ドイツ留学前に数年間、この三修社の雑誌を購読していました。
ドイツ語の能力はさっぱり上達しませんでしたが、ドイツ語の文法の
知識はこの雑誌のおかげで高いレベルを知ることができました。
この記事の転載については、出典を明示し原文を変更しないという条件のもとで、三修社から許可を得てあります。
ニーチェの生の二重性 西 尾 幹 二 ニーチェについて短い紙数でなにかまとまったことを言うのは大変難かしいこ とです。ゲーテの場合に考えられる自然な成長、経験から得られる豊かな自己教 育、「発展」とか「形成」といった概念は、ニーチェの生涯にはあまり当て嵌ま らないように思えます。思想は初期においてほとんど出揃っていたとも言えるか らです。彼はゲーテのような意味における「成熟」ということを拒まれた人でし た。ゲーテのように浪漫主義の病的な自我崇拝を克服して、古典主義へ転身して 成熟するといった契機を、彼はもたなかったのではなく、ニーチェには浪漫主義 と古典主義のその両方がともに存在しなかった、と言った方が正しいかもしれま せん。彼はまったく新らしい自我だったのです。 勿論(もちろん)、ニーチェにはニーチェなりの思想の深化、成熟ということがたしか にありましたが、それは彼の生涯から健全な社会生活を奪うような完璧に孤独な 思想であって、最後の数年間に、思想が深まるにつれ、彼はますます孤立し、ア フォリズム様式の不安定で、危機をはらむ、白熱的な文体を確立していきました。 しかし、極端に誇り高い社会的孤立と、文体上の緊張のうちにも、自己欺隔がも う一つ別にあることに、彼は十分に自覚的であったと思います。人間がそれほど に強靭なものでないことを、経験から正確に知っていたと思えるからです。自分 の弱さを勇気づけるために、彼は弱い自分をあえて他人に見せようとはしません でした。それは自分に対する礼節であったともいえましょう。自己と闘わざるを 得なかった所以(ゆえん)です。 ゴットフリート・ベンが言うように、彼はたしかに「非伝記的な自我の所有 者」であったのかもしれません。ニーチェを伝記や評伝という心理解釈の方法に よって捉えようとした後代の試ろみはおおむね失敗に終りました。彼自身が知的 解釈や心理分析などではとうてい及びもつかない絶対的な問題に直面していたか らです。歴史を垂直に貫く真理への瞬間的接触という緊張を、若い頃から発狂に 至るまで、一貫させていたともいえるからです。その生涯のどこを切って、どこ の切り口を見ても、神なき地平において救いは可能か、という一つの声がリフレ インのように響いてきます。芸術や科学を論じても、問はその方向を向いていま す。彼は古典文献学者として、ギリシア学に関し、若くして一流の業績をあげま した。しかし彼は学問を信じてはいなかった。いや、正確にいえば、 学問を強く信じ、そして信じると同時に、ただちにその信念を使い捨てた、 と言った方がよいでしょう。彼は若いときにショオペンハウエルやワーグナーを 信じました。少したってからヴォルテールの啓蒙主義を信じました。 そしてどれも信じてはいなかった。彼ほど多くのものを烈しく信仰し、 烈しく懐疑した精神も珍らしいでしょう。 過去を反省ばかりし、未来の予想にばかり明け暮れる近代の蒼ざめた思想は ニーチェにはまったく縁がなく、ともあれ彼は生の燃焼の場としての 「現在」を大切にした人です。そのために彼は、多くを信じ、多くを否定せざるを 得なかったともいえましょう。さいごにいくつかの言葉が残りました。 「超人」とか、「権力への意志」とか、「永劫回帰」とかです。 だが、そういうものを本当に持続して彼が信じていたのかどうかは解りません。 それらは明確な内容のある、輪郭の定まった概念ではないからです。それ らの概念の定義不可能な、無限定で、矛盾した性格が、ニーチェの本当の動機が 何であったかを明らかにしていると言えるかもしれません。 ニーチェにとって「真理」とは、いろいろな思想を通過して、抽象的な思考を 積み重ねた結論として、はじめて成立するといったたぐいのものではなかったか らです。それは瞬間と偶然とから成り立っているなにかでした。理論にも体系に もなり得ません。ときには全身の充実したある種の沈黙のさなかに、直接的に発 現するような、神秘的ななにかであったのかもしれません。 ゲーテは楽天的な宿命観、人間を信頼したペシミズムをもって、万有の唯中に 立つ、という生き方でしたが、ニーチェは、暴露的な手法で、言葉の背後にある ものの仮面を剥ぐという「表現主義的」な情念をたしかに持っていました。けれ どもロマン派と異なるのは、彼もやはりゲーテと同様に、言葉の背後を無限に掘 り起すことの不毛を知っていたことです。ニーチェもどちらかといえば、「素直 な心」を愛した人で、外面や表皮を素朴に信じ、愛することを他人に勧めた人で す。自分の経験から、仮面の背後への果てしない真理認識の情熱がどれほど容易 でなく、そのこと自体が、ひとつの嘘になることをもよく自覚していた人だった のです。だが、それでいてゲーテと異なるのは、彼は仮面の奥にあるものに不断 におびやかされていた点です。内面の不毛を知りつつ、内面の底知れなさに魅か れるという二重性が、不安と不気味さをたたえつつ、ニーチェには生涯つきまと っていたといえましょう。 (7月号)
西尾先生から転載許可のハガキをいただきました。
私のタイプミスがあったようです。
古い本なのでイメージスキャナーが読みとり困難のため、半分くらいの文章を手入力したのです。
さっそく指摘のあった箇所は直しました。
うそ 青木欽次 よくまちがっていることを「うそだ」という人があります。「東京都文教区」「うそよ、 文京区ですよ」、「この辺は風致区ですよ」―「うそよ、風致地区ですよ」 [リューゲン] luegen 「うそをつく」というのを独独字典で引いてみると、「真実ではない ものを意識して、人をだますために言うこと。言っていることをけなしていうことばである」 というようなことが書いてあります。 満座のなかで、ご婦人の人に「うそよ」なんていわれると、ほんとに怒りたくなります。 違ったことをいったのにけなされたのですから、怒るのはあたりまえです。 「ちがったというのと、うそとはまったくちがいます。うそというのは違っていることを 悪用するときにいうものです」とわたしはあるご婦人にはなしたのですが、 「うそよ、あなたのいうことが、まちがっているのよ」といわれました。 ことばというものは、大勢の人がなんども使うと、それがまちがっていても、 本当であるかのように思われてきます。 ドイツ人などがまちがったことをいったとき、この日本式の「うそよ」を訳して Sie luegen [ズィー リューゲン]「きみはうそをついている」などといったら、 それこそ大変です。決闘を申し込まれるかもしれません。 Das ist nicht recht.「それは正しくない」といえばよいのです。 あるとき、わたしのつとめている役所へ、働かないでお金もなくなって困っているという人の 訴えがありました。その人の会社へ電話で様子を聞いて見ましたところ、会社の人は その人はうそばかりついて困るとのことでした。その人はあるとき会社の人たちに父が死んだ ので郷里へ帰るといったので、会社の人びとはお悔やみをいって、香典をおくりました。 ところがそれから1ヵ月たつかたたないうちに、こんどは父が病気で入院したから郷里へ 行ってくるといいました。それで皆はびっくりしてしまったそうです。 Ein Luegner muss ein gutes Gedaechtnis haben. うそをつく人は記憶がよくないといけない。 これはドイツのことわざですが、うそをついて父を殺しておいて、つぎに病気だとうそを ついたのでうそがばれたということによくあてはまることわざですね。 この人は精神病院で診察してもらって、入院しました。 日本のことわざにも「うそつきはどろぼうのはじまり」というのがあります。 ドイツには、「うそつきと、どろぼうは絞首刑にされる」というのがあります。 「紺屋のあさって」これなぞは商売上のうそで、あさって、あさってなどといって 1ヵ月ものばすこともあります。 おそば屋さんや、おすし屋さんにあまりもってくるのがおそいので電話をかけると、 「今でました」と返事をしながら、まだでていないので、にやっと笑っていることなど、 よくあることです。 ある子供が村で、「狼がきた、狼がきた」とうそをいって、村人をさわがせていました。 あるとき、ほんとうに狼がきたときに、村人がまたあいつうそをついてやがるといって、 助けに出なかったので、とうとう狼に殺されてしまいました。 ドイツ人のことわざにも、「一度うそをいった人は、他人はこれを信じない。たとえ 真実をいったとしても」というのがあります。 [ベトリューゲン] betruegen というのは「だます」ということばです。 図のように洋酒のビンが「あげぞこ」になっているのがよくあります。 ドイツ語ではこの「あげぞこ」のことを [ベトリューガー] Betrueger 「だます人」 といいます。ビンの底のほうまで、お酒がはいっているかと思ったら、あげぞこに だまされた。畜生め、といった工合で、ユーモアたっぷりの言葉です。 ところがこのうそつき先生を利用している人があるのです。 このあいだ、テレビで見たのですが、このだまし屋の部分に宝石をセロテープで はりつけて、税関を通過させようとしたのが見つかった場面です。 これなぞは、二重のだましで、密輸入者も、よくも考えたものだし、税関の役人も、 よくもこれに気がついたものだと、感心いたしました。 (7月号)
わかりきった話 真鍋良一 辞書というものはある意味では便利なもので、自分の知らない語をひきますと、 ちゃんと意味がわかる仕組みになっております。ですから一般に辞書というもの は知らない語を調べる書物と考えられています。ですからわたしたちも知っている 語やわかりきった語は辞書でひかないのが普通です。 ドイツ語にしても Vater とか Mutter とか言う語は、たいがい初等の読本や文法に出てきますから、 辞書のお世話にならずにおぼえてしまい、いわゆるわかりきった語の中に入れて しまいます。 しかしこういうわかりきった語、たとえば Vater や Mutter は何という意味 ですか、といわれるとドイツ語で説明するのはちょっと苦しいです。そこにいく と日本語は楽で「父」「母」を辞書でみますと「男の親」「女の親」で、まこと ズバリと説明ができます。ではこの「親」とは何か、今度は和独でひいてみますと、 [エルターン]Eltern 「両親」(複数形だけの語です)とか Vater, Mutter と出て きます。そうすると「男の親」「女の親」はどうも翻訳不可能です。では独独の 辞書でみますと 「子供をつくったことのある男」「子供をうんだことのある女」 と出ています。ところが辞書によるとこの「子供」を ein Kind (単数)としてある るのもあり、[キンダー]Kinder(複数)を使ってあるのもあります。へりくつを言う と Kinder を使った辞書によれば、1人しか子供をもっていない親は父ででも母 でもなくなりそうです。単数のほうでいくと、2人以上の子持ちは父母の資格なし ということになります。もっとも大変に注意深く「1人または何人かの子供を...」 と説明してある辞書もあります。 では男(Mann)と女(Frau)を独独で見ますと「男性の人間」「女性の人間」 としてあって、そのものズバリです。ところが 国語辞典を見ますと「男性、男子」「女性、女子」と言いかえてあるのもあり ますが、なかなかこったのもあります。「男―― 人のうちで、力が強く、主と して外で働く人」「女―― 人のうちで、やさしくて、子供をうみそだてる人」と いうのもあります。これによると男女とも資格喪失の人が相当あるのじゃないか と、ちょっと気になります。 では最後に辞書とは国語辞典によると「ことばを一定の順序にならべて、 発音、意味、用法などを書いた書物」ですが、独独を見ますと 何れも「ABC順にならべ」とあります。そうすると国語辞典は辞書じゃない のか。いやはやむずかしいことです。 (7月号)