは、並級テーブルワイン
(Tischwein) と公定地区高級ワイン (Qualitaetswein
bestimmter Anbaugebiet, 略: QbA) と特選ワイン
(Qualitaetswein mit Praedikat) の3つで、これが
ラベルに印刷されますから、判定は楽になりました。
日本酒の特級酒、一級酒、二級酒といったところです。
そしてこの特級に、前にふれた Kabinett、「晩摘」
「選別摘」、さらに「粒より摘」(Beerenauslese)、
「乾ぶどう選(え)り摘」(Trockenbeerenauslese)、
「アイスヴァイン」(Eiswein) があります。あとに
挙げたものほど、甘く、高価ですが、「乾しぶどう選り
摘み」というのは、ぶどうが実っても摘まずにおいて、
それが乾しぶどうのようになるまでほっておいてから
摘んでワインにするもの、アイスヴァインというのは
直訳すれば「氷ワイン」ですが、ぶどうを霜のおりる
時期までほっておいて、霜で凍ったものを、夜中の2時
3時頃凍ったまま摘んでワインにしたもので、普通の
ワインなら数本買えるくらいの値段です。

もっとも私に言わせば、トロッケンベーレン(乾ぶどう)
や氷ぶどう酒は、ぶどうのできが悪いときに、ぶどう
園主が、その畑のぶどう全部を賭けてやってみる、いわば
災を転じて福となす式のワインですから、わざわざ高い
金を払って甘ったるいのを飲むことはないと思うのです。
ぶどうのできがよければもちろん、そんな冒険はせずに
普通のワインをつくりますから。ドイツワインなら、
モーゼル河やライン河などの流域のぶどう園のよいのを
選ぶにこしたことはないでしょう。ドイツには国営、
私営、昔の修道院伝来のものなどいろいろのぶどう園が
ありますから、フランスのものよりぶどう酒にいろいろな
個性があって、楽しみだと私は思っております。

かきおとしましたが、ラベルによく Riesling [リー
スリング] という記載がありますが、これはぶどうの
品種名でドイツの土地に一番適したものなのです。
ですからぶどう酒をのむことを einen Riessling
trinken などということもあります。
 (10月号)   

             

 

 

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