Winter in Deutschland ―― ドイツの冬 ―― ドイツの冬の寒さはきびしいものです。 夜明けに ―20℃、−30℃に下ることもあり、昼になっても 0℃以上にもどらぬ日が多いのです。 空には灰色の雲がたれこめ、 空中には霧とも雪ともつかぬものが、ひと冬中漂っています。 気温につけるはずの minus[ミーヌス]「マイナス、零下」は とってしまって、「今朝の気温は16℃、日中は9℃です」なんて 話し合っています。 寒いのがあたり前のドイツの冬なのです。 だから住宅でもオフィスでも、およそ建物というものの基本条件 は暖房です。セントラル・ヒーティングがあればともかく、そう でないときは、ストーブが家でいっとう大事な家具ということに なります。大きな石油ストーブをでんとすえ、昼夜をわかたずゴンゴン 燃やし続けます。石炭ストーブでも夜、レンガ状のプリケット (つまり大きなタドン)を2、3本ほうりこんでおけば、翌朝まで 燃え続けてくれます。 どうも、寒さというものの程度と、それに対する感じ方が日本人と ドイツ人ではえらくちがっているらしい。日本人は、少々の寒さは がまんします。中風の老人でもいなければ便所に暖房を入れる家は ないでしょう。そして日本の寒さは、まあ耐えられるのですね。 ドイツではそうはいかない。だから冬はガンガン火をもして、 そして仕事をするのです。皮のマントと毛入りの靴をはいて いどむようにして外出する。生まれたての赤ん坊だって、真冬 でもいち日1時間の散歩は必ずやる。寒さとは、これと対決し、 戦うもの、と考えているのです。それに反しわれわれ日本人は寒さとは、 がまんするもの、と考えているらしい。 さて、そんな寒い冬でも子どもたちは毎日橇(そり)に乗って、遊び回 っています。ちょっとそのへんまで出かけるにもかならず橇と きまっています。 そして大人たちはカーニバル。2月のなかばすぎると謝肉祭が近づき、 学生は学生会やクラブで、大人たちは職場で、何度もカーニバルのグンスが あり、底ぬけ無礼講のお楽しみをやらかすことになっています。 これも厳しい冬への抵抗のひとつのしかたなのでしょう。 Silvesterabend 大晦日(おおみそか)のようすは、ドイツと日本とでは たいへんちがって、たいへん賑やかなおまつりのような夜をすごします。 いつもと変わらぬ日の仕事をおえ、夕食をすませたあと、親しい友人も やってきて、夜おそくなってからシャンペン、ワインの用意をします。 そして楽しく話しているうちに12時の鐘が教会や市役所から聞こえてくる。 大いそぎでシャンペンの栓をポンポンと開け、たがいに目を見かわし、 グラスをあげて、「新年おめでとう!」と祝いあうのです。 Gluckliches Neues Jahr! 「新年おめでとう」。 Prosit Neujahr! 「新年、乾杯」 窓の外では、暗い夜空に花火があがり、いたるところでバーン、バーンと 爆竹の音がさかんにしています。いつもは夜なかに歌声や、いらぬ物音は ぜったいに立てない社会習慣のきびしいお国がらですから、大晦日の夜の このにぎわいは、特別に印象的です。さらにシャンペンのさわやかな香気を たのしみ、ワインの盃をあげて、楽しいひと夜をすごすのです。 ドイツ人にとっては、お正月より Weihnachten[ヴァイナハテン]「クリスマス・降誕節」 のほうがずっと大切な祝日です。ナチの時代にも、今でもそうですし、 キリスト教が白い目で見られる東独でも、まだその事情には変わりがありません。 古いゲルマン時代からのしきたりであるモミの木を飾って祝うクリスマスは、 ドイツ人にとっては、魂の故郷に帰るような時なのでしよう。 "Stille Nacht, heilige Nacht!" 「静かな夜,聖なる夜」。「きよしこの夜」 という歌にあるように、ドイツのクリスマスは家庭と教会とだけで祝うので、 それ以外は町も村も通りも、どこもかも静まり返ってしまいます。 still[シュティル]というのは、完全に物音がしないことをいうのですね。 ruhig[ルーイヒ]という「静か」は、少しぐらい音がしてもいいのです。 ちょうど日本のお正月元旦のように、教会の礼拝に行く以外は、誰もどこにも 出かけない。お店もレストランもバーも食料品店も、何もかもすっかり 閉まってしまって、路上はしんと静まり、物音ひとつしないのが ドイツのクリスマスです。 ところが、その正反対に、12月31日の大晦日 Silvester[ズィルヴェスター]の夜は、 たいへん賑やかに過ごします。一年を送り、新しい年を迎える喜びを歌うかのように、 路上では高歌放吟。爆竹を鳴らし、花火を打ち上げ、ワァワァと夜っぴて騒いでいます。 いつもなら夜8時を過ぎてから路上で大声をあげようものなら、とたんにお巡りさんが とんできます。 ドイツ人は騒音にとっても敏感ですし、騒音防止にはとても気を くばるのです。 しかし、大晦日の晩だけは国中の大騒ぎが、それこそ天下御免です。 そして、それからすぐ寝てしまうなんてことはまずありませんから、 元旦は当然寝正月となってしまう。仕事は2日からか、3日からもう始めて しまいます。学校などは1月6日までは、クリスマス休暇なのですけれども、 ふつうのお店などが休むのは元旦一日ぐらいなものです。それで、ドイツの お正月に何か変わったことを期待すると、がっかりします。 でも、わたしが住んでいたマールブルクという西ドイツ中部ヘッセン州の 小さな町、そこはドイツで一番小さな古い大学町でもありますが、 そのマールブルクでふたつ、心に残るお正月の思い出があります。 ある年の大晦日に、お隣りのおばあさんが夕方拙宅を訪ねてきました。 クナウアーという名の元気なおばあさんは、北ドイツはリューベックの生まれで、 戦争で家族を全部なくしてしまったのですが、とても元気な人でした。 リューベック出身の小説家トーマス・マンの遠縁にあたる人です。この人が、 夕方暗くなってからやってきて、買物袋から大きなねじりパンを取り出しました。 まるで魚のカツオかマグロのように、大きくて長い。それを1本わたしの手にのせて、 この地方ではお正月にはこのパンを食べるんですよ、と言うのでした。 パンの名前を教えてくれたのですが、すぐ忘れてしまいました。新年を迎えてから、 あのパンは何ていう名でしたっけ。 Zopf[ツォップフ]「編んだ髪のような渦巻きパン」 でいいんですか、とたずねますと、そうよ、と言っていました。味はほんの少し甘み の入ったもので、たいしたものではありませんでしたが、そのパンを渡してくれながら、 よい年をお迎えになるように、と握手してくれたのがとてもうれしいことでした。 新年を迎えても、家々にはまだモミの木が居間にあったりして、ちっともお正月らしく ありません。むろん門松なんてありはしません。ところが、誘われてお茶を飲みに 行った友人の家では、そこの娘たちがたいへんうやうやしくコーヒーを入れてくれます。 電気の器具でなく、古い古いコーヒー挽きを取り出してきてガリガリ手で コーヒーを挽き、なにやらマホーびんの水を大切そうにヤカンに入れてわかしている。 お医者の家ですから合理主義の一家で、迷信しみたことをするはずはありません。 どうしたの、ときくと、その水は水道の水ではなくて、町の広場の Brunnen[ブルンネン] 「噴泉」の水を、今朝早く17歳の娘さんが汲み初めをしてきたもので、それで コーヒーをいれるのだと言うのです。なるほど、日本だったら「若水」ってところだな、 と思いました。丁寧にいれたので、そのコーヒーは、やはりとてもおいしいものでした。☆ ☆ ☆
このシリーズもこれでおしまいです。
小塩節先生のご厚意で、私のホームページに紹介することができました。
ドイツに行く前に読んでおいたのでずいぶん役に立ちました。
帰国して17年たった今でも読み返すと、なお発見が多くあります。
ドイツを理解するのにとても良い本です。
これを機会に小塩先生の著書を手にされることをお勧めします。
長い間このページをお読みくださいまして、心からお礼申し上げます。