ドイツ留学前に数年間、この三修社の雑誌を購読していました。
ドイツ語の能力はさっぱり上達しませんでしたが、ドイツ語の文法の
知識はこの雑誌のおかげで高いレベルを知ることができました。
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自信過剰の誤訳 真 鍋 良 一 サッカーを見ていてよく思うのですが、ホワードはいいですね。10のチャンス を逸する失敗があっても、ひとつチャンスを掴んでゴールを入れれば、その日の 英雄です。そこへゆくと、守る方のフルバック、ゴールキーパーは20の危機を救 ってもまあ当然、たったひとつの失策で点をとられれば、味方と応援の人たちを がっかりさせます。つまりバックスには、ほんとうはただひとつのエラーも許さ れないというきびしさと苦しさがあるわけです。 そこで、ホワードは作家、バックスは翻訳者という感じがしませんか。原作者 の書くものには上手下手はあっても語学上の間違いはまあないでしょう(いずれ にせよ、当たればベストセラーですからね)。ところが翻訳者のほうは苦心して全 訳しても、その中にちょいちょいと誤訳があると、たちまち減点です。まさにフ ルバック、ゴールキーパーです。 もっとも、この頃は一般観衆の眼もこえてきましたから、かえってホワードの得 点力の不足が非難されたり、バックスの好守がほめられたりするようにもなりま した。翻訳のほうも翻訳というものの困難さが一般に解って来たためもあって、 そう一概に誤訳を非難する傾向もなくなりました。そして翻訳者も「疑問のある 点は原著者に直接指示を求め」たり,あるいは「難解なところは○○大学のドイ ツ人講師××氏にただし」たり、(と訳者の序やあとがきに断って)責任ある翻 訳を心掛けるようになりました。大変よいことであり、また良心的なことである と思います。 ただひとつだけ、まま、いやよくあることですが、訳者が「なんら疑問がない」 とおもい「難解でない」と考えた個所、そこに案外大きな穴があって誤訳をしで かすことがあります。何でもないと思っていた個所を、教室で質問があって、ハ ッと思うこともあり、まいったと思うこともあります。教室では、間違っても訂 正できますが、翻訳の場合は、昔とくらべて誤訳指摘が寛大になっただけ、自分 では気がつかず減点をされただけに終わる危険性が多いと思います。 大丈夫と思ったところ、そこをもう一度念を入れて調べ、また考える、これが 外国語の勉強です。そこに進歩もあるのです。 (8月号) 知識欲 大 野 勇 二 ☆ 知識欲のことをドイツ語で Wissensdrang [ヴィッセンス ドラング] m といいます。 Wissen n は「知識」、Drang m は「衝動」、-s- はつなぎの s です。 つまり「知識に対する衝動」「知りたい知りたいという心」という意味ですね。 ☆ それでは知識欲の旺盛な人間はみな利巧(klug [クルーク])かといいますと、必ずしも そうではなさそうです。なかには馬鹿じゃあるまいかというのもいますね。学者馬鹿という 言葉さえあるくらいですからなあ。 ☆ つまり知識欲と利巧と馬鹿とはあまり関係がありません。大学を優等の成績で卒業したもの はみな出世するかというと、あまり出世しないといいます。かえって成績の悪い方が出世 する率が多いというのですから、出世をしたいという人はあまり知識欲に頼らない方が 賢明かもしれません。 ☆ そういうわけですからちかごろは知識欲という言葉はあまり流行しないようですね。 その代わりに進学率というのが盛んに用いられます。進学のために勉強するんで、知識欲 にかられて勉強をするというわけではなさそうですね。 ☆ ほんとうは知識欲にかられて学問をやる。出世する、しないは問題ではないはずですが、 kluger Mann(利巧な男)、 kluges Maedchen(利巧な少女)は、すべて実利的な道へと 走ります。これがまあ現代の風潮ですね。 ☆ ところがなかには知識欲の上にデーンと腰をすえて、いっこうに将来の出世など 考えず、こつこつと勉強するタイプの人もいます。こういう人はちょっと見ると馬鹿げて みえますが、決して馬鹿者ではありません。 ☆ それでは本当の馬鹿者はドイツ語では何というのしょうか? 男の場合は alter Esel m 馬鹿男 [注] 文字通りには「老いたるロバ」。 または Idiot m [イディオート] といいます。 女の場合は dumme Gans f 馬鹿女 [注] 文字通りには「愚かなガチョウ」。 といいます。日本でも馬鹿のことを頓馬といいますが、鳥のついた蔑称はないようですね。 (8月号)