基礎ドイツ語

ドイツ留学前に数年間、この三修社の雑誌を購読していました。
ドイツ語の能力はさっぱり上達しませんでしたが、ドイツ語の文法の
知識はこの雑誌のおかげで高いレベルを知ることができました。

この記事の転載については、出典を明示し原文を変更しないという条件のもとで、三修社から許可を得てあります。

第23巻第1号−第12号(昭和47年5月−昭和48年4月)

巻頭言
   語学はスポーツ
                         真鍋良一
わたしがはじめてドイツ語を習ったドイツ人の先生が、学校がはじまって最初
の時間に、こんなことを申しました。 もちろん日本語でです。「さあ、これから
わたくしたちはドイツ語をやるのです。」といってひと息つき、「みなさんは語学
というものを何だと思っていますか。 語学はスポーツです。」と言われました。
あとは何を言われたか、忘れてしまいましたが、この「語学はスポーツです。」と
いう言葉は妙に印象に残っております。

実際に新しい言葉をやってみると、正にスポーツですね。似ていると言ったほ
うがよいかもしれませんが、テニスでもスケートでもサッカーでも、はじめはど
うしてもコーチや先輩のやるようにうまくいかないのですね。しかしやっている
と、だんだんボールのコントロールもできるようになり、転(ころ)ぶ回数も少なく
なってきます。そしだんだんおもしろくなってくるのです。早く大選手なみの
プレーができるようになりたいという、いい意味の野心もわいてきます。実際に
コートやスケート場やグフウンドで練習する以外に、テニスやスケートやサッカ
ーの本など買ってきて読むようにもなります。読んだことをまた実際にやってみ
たくもなります。

これ以上は説明する必要はないと思いますが、こういう点は語学と本当によく
似ています。読めなかったものが読めだしたときのうれしさ。全然わからなかっ
た文の意味がわかってきたときのたのしさ。本当にスポーツでだんだん上達して
きたときのうれしさ、たのしさと似ています。

学問をやるのだといった堅い気持ちでなく、スポーツをやるつもりで、ドイツ語
をはじめてごらんなさい。たのしいですよ。もちろんスポーツにもたのしさばか
りでなく、苦しいときもあります。語学でもそうです。しかしあとで考えると、
その苦しさもたのしい苦しさとして思い出にのこります。それをのり越えてきた
という気持ちも、またすてがたいものがあります。まあ、そんなつもりではじめ
ていただきましょう。
     (5月号)

 

ドイツとはこんなところ
                         小塩 節

現在の日本人の生活をひとことで言えば
「モーレツ」と申せましょう。朝から晩ま
で、1週間中、いや1年中、モーレツに仕
事、仕事、仕事。忙しいなんていうもので
はない、1分刻み、1秒刻みの仕事です。
入間が仕事をするのではない、仕事が人間
を支配しています。そういう現代日本の代
表的人間は「モーレツ社員」でしょう。ほ
んとにいきをつく間もないような、仕事の
連続です。いったい何のために仕事をする
のか、と問うことも許されません。そんな、
問いかけを自分にしたら、フット「脱サラ」、
「脱社会」の思いにとりつかれてしまう、
といったぐあいです。

ドイツではどうなのでしょう。ドイツ人
の生活をなにかひとことでうまく言い表わ
すことばがあるでしょうか。ちょうど日本
人の生活を「モーレツ」と表現することが
できるように、ドイツに適当なことばがあ
るのでしょうか。

あると思います。たぶん、こう言っていい
いでしょう:
  Alles in Ordnung.
  万事(すべて)うまくいっています。
「万事オーケー」と訳したほうがいいか
もしれません。落ち着いて、ていねいに言
うときには Alles ist in Ordnung. なので
すが、早口で言うときには英語の is に
あたる ist をはぶいて申します。
逐語訳をしますと、 alles すべての
ことは Ordnung 秩序 in の中に、という
わけです。万事好都合、と日本語でいうと
きにこもっている、「ぐあいのわるいこと、
まずいことをなんとかひっこめ、片づけ
て、どうやらよさそうだ。やっちゃえ」と
いうふうなモーレツで、しかも甘いところ
がない言葉です。まるで数学か機械の精緻(せいち)
なメカニズムを扱っているかのように、
「万事は秩序の中にある」というのです。

このことばを、ドイツの社会生活では、人
びとは意識しないでしょうが、なんと
よく使うことでしょう。おしまいの口調を
上げて「アレス イン オルドヌング?」
ときけば、「どう、万事うまくいってる?」
という質問です。それに対する答えも、
同じ文型のおしまいを下げて発音すれば
よいわけで、 Ja, alles in Ordnung.
「ヤー、アレス イン オルドヌング」
です。「うん、うまくいってるよ」と
返事をしているわけです。

ドイツ人はおそらく、こういう短い会話
をかわすときに、いちいち「秩序」、「整頓」
「ものの順序」がいいか悪いかを、そのた
びに意識はせずにうまくいってるかどう
か、ときいたり答えたりしているのでしょ
うが、しかし、彼らの意識下には、たしか
に一種の「秩序感覧」と名づけたくなるよ
うなものがあります。しいて申せば、われ
われ日本人は清潔好(ず)きな民族であり、
ドイツ人は秩序好きな国民だと思います。

彼らドイツ人が都市を造り、道路を建設
し、家を建てるときに、こうした秩序感覚
は実にみごとに発揮されます。ヨーロッパ
人がローマ人から受けついだ建築法ですけ
れども、町の真中に広場をもうけ、下水と
道路を設備してから、平均5階建ての家を
キチンとそろえて町づくりをしていく。道
路にはことどとく名前をつけ、家の番号を
都心の側から順番につけていきます。日本
の都市はまさに、ドイツ的都市計画の正反
対で、行きあたりバッタリ、東南アジア的
というべきやり方です。

またある仕事をするときにも、キチンと
書式をととのえないとはじまりません。昔
の日独両国の恥を、むごくあばくことにな
りますが、たとえばユダヤ人を600万人ガ
ス室で焼き殺したあのナチの虐殺でさえ、
どこの何というユダヤ人で、何歳、本籍現
住所その他、キチンと書類をつくり、何月
何日どこで「処理」したという記録をのこ
します。バカだと言ってしまえば、まった
くバカなはなしなのでして、そのために
600万人という数が正確に残ってしまいま
す。ところが皇軍といわれた日本軍が、中
国でたとえば三光作戦なんていうのをやり
ますと、発作的憤怒・虐殺衝動に身をゆだ
ねて切りまくり殺しつくしてしまって、い
ったい何十万人の中国人をあやめたのか、
誰もわかりません。責任がどこにあったの
かさえ、わかりません。同じわるいことを
しても、イギリス人やフランス人は、白分
の手を汚さずに、人をしてやらしめるとい
うずるさがある −、これはぼくの言葉で
なく、サルトルの自己批判です。国によっ
て、その国民性はずいぶん違うものです。

さて、ドイツ人の秩序感覚に話をもどし
ましょう。彼らの生活の流れも、忙しいし、
よく働く連中です。イギリスやアイルラン
ドから、またはイタリアから久しぶりにド
イツに戻っていくと(戻る、というのは、
やはりドイツがぼくにとってはヨーロッパ
ではいちばん「ふるさと」の感じだから、
ついそう言ってしまうのですが)、よその
国では朝のラッシュアワーは8時半ごろか
ら9時にかけてなのに、ドイツのそれは7
時から7時半です。6時半にはもう出勤し
ているサラリーマンがよくいます。よく働
くこと! 体力もあるのですね、徹夜で飲
んでも二日酔いをぜったいにおもてに出し
ません。学生だってそうです。家庭の主婦
はもっと忙しい。けれども、銀行だろうと
お店だろうと1時から3時の昼休みはキチ
ンと守り、夕方6時には何もかもピタリと
閉まってしまう。レストラン、カフェーを
除いては。そして電話などもその昼の時間
にはかけたって通じないし、かける人もな
い。夕方も8時すぎて電話するのは家族の
間や親友を除いてはありえません。社会的
や約束が実にみごとに守られています。

週5日制ですから土・日は完全な休みで
す。生活にそういうリズムがあります。そ
して、夏には4週間、冬には2週間、かな
らず休暇をとります。夏の休暇は、いわば
義務でもあり、一年間働くことの目標でも
あります。どこかへ家中で旅をしてすっか
り気分転換をし、からだと神経を休めて、
またクリスマスまでの戦いの生活に戻って
いきます。週ごとにめぐってくる Wochenende
「週末」(英: weekend)は、ちょうどわが国
のお正月元旦のように、町中が休み、静まり
かえり、空にやわらかく教会の鐘だけが鳴って
います。どんなに忙しくても、このように生活
にリズムがあるのと、のべつまくなし1年
間緊張のしっぱなし、というのでは、ずい
ぶん人生観や世界観が違ってきます。

技術的,工業的には日本もヨーロッパも
そうたいして違わなくなってきました。し
かし、一歩、生活の場に足をふみ入れると、
たいへんな違いがあることに気づきます。
日本は経済大国だと威張っています。GNP
が世界第2位だそうです。しかし国民ひと
りひとりの生活は、まだまだとても貧しく
乏しいし、社会資本の面や社会福祉から見
ると、なんとも情けない国です。町のなか
だけとっても、ドイツのどの町も緑と花に
あふれ、自然をたいせつにしています。そ
して都市の結晶性が高いので、人間の住む
町から外へ出ると美しい大自然がありま
す。 ドイツは北の海から南のバイエルンの
アルプスまで、全国土が公園のようです。
ドイツに行くたびに驚くのは、自然が美し
いということ、大事にされているというこ
とです。そんな国土に、寒いところなのに、
元気のいい連中が実にモリモリ食って飲ん
で、秩序感覚に従って働いている 一、そ
れがドイツという国なのです。
     (5月号)

 

ミヒャエルミュンツァー氏とのインタビュー
                        小塩 節

小塩: ミュンツァーさんこんにちは。さっそくうかがいたいのですが、
 社会生活のあらゆる面で日本は国際的になってきましたが、それでも
 東洋と西洋社会の差は大きいと思うのです。都市のつくり方、風景が違う
 というだけでなくて、なによりも生活方式、ものの考え方、メンタリティー
 というものは違いますね。物質生活では東西、まったく同じになりながら、
 心の中はまるで違う。ぼくが欧州に行くたびに改めて驚くのはこのことです。
  去年1971年8月末に来日されて、そういうことを逆の立場でお感じに
 なりませんでしたか。
ミュンツァー: もちろん。文学や人の話ではいろいろ聞いていましたが、
 直接的印象は途方もなく強烈でした。言語や文字の違いは、そう決定的では
 ないんでして、むしろ、今おっしゃった生活様式、ものの考え方がまったく
 違うということに驚きましたが、心惹かれました。道路や都市計画については、
 わたしも世界各国、アフリカなど歩きまわった身ですから、かえって立派だ
 なあと感心しました。予期以上に立派ですね。田舎がとくにいいですね,日本は。
 東京? 東京は話から除外したいですね。こりゃひどいんでね、この大都会から
 脱出して旅に出るのがたのしみで...
小塩: 日本の生活には、じゃ、もうお慣れになりましたか。
ミュンツァー: ええ、着くとすぐ慣れました。そして日本の長所を尊重し、欠点は
 あげつらわないようになりました。なにしろ日本料理がいいですね。世界一です。
 しかももっともこまやかで多面的だと思います。そうね。少しさびしいと思うのは、
 精神的に言って、孤島にひとりいるみたいに、日本の人と真の意味の結びつきを
 得がたいという点で、これは、わたしだけでなくヨーロッパ人みなそうですね。
 言葉のせいもありますね。
小塩: 来日前のご生活について、パリでしたね。独仏の演劇の違いなど。
ミュンツァー: パリには1956年から61年までいて、その間、3年のあいだ、テアトル・
 エーベルトーに加わっていました。その後ジャン・コクトーといっしょに演劇をやり、
 カミュ、モンテルラン、クローデル、モルニエたちと親しく交わりました。
 フランスの古典演劇(コメディ・フランセーズなど)は、ドイツの古典演劇よりずっと
 保守的です。言語のせいなのてす。フランス語はことばのメロディーと、言語を
 「うたう」ことが生命ですが、ドイツ演劇語は語の強音と、形式、とくに韻にとらわれない
 点がポイントなのです。現代フランス演劇はとてもいい。しかし、パリに何もかも
 集中しすぎています。ドイツは文化が各地方に分散していて、これはよい点でもありますが、
 欠点でもあります。
小塩: 現代ドイツ演劇の特徴は、一言でいうとどうでしょう。
ミュンツァー: ふたつあると思います。そのひとつは(わたし個人としては遺憾に思う
 のですが)、芝居がとても政治的になっていくこと。第2は、表現・演出両面での
 「ネオレアリズム」で、これはわたしもいいことに思います。
小塩: 現在のお仕事について。
ミュンツァー: NHK専属のお招きを受けて参りました。いろいろ仕事ができて
 うれしく思っています。テレビ、ラジオあわせて4講座にレギュラー・ゲストとして
 加わり、テキスト作りに参加し、自分でも声優・俳優としてやっております。
小塩: 期待というか、予想してらしたとおりでしたか、お仕事は。フランクにどうぞ。
ミュンツァー: 来日は冒険でした。たいへんよくしていただいて、毎日たのしいのですが、
 そう、おもとめに応じて率直に申せば、この巨大なNHKという機構がもう少し身軽に
 動いてくれたらなあと思います。わたしは保守的な人間だけど、この大機構というのは、
 動きが鈍くてねえ。ともあれ、いい放送を作りたいものです。
小塩: ごいっしょにTVの仕事をしていて感ずるのは、ドイツ語はたのしいということです。
 全国のみなさんもそれを感じておいででしょう。
ミュンツァー: ええ、ドイツ語はたしかに「教養」の言語ですけども、しかしなにより
 生きたことばなんで、これを読む書くだけでなく、聞く、話すよろこびを通じて、
 西欧の世界との文化のかけ橋をかけたいですね。
(付記)インタヴューはもっと長く続きました。紙面の都合上、割愛します。
ミュンツァーさんは教育学者の子として生まれ、ハイデルベルクの高校卒、同大学で演劇学
をおさめ、実際に俳優となり、パリに長く滞在して修業をつみましたが、本拠はミュンヒェン
とベルリーン。世界各国やドイツ各地の劇場で活躍。ドイツ大使館とゲーテ・イン
スティトゥートの仲介で昨夏NHK専属として来日、本年から本誌のためにも
お力添えをいただくことになったものです。(小塩)
     (5月号)

             

 

 

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