ドイツ語 コーヒー・ブレイク

  • ドイツ語 コーヒー・ブレイク その22
    Burg und Buerger
    町と市民
    
    ドイツやドイツ語圏の国の古い町々には、ローマ時代や(そうなのです、
    ドイツもキリスト降誕のころにはローマ帝国に占領されていました。ケルン
    Koeln というのはローマの軍隊の駐屯地【コロニー】という意味ですし、
    ボン Bonn はラテン語のボーヌス、よいところ、という言葉から来た地名です)、
    中世につくられた城壁が今でも残っているところがたくさんあります。
    
    地名にハンブルクだのシュトラースブルクなんていうところが多いのですが、
    あのブルク Burg というのはドイツ語で「とりで」という意味です。
    中世のおわりごろから町というものをつくり上げてきた都市市民が、自分たちの
    町を城壁で囲んで外敵から町を守りました。
    それで彼らは町全体をとりでにしたから、...ブルクというのです。
    ブルクに住んでいるから都市市民のことをビュルガー Buerger といい、それが
    フランス語に移っていってブルジョワとなります。
    
    そういうわけで、ドイツの町々にはもとの城壁つまり市壁 Stadtmauer が残って
    いるのです。市壁には市門 Stadttor が少なくとも4つはありまして、市長の
    役目の1つに市門の鍵の保管という仕事がありました。
    
    よく外国の市長さんがたとえば東京や京都などを訪れると記念に鍵をあげますが、
    これはドイツから伝わってきたしきたりです。
    町の鍵(もちろん模型ですが)をあげるというのは大変信頼しているしるしに
    なるわけです。日本の町には市壁も市門も、そしてヨーロッパ的な意味での自治権
    と自律性をもった市民もなく、まして市の鍵なぞないのですが。
    
        ☆    ☆    ☆
    
    相談する家 Rathaus と市民 Buerger が出てきたので、Burg の説明になりました。
    ブルジョワも学生活動家の言葉でも、もとはといえばドイツの
    町の市民だったのですね。
    
    日本は島国なので、異民族の敵が町に攻めてくることはなかったのですが、
    お隣の中国や韓国の町には城壁があって門もあったようです。
    
    京都は中国唐の長安を模して造られた町でしたが、城壁と城門は必要がなかった
    からまねしなかったのでしょう。