Fruehling ―― 春 ―― 3月 Maerz Fasten 四旬節 ドイツの3月はまだ冬です。 2月末のカーニバルと 4月の復活節との間の40日の間を,Fasten [ファステン]四旬節 といって、民俗的行事も何ひとつない、それこそ灰色の時期です。 しかし徐々に、ほんとうに少しずつそれでも冬は去っていこうと しています。町なかの雪は、もうすっかり融けました。 郊外の丘辺の残雪は凍(い)てついていてなかなか融けやらず、 子どもたちはまだまだ橇(そり)遊びができる。 木々はまだ眠っているみたいです。しかし森かげの猫ヤナギの ほの白い芽は、どの木の芽よりも早く、寒風のなかでも少しずつ ふくらみはじめています。私はときどき散歩の途中で 猫ヤナギの枝を折りとって帰り、日本ふうに居間に活けました。 たずねてくるドイツの友人たちは、こんな美しいものがあるのか、 と驚いて目をみはるのでした。 ドイツ人の花の活け方というのは、カーネーション Nelke [ネルケ] などを束にして花びんにどさっといれるか、皿に水を張って花を 散らしたり、花がとても好きなのに、どうも下手なのです。 町はずれには温室がよくみられます。復活節(イースター)にそなえて、 花屋さんは花つくりに―生けんめいです。夜も昼もスチーム用の ボイラーは燃え続けています。どの温室にも月に一度は大きなタンク車 が横づけになって、地下室の石油タンクに給油しています。 「今年の冬は暖かくて,タンク車3台で足りた」なんていう花屋さんの話 を聞いていると、日本は暖かくて花には幸せな国なのだな、などと思います。 なかを覗かせてもらうと、今いちばん多いのが、なんといっても チューリップ Tulpe[トゥルペ]です。小さなかたい青い奮がついています。 これがイースターの頃には1本50円から、いいのは150円くらいします。 ドイツの花は高い。戸外栽培がほとんどできないせいもあるでしょう。 そのほか水仙 Narzisse[ナルツィツセ]、ヒアシンス Hyazinthe[ヒュアツィンテ] などが温室いっぱいに育てられています。さくらそう Prime1[プリーメル]の 鉢植えなどもうわっていました。 花に水をまく金髪の娘たちが、白いほおを真赤に上気させて、働いています。 ああ、春が近いなあ、胸がおどるような思いで花の娘たちを眺め続けたものでした。 * * 北の国ドイツの冬は、長くきびしいものです。むろん家のなか にいれば、家屋の構造がよいうえに、何百・何千年かの経験と技術の おかげで申し分のない暖房がどんな家にも利いていますが、 家の外に出れば、1日中雪とも霧ともつかぬものが、町や村の上 を包み、11月から3月まで太陽の光がさすのはほんの数日に過ぎず、 目を慰めるものとてありません。 何年か前の冬はとくに寒さが厳しくてライン、マインなどの河川が氷結して しまい、石油石炭の運送船がストツブ、大騒ぎでした。 夏のあいだ、あまり石炭類を買いこんでおかなかった拙宅などは、 橇を曳いて石炭屋をまわり、頭を下げて少しずつ分けてもらいました。 しまいに在独米軍の雪上車やヘリコプターが出動して助けてくれたものでした。 ハイデルベルクではネッカル川の氷の上を渡れるので、学生たちは近道ができて 大喜び。スイスのZuerichでは氷結した湖の上を自動車が走っている始末。 3月になっでも寒さは変わらず、北極回りでやってくる家族を迎えに コペンハーゲンまで出かけた私は、連絡船が氷群にとじこめられて動けず、 船の上で大弱りしたものでした。 3月末、急に日光が差しはじめ、気温が上がって雪が融けはじめると、 小川も大河も茶色い雪どけ水が溢れんばかりに流れはじめました。 そして黒い土の中から緑が萌えはじめたときには、春を喜ぶドイツ人の歓喜が ほんとによくわかりました。 ゲーテの5月の歌に、「おお、何とはれやかな陽の光!」という一行があります。 日本で読んだときはなんと陳腐な歌だろう、とさえ思ったことがあるのですが、 長いドイツの冬を過ごしたあとは、自然にフッと唇にのぼるこの詩が いかにも真実で、泪(なみだ)がでそうでした。そして胸は旅への想いに 疼(うず)くのでした。 点々と淡雪の残る野をゆくと、クローカスがうす紫や白く地を割って 花を咲かせはじめています。やがてやってくる Ostern [オースターン] 復活節(イースター)を、胸をワクワクさせて待っているのは子どもばかり ではありません。道行く町の人々の顔さえ、急にほころびるかのようです。 ☆ ☆ ☆小塩先生も長いドイツの冬を体験して、やっとドイツ人の春を喜ぶ気持ちが
理解できたようです。ドイツに行かなくても、北海道の半年の冬の暮らしを
体験したなら、春の喜びがわかるでしょう。