Japanische Mentalittaet ―― 日本人のメンタリティ ―― 私は留学生諸君や旅行者の人からよく、「観光旅行するとつまりません。 石の教会ばかり見せられます」という文句を聞かされるのですが、 その文句は全くナンセンスで、短い旅行の方も長い旅行の方も、精神の歴史 としての教会を、ぜひ別の目でご覧になった方がいいと思います。 それは精神生活の要(かなめ)なのです。 丸山真男の『日本の思想』(岩波新書)によれば、∃−ロッパ文化と いうのは、「ササラ型文化」――根元はひとつで、そこからプロテスタント とかカトリックとか、マルクス主義も果てはニーチェやハイデッガーも 出てくるのですが―元は全部ひとつで、そこに行けば共通の話ができる。 ところが日本にはそういう共通の場所はない。皆てんでんばらばらに ものを考えていて、,本当の所、共通語でのひとつの話ができない。 特に学問・思想に根本的基盤がない、と丸山真男は言って、 日本の思想は「タコツボ型文化」であると言っています。 私は、タコツボ型といった着想はいいけれども、少し違うんじゃないか と思います。ヨーロッパが「ササラ型文化」だというのはわかりますが、 タコツボというのは、タコが一匹しか入れないわけです。 われわれ日本人は、正直言って、ツボの中にひとりでいるということが できない人種で、いつもグループのことを考える。誰かと一緒でなかったら、 とても生きでいられない。 よい例が、去年パリに旅した日本人が140万人と聞きました。 その99パーセント以上が集団旅行。1人で歩くということが、どうしても できない。留学するときもそうです。必ず日本人はグループを作って、 先生の悪口や「飯がまずい」「ドイツってのは何て嫌なとこだ」という話 ばかりしている。つまり、タコツボに入れる程の孤独に耐え得る神経の 太さを、持ち合わせないので、いつも膚をすり合わせて共にいることの方が 自然なのですね。 膚をすり寄せて生きる者の間では、ことばを論理としてぶつけ合う必要が ないわけです。黙って座っていればいいわけなので、ここら辺りから、 日本人の会話が下手だというメンタリティーが生まれでくるのだろうと 私は思うのです。 しかし、本当に自分でおなかの中から確信していることを、明確な論理で 言えるという精神構造を持たない限り、日本語はいつまでも進歩しませんし、 日本語ができない人が、いくら英語やドイツ語をやってもだめです。 まず日本語をきたえる必要があると思います。 Ein Japaner, der Japanisch nicht gut beherrscht, kann auch nicht Deutsch. 「日本語のできない日本人は、ドイツ語もできません」。 Wir muessen allein stehen, selbstaendig denken und handeln koennen。 「私たちはひとりで立ち、自立的に考え行動できなくてはいけない」。 ☆ ☆ ☆一人でも行動できる日本人が増えました。
若い人を見ているとそう思います。