基礎ドイツ語

ドイツ留学前に数年間、この三修社の雑誌を購読していました。
ドイツ語の能力はさっぱり上達しませんでしたが、ドイツ語の文法の
知識はこの雑誌のおかげで高いレベルを知ることができました。

この記事の転載については、出典を明示し原文を変更しないという条件のもとで、三修社から許可を得てあります。

第23巻第1号−第12号(昭和47年5月−昭和48年4月)

巻頭言
   初心忘るべからず
                         野田保之

「俳優として大成するには、どんな人間が最も適しているのか?」という問いに対して、
「新しい物事に接したときに、素直に感嘆の目を見張ることのできる人だ」とある高名な
新劇の演出家が語っているのを以前聞いたことがあります。これは演劇を職とする人に
限らず、どんな仕事に従事する場合にも強く求められてよいことだと思います。今から
200年あまりも前に杉田玄白がオランダ語の「解剖図譜(ターヘル・アナトミア)」翻訳
を志したのも、またその意志を貫き通すことができたのも、このような心の持主だったから
に違いありません。現代の日本は玄白たちがオランダ語を無手勝流で翻訳した時代とは異な
って、 NHK のラジオ・テレビ講座はあるし、この「基礎ドイツ語」のように懇切丁寧な
学習の手引きをしてくれる月刊雑誌はあるし、各種の参考書も目白押しに出版されている
文明時代(?)ですから、ドイツ語の勉強には恵まれ過ぎた、といってもよい環境です。
Aller Anfang ist schwer. 「すべて始めがむずかしい」とは有名な諺ですが、恵まれた
環境のもとでは、この「始め」を突破することも比較的容易ではないかと考えられます。
文法がうるさい、変化が多いということは、それを覚えてしまえば、あとは単語の知識を
増していくだけでドイツ語を征服しうると約束しているようなものなのです。その「覚えて
しまえば」のくだりが泣き所なのだ、私は「居眠りしても学べるドイツ語」という参考書
が出版されるのを首を長くして待っているのだから、という御仁がいたら、それはもはや
論外といえましょう。このような心がけでは人生の落伍者にもなりかねませんね。杉田玄白
が翻訳の過程で、またこの大事業が完成したときに感じた喜びは、長い年月にわたる血の
出るような労苦と努力があったればこそだと思います。みなさんも玄白と同じように
「憤然として志を立て一精進し見申さん」とひとたび心に決めたからには、これからもつねに
新鮮な問題意識を持ちつつさらに努力を重ねてください。 Ende gut, alles gut.
「終わりよければすべてよし」という諺もあるではありませんか。「初心忘るべからず」です。
    (9月号)

 

Tier, Animal,  ケダモノ!
              平尾浩三

昔、ドイツにいたときの話。 ドイツ人の
友達がイタリアのジェノアから船に乗ると
言います。イタリアの土をまだ踏んだこと
のない僕はイタリア旅行をかねて港まで見
送りに行こうと思います。途中あちこち見
物したいので友人とは別々に出発すること
としジェノアで落ち合う約束をします。

「ジェノアのどこへ行けばいいんだい?」と
電話で聞くと「船会社の代理店へ行って
Tiername[ティーア・ナーメ」をたずねたま
え」と彼は言います。「動物名」(Tier 動物、
Name  名前)とは妙な話、きっと秘密
の符号かなと喜びながら僕は気ままなひ
とり旅、やがて予定の日にジェノアに着き
ます。

急いで代理店を探しあてた僕は応対
のイタリア美人に向かって堂々胸を張り
Tiername?とたずねます。しかし彼女はキ
ョトンとしています。 ドイツ語が通じない
んだなと思って今度は一層大きな声を出して
Animal name ? と英語で言ってみます。
ところが美しき彼女はますます不思議そう
な顔をするのです。船出の時は刻々近づく、
僕は気が気ではなくなり Nom d'animal !!
などと珍妙なフランス語まで使ってみます。
その頃には事務所の人達が全員僕のまわり
に立ちつくし心配げに顔を見合わせては何
かささやいています。 どんなに大声でどな
っても何語を使っても駄目です。とうとう
僕はたまりかね人垣を分けてタクシーにと
び乗り港へ行けと命じます。船の名を告げ
ると運転手さんは心得て案内してくれ僕は
かろうじて友人と別れの数分を惜しむこと
ができたのであります。

しかしTiername とは何の暗号だったのか?
あんなに手をかえ品をかえ叫んだのに
何故だれにも通じなかったのか?
不審な気持のまま翌日ドイツの大学町へ
もどって来ます。

数ヵ月たちます。ある日何のハズミにか
脳裡にひらめくものがあって
思わずとび上がります。そうだ、あれは
Tierではない、Pier[ピーア](突堤)
だったのだ!ああ、どうしてこれ
に気付かなかったのか?!PとT、わずか
1文字の違いだがPier→Tier→animal と
なってしまうとまさかこれが突提のことと
はだれが思いつこう!……それにしてもい
きなり出現した東洋の少年がケダモノ!ケ
ダモノ!と騒ぎだしたときあの港町の人達
はどんなに驚愕したことか。その光景を思
い出すたびに今なお僕は笑いがとまらぬと
同時にどこかの町ではきょうもだれかが似
たような叫びをくり返しているような気が
して声をかぎりに泣きたくなります。
    (9月号)

このおかしいがどこか悲しい話を書いた平尾浩三先生から
転載許可のお手紙をいただきました。

             

 

 

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