"Mehr Licht!" ―― もっと光を ―― 詩人ゲーテは1832年3月22日の春浅い日、82歳7か月で死ぬ直前に 「もっと光を!」Mehr Licht! と、言ったと伝えられます。 視力がおとろえたので、ものがよく見えなくなってきた。ブラインドを あけてくれ、と周囲の人に頼んだのです。 それから彼は手をあげて宙に何か文字を書いた。わきから見ると Wという文字でした。その労働者のようなごつい手がそっと膝の上に おち、いすにかけたままの膝の毛布の上で彼の手はまだWという 字を書いていた。その手が止まり、あおざめ、身体が左にかしいで、 息が絶えたといいます。 理屈好きのドイツ人は、その後、ゲーテが「世界」か「世界平和」 ということばを書こうとしたのだと言いますが、私はそうは 思いません。彼は自分の名前ヴォルフガング・ゲーテの頭文字を この世に刻み残そうとしたのだと思うのです。 文字を書く、おのが名を宙に記そうとしたこと、これこそ 文学者ゲーテらしいことでした。多くの人がほとんど神話のように 語りつぐ「もっと光!」をよりも、ずっとゲーテらしい、 人問らしいことであったと思います。 人間は言語をもち、文字を使う唯一の生物だといわれています。 人の心を知り、こちらも人に何かを伝え、ことばで心と心を つなぎたい。これは人間のもつ本能のようなものですが、人生が 暗く楽しくなく、厭世的になってしまって、文章なぞ読むことも 書くこともいとわしくなることがあります。 しかし自殺する人も一行の文字を残して、おのが存在のあかしを 残そうとします。たった一言でいいから「書く」という行動をとるとき、 私たちの生命は暗い中にも精いっぱい充実し輝きます。 書くという行為はほんとうに前進的な生きることのあらわれに ほかなりません。 ゲーテは多方面的な人間であり、特に文学者であったわけですが、 ファウストのように他者のための行動を重んじた人でした。 その行動の人がもっとも生命をかけたのが、文字を書くという行為 であったのでした。 それは自分自身と対話し、自分自身の中から何かをつかみ出し 形を与え、そして自分自身になるという行動です。 真に自分自身の孤独の中から出てきたものだけが、人の心に 伝わっていきます。詩人ゲーテの生き甲斐は一行でいい、自分 自身のことばを書くことにありました。 「人間はプロダクティヴ、生産的・創造的でなければ何事をも 体験し、享受することはできない。これこそ人間の持つ属性、いや 人間の特性であると言って過言ではない」。 ゲーテは老境に達して から、ある若い詩人にこう手紙を書いています。これこそまさしく ゲーテです。創造的であること! 一一自分の名前でいい、「愛」という文字でもいい。書くという 行動を始めること、そこから私たちの前向きの生も始まると思うのです。 ☆ ☆ ☆ゲーテをやはり憧れる私は、自分自身の小さな頭で考え
このホームページに何かを残そうとしているのです。