基礎ドイツ語

ドイツ留学前に数年間、この三修社の雑誌を購読していました。
ドイツ語の能力はさっぱり上達しませんでしたが、ドイツ語の文法の
知識はこの雑誌のおかげで高いレベルを知ることができました。

この記事の転載については、出典を明示し原文を変更しないという条件のもとで、三修社から許可を得てあります。

第23巻第1号−第12号(昭和47年5月−昭和48年4月)

ドイツの歴史
                         小塩 節

ゲルマン ドイツ民族は昔からいくつもの部族にわかれていました。北欧バルト海沿岸
地方にいたゲルマン民族が、次第に力を得てヨーロッパ各地にひろがり、南のローマ帝国
からさまざまな文化を学んで、ヨーロッパの大部分を形成していきましたが、その過程で、
さまざまな部族が形成され、いわばそれらが集まってドイツ民族というものをつくりあげ
ました。

フン族の侵入によるゲルマン民族大移動の開始は、西暦375年(ミナゴロシの年)だ、と
いうふうに学校の教科書にはのっていますが、実際にはそれよりずいぶん前から民族移動
が起こっていました。「ブルータス、お前もか」で有名なシーザーは、大軍をひきいて今
のドイツ、フランスの治安平定に乗り出してきたわけです。しかし西暦9年には蛮族ゲル
マンのほうが、当時世界最強であったローマの軍隊をトイトブルクに破ったため、ローマ
軍はライン川を、対ゲルマン防衛線にしたものでした。そのなごりというべきものが、ロ
ーマ軍の駐屯地「コローニア」であった、ケルンやボンやマインツの町です。

ゲルマン民族大移動ののち、現在「ドイツ」と言われている国土に、諸ゲルマン民族が
定住していきますが、大ざっぱに言うと、アレマン族とバイエルン族が南ドイツに住み、
フランク族が西、テューリンゲン族が中部ドイツ、そしてザクセン族とフリースランド族
が北独に定着しました。今のドイツ各地の方言は、実はその頃からのものです。

フランク王国 ご存知のようにフランク族がこれら諸部族
をひとつにまとめあげました。フランクの最大の王はカー
ル大帝 Karl der Groβe [カルル デア グローセ]です。
フランス語ではシャルルマーニュと呼ばれます。今のドイ
ツとフフンス、北イタリアをうって一丸とした大王国を築
いたわけで、西暦800年のころに、すでにEC「ヨーロッ
パ共同体」の原型ができたのでした。

カール大帝が死んだあと、彼の3人の孫たちが王国を3
分割してしまいました。 843年のヴェルダン条約です。そ
の結果、ライン川の東に、東フランク王国が成立しました。
91!年にフランク侯コンラートを王に選んがあと、東フラ
ンクは他のフランク諸国と並んで独自の発展をとげはじめ
ます。この時から、ドイツ史がはじまるとされます。

神聖ローマ帝国 西暦10世紀なかごろにオットー大帝 Otto der Groβe が、教会の力を
もかりて地方諸侯の力をおさえ、国家体制を強化し、ちょうど800年にカール大帝がロー
マで教皇から帝冠をうけたのと同じように、やはりローマ教皇から帝冠をうけたのが962
年。ここに「ドイツ民族の神聖ローマ帝国」が誕生しました。

シュタウフェン朝 12世紀に帝国はシュタウフェン朝のもとで繁栄の頂点に達します。文
化的にも中世騎士文化の花が咲きました。宮廷叙事詩や恋愛詩ミンネ・ザングがつくられ、
建築や彫刻では後期ロマネスクから初期ゴシックのすばらしい花が開いたのでした。
しかし、体制の担い手だった騎士が次第に経済力を失い、都市というものが各地に形づ
くられ、市民階級がおこってくる歴史の中で、帝国は段々力を失っていきますが、15世
紀にはオーストリアを基盤とするハープスブルク家が帝位をとり、ドイツは形の上では世
界的大国になっていきます。

宗教改革 1517年10月31日、マルティーン・ルター Martin Luther がヴィッテ
ンベルクの城教会の扉に95粂の反免罪符論を貼りつけたことから Reformation[レフォル
マツィオーン]「宗教改革」がはじまります。このためヨーロッパの教会の統一は破られ、
新旧両教派の対立が列強に利用され、30年戦争(1618年―1648年)がひきおこされ、ド
イツは荒廃をきわめることになります。文化も何もかも、ドン底におちてしまいました。

百年以上たって、ようやくドイツは力をつけてきます。18世紀にプロイセンが強固とな
り、この国のフリードリヒ大王は、オーストリアのヨーゼフII世とならんで「啓蒙君主」
の代表者といわれました。北のプロイセンと南のオーストリアは仲が悪くて、1866年に
やっと普墺(ふおう)戦争でケリがつきました。

ドイツ帝国 1871年に新しいドイツ帝国が生まれました。プロイセンがフランス
に勝ち、プロイセン王が皇帝となりました。明治時代の日本が軍事・法制・学問の師とし
て仰いだのは、このドイツ帝国です。資本主義の上昇期に、このドイツ帝国は、経済的に
爆発的な上昇をとげ、学問、技術、文化の各分野で全世界をリードするにいたります。

第三帝国 ヒトラーが政権をとったのが1933年、その没落が1945年。わずか12
年間のナチ支配による第三帝国は、ドイツを再び破滅の那落におとしいれ、東西ドイツの
分裂を招いておわりました。しかし経済的には、東西両独とも今や再び世界第一流国にな
ってしまったのですから、ドイツ民族とはおそろしい国民です。
     (6月号)

 

外来語の話
                        高木 実

[ムーウム]     Museum      n 博物館 (英:museum)
[テンペラゥーア]  Temperatur  f 温度  (英:temperature)
[プレズィント]   Praesident  m 大統領 (英:president)

上のドイツ語の単語は英語とよく似た顔つきをしていますね。英語を知っている方なら、
ああそうかとわかってしまうでしょう。でも意味がわかったからといって、それで安心
するのはちょっとまってください。

発音とアクセントに十分注意せよ 英語の[ミューィアム][ンプリチャ]
[プズィデント]がドイツ語では[ムーウム][テンペラゥーア][プレズィント]と
発音されます。これらの単語はもともとはギリシア語やラテン語に由来し、それが
ドイツ語や英語などに取り入れられたのですが,発音とアクセントの位置はそれぞれの
国語によって特徴があります。
 ドイツ語の発音のおおすじは5月号で真鍋さんが説明されているとおりなのですが、
一見英語とよく似たこれらの外来語の発音はふつうのドイツ語の単語の発音とちがう場合が
かなりあります。そこのところをまず注意してください。いちばんよい方法はそういう単語
がでてくるたびに口で何度も発音しておぼえることでしょう。それからアクセントの位置も
ふつうのドイツ語の単語のように第1つづりでなく、できるだけ後ろのつづりにあります。
 そのつぎに注意することは、名詞ならドイツ語では性があります。Museumは中性、
Temperatur 女性、 Praesident は男性ということもぜひ知らないといけません。
 ローマにコロシュームという有名な古代ローマの円形大演技場の遺跡があります。
英語は Colosseum [コラィアム] ですが、ドイツ語では Kolosseum [コローウム] n
と発音します。これをある日本の人が [コロィアム] と何度いっても相手のドイツ人には
通じませんでした。外来語の発音を正しくおぼえることはとても大事ですね。
 次によくでてくる外来語で、気をつけなければならない発音になる単語を少しご紹介
してみましょう。

[ナツィーン]        Nation        f 国民 (英:nation)
[ツィヴィリザツイーン]   Zivilisation  f 文明 (英:civilization)
[パツィント]        Patient       m 患者 (英:patient)

これも英語とそっくりの顔をしていますが、やはりラテン語系の単語です。いまでてきた
 -tio、 -tie をドイツ語では [ツィオ]、[ツィエ]と発音します。英語の読み方とは
ずいぶんちがいますね。 Nation と関係のある international [インターナショナルな]と
いう形容詞の場合も、 [インターナツィオール] となるのです。
 外来語にはギリシア語、ラテン語の古典語からドイツ語に入ったもののほか、国が隣
ですからフランス語から来たものがたくさんあります。

[ガージェ]   Gerage  f ガレージ
[オーンジェ]  Orange  f オレンジ
[ジェー]    Genie   n 天才

ge を [ジェ] と読む例です。フランス語ですと Gerage は [ガージュ]、 Orange 
は [オーンジュ] となるのですが、ドイツ語では最後の e も発音して [ジェ] といいます。
しかしドイツ語では本来 [ジャ]、[ジュ]、[ジョ]の音がないので Gerage を [ガーシュ]、
Orage は [オーンシェ] で間にあわすドイツ人もいます。日本の [柔道] Judo を [ードー]
[遊道?] になってしまうわけです。
 このほか、フランス語の eu はドイツ語では oe [エー] ですから、 [理髪師] Friseur
は [フリーア] 、「運転手」 Chauffeur [ショェーア] m と発音します(どちらも男性)。
 それから au は 英語流に [オー] ですから、 [レストラン] Restaurant は [レストーン]
となって最後の t は発音されません(これは中性)。
 外来語にはいろんなものがありますが、でてくるたびによく注意して発音、性、さらに複数の
形もおぼえるようにしてください。
     (6月号)

 

Rolltreppe
                尾 崎 盛 景

福山さんが「挙形としての不定句」(19
ページ)のお話をしてくださっています。
不定句はドイツ、語の構文の基礎になる句で、
それからさまざまの表現が派生するわけで
すが、不定句がそのままの珍で看板やポス
ター、それにパンフレットの注意書きなど
によくつかわれます。

下の写真はドイツの die Rolltreppe
[ロルトレッペ]「エスカレーター」の写真
です。階段die Stufe [シュトゥーフェ]の
ところに次のようにしるされています。

LINKS GEHEN  RECHTS STEHEN
リンクス ゲーエン     レヒツ  シュテーエン
歩く人は左        立つ人は右
[遂語訳] links 左側を  gehen 行くこと
rechts 右側に    stehen 立っていること

一般の人に対する指示や命令はだいたい
このように不定句で表わすのがふつうです。

もっとも下りのエスカレーターでは、こ
の注意書きは書いてあっても見えはしませ
ん。どこかのばあさんが左側に立っていて、
後から下りて来た紳士にどやしつけられ、
ばあさんも負けじとばかり食ってかかって
いる風景を見たことがあります。日本では
むかしはエスカレーターの上は歩かないよ
うにという指示がありました。あちらでは
むしろ歩くように指示してあるわけです。
そのかわり Auf eigene Gefahr! [アオフ
アイゲネ ゲファール]「自分の危険を期
して」です。「足もとにご注意ください」
といったところでしょうが、「何かあって
もお前の責任だぞ」といわんばかりの気が
します。そういえば上りのエスカレーター
で下りようと無茶をしているじい様を見た
ことがあります。まわりの人たちがはらは
らしてやめさせようとするのですが、いっ
こう聞き入れようとしません。あれも自己
の責任においてやっていたのかもしれま
せんが、やはり傍(はた)迷惑ですね。
     (6月号)

             

 

 

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