Unterschied zwischen hier und dort ―― 彼我の差違 ―― Hegel ヘーゲルの哲学ふうに申しますと、∃−ロツパ的精神 der europaeische Geist (ドイツ精神もむろんその中核にあるわけ です)の本質は何かというと、自己の理性の力で、世界のすべて を自己と対立する対象とし、自己を世界に対して確立し、その世界 を論理的に分析し、説明しつくそうとする精神である、と言える でしょう。 ここにはギリシアおよびキリスト教以来の、世界と自己の対立 関係があり、あくなき自己確立自己主張があります。その自己主張 の中には自己絶対化という罪があるとするキリスト教にさえ、 世界と自己の相対する関係は明白です。その自己エゴは、神によって 砕かれ、その罪の赦しを神に乞い求めなくてはならぬのですが、 関心は自己にあります。 日本的精神はこのような巨大、強大な Selbstbehauptung「自己主張」 を知りません。日本人の自我、日本的自己はもっとやさしくて かわいらしい。世界と自然に対してたったひとりで敢然と、 あるいは傲然(ごうぜん)と立つ、というようなエゴを日本的精神は 知りません。周囲との調和、まわりの人間関係をいかに摩擦なく保つ かが関心のまとです。 そのひとつの表われは、第1人称代名詞が「わたし」、「わたくし」、 「ぼく」、「おれ」、「我」をはじめ現在でも20個以上あり、 誰を相手にしているかに従ってみごとに変わることにも見られます。 ドイツ人の1人称は ich ひとつしかないのです。 日本人である私自身、自分のエゴは引込み線のたくさんある駅の ような気がします。どこからどんな列車が入ってくるかによって、 さっとポイントが切り変わります。たった1本しか線路のない、 傲頑なヨーロッパ的 I(ich)とはちがいます ― そして、この順応性豊かな日本的自我は、 世界を論理で説明しつくすことに使命を感じないどころか、 説明しきれないもの計量し尽せぬものを、そっとそのままにしておく。 そうしておくことができる精神であり、その中にすっと融けこめる 美的感覚です。ここに、日本的精神の微妙な美点ないしは 優れた点があると思います。 京都の竜安寺の石庭に座って、じっと冥想することはドイツ人には、 あるいはヨーロッパ人にはできません。 何個の石があり、 何を意味するのか、論理で説明しつくそうとします。ここに彼我 の大きなちがいがあります。 Was ist der Unterschied zwischen Ost und West? 「東洋と西洋の差異は何でしょうか」。 Das ist der Unterschied in der geistigen Haltung der Menschen gegenueber der Welt,denke ich. 「それは世界に対する人間の精神的態度のちがいである、と私 は思います」。 ☆ ☆ ☆ヨーロッパ人は自然を征服してきた。東洋人は自然をできるだけそのまま
受け入れてきた。