Advent und Weihnachten ―― アドベントとクリスマス ―― 12月 Dezember Nikolaustag ドイツのクリスマスに、贈物を持ってきてくれるのは、 サンタクロースのおじさんでなく、「幼児キリスト」ご自身です。 サンタクロースに似た存在は「聖人ニコラウス」で、この人はなんと 12月6日に子どもたちのところへやってくる。 この日を Nikolaustag といいます。聖二コラウスは甘いものばかりでなく、 むちをもってやってきます。 5日の晩から6日にかけて勉強を怠けたり、 親の言うことをよく聞かなかった子どもはベッドのなかでふるえています。 この点でも、ドイツ人の教育のきびしさは日本人の想像を越えています。 ―― 一生けんめいこの秋のあいだ勉強をしたよい子は、窓わくのところに 靴をおいておくと、夜の間にそのなかにチョコレートだの甘いものなどを 入れてもらえます。 5日の夕方には子どもたち2、3人ずつ紙袋をもって近所をニコラウス! ニコラウス! とさけんで回ってボンボンやクッキーズをもらって歩いています。 Advent ドイツのクリスマスは、とても静かな、家庭で祝う行事です。 しかもドイツの人々にとっては一年中を通じて、いちばん晴れやかな、うれしい 国民の祝祭日です。 12月の25日にはたいていの年にはもう雪が降り、 家も野も山も清浄な雪のよそおいに包まれています。 世界中の国々のなかで、ドイツ人ほど Weihnachtcn[ヴァイナハテン] 「降誕節(クリスマス)」をこの雪のようにきよらかに、心をこめて祝う民族は ないといってよいでしょう。 クリスマスから逆算して4週日の日曜日に Advent[アトヴェント] 「待降節(アドヴェント)」がはじまります。 11月の末のこの日曜日から クリスマスまでの4週間は、キリストの降誕を心をきよめて待ち、準備をするときです。 この長い4週間を Adventと呼ぶのです。教会の暦では,Adventが1年のはじまり、 つまり新年です。教会がこのときをたいへん大切にし、おごそかにすごしますので、 一般市民も Advent 4週間にはダンスパーティーも、結婚式さえも、 誰が命ずるわけではないのですが自粛しています。 どの家庭でも Adventがはじまると、もみの緑の枝を丸くたばねて輪にし、その上に 赤いローソクを4本立てて飾ります。居間の天井から赤いリボンでつるしたり、 それができなければ、居間のテーブルの上におき、日曜日ごとに1本ずつローソクに 火をともします。 2週日の日曜日には燃えるローソクが2本になり、その次の日曜日には3本が燃え、 4本ともされてついにクリスマスがやってくるのです。 この Adventskranz [アトヴェンツ・クランツ]「アドヴェントのもみの環」を見上げながら子どもたちの 心は何とはずむことでしょう。 12月24日 イヴ 12月24日は聖夜 der Heilige Abend とよばれ、24日の夜を die Heilige Nacht と言います。この晩からクリスマスがはじまるのですが、 ドイツ人はこの聖夜(クリスマス・イヴ)を、1年中でいちばん大切な日だと考えています。 いってみればこの晩こそクリスマスの頂点であって、クリスマス・ツリーにローソクの 火がつき、贈物の交換をし、特別のご馳走とママ手製のクリスマス・ケーキや クリスマスのビスケットを食べる。ケーキをよそから買ってくるなんてことは、 ぜったいに考えられません。 この晩はしかも、どんな親しい友人も呼ばず、かならず家族だけ水いらずのお祝いです。 どの家にもツリーが飾られ、昔からのなつかしい歌の数々が歌われます。 そして夜ふけてから、いてついた雪の道を町中の人々が教会の礼拝に出かけていきます。 とくに真夜中12時に行なわれるカトリック教会のクリスマス・ミサ Christmette は 実に荘厳で美しいものです。 ドイツのクリスマスは、このうえなく静かな、しかも家庭で祝う行事です。 両親の権威に反抗する青年たちも、クリスマスばかりは両親の家に戻って、 ともに魂のふるさとを想う。スキー場に行ってしまっても聖夜はリフトが動かぬので、 雪を踏みしめて山間の教会に出かけて、クリスマスの美しい歌を、声を合わせて歌う。 ドイツほどクリスマスの歌を豊かにもっている国はないように、ドイツのクリスマスは まことに類のないものです。ジングルベルの歌などぜんぜん聞こえません。 クリスマス前に百貨店を訪ねれば、たまに流している曲が、古い民謡「ああ、もみの木」 です。 25、26日この2日間が法律で定められた正式の国民の祝日クリスマスです。 西独でも東独でもこれにちがいはありません。そして銀行・会社・商店・レストランに はじまり郵便配達も休みになってしまうのです。タクシーさえほとんど休みです。 みんな家にいて静かなきよいときをすごしているのです。☆ ☆ ☆
ローマ帝国で迫害されながら、キリスト教は育ってきた。
ついにはローマの国教となり、ゲルマン民族に伝えられ、ゲルマン民族の
心の支えになったキリスト教。