Erziehung ―― 教 育 ―― 社会科の宿題で暗記をしている11歳の娘が、1603年の2月に ヨーロッパでは何があったのか、とたずねる。答えに詰まって、 「む、ドイツでは....」と言いよどむと、「いやあね、パパ、30年 戦争は1618年からよ」と言うのです。 「日本では、じや、何があったんだい」 「徳川家康が征夷大将軍になって、江戸幕府を開いたの。 そして 江戸城の《改築》を始めたのよ」 ――塾に通っていないので未塾児だとからかわれているわが家 の小さな子でも、頭から詰めこまれる知識の量は恐るべきものが あります。日本国憲法の前文は言うにおよばず、各条文の内容まで 覚えさせられる。 小学生がそんなことを暗記して何になるんだい、と言いかかって 思わず口を閉ざしました。これはすべて中学受験のためなので ありましょう。せめてもの救いは、彼女が自分の頭で考えて、日本史を 世界吏と関連させようとしたことでした。 ある日、東大・駒場で講義中にふと思いついて、娘からきかれたのと 同じ質問をしてみたところ、ひとりとして答えられるものがないので、 「きみたち、中学にも入れないぞ」と冷やかしましたが、 この状況は年々ひどくなるばかりのようです。 マンハイムで歴史学者E.フランツ教授に会ったとき、この話 をしたら頭を抱えて「私も知らないぞ、1603年の2月にドイツで 何があったのか。イギリスではたしか、何かあったなあ」、と弱って いました。「日本人の勉強は凄いんだなあ。負けちやうなあ」 とも言いました。 たしかに、資源のない日本が生き残るために、情報知識だけを 武器にせざるをえないことはわかりますし、若い頭脳にはいくらでも 知識を入れこむことができるものです。ルネサンス以来、まさに知識は 力なり、であります。その知識を若い世代に伝えることが 教育なのでありましょう。 教育とは、過去から現在にいたる人類社会の価値あるもの、つまり 「文化」を次の世代に伝えることであり、また文化を自分の中に 有機的に取りこんで、自立的な人間になっていくことです。 教育にはこういった「与え、受けとる」二面があるわけです。 教育をないがしろにする社会は、たちまち滅び去っていかなくては ならない。だから近代国家は、せめて初等・中等教育を納税と並んで 国民の義務にしているほどです。 現代日本での最大の問題は、文化とは何か、価値とは何かを根本的に 問わないところにあります。断片的な知識をどんなにたくさん 集めても、そこからは何の「価値」も生まれてはきません。 人間とは何か、ということを自分ではいっさい考えないから、価値 とか文化についても考えられないわけです。 現代の日本がおしつぶしてしまったのは、美しい自然だけでは ありますまい。何よりも人間そのものをおしつぶしてしまった。 それは、人間が何なのか、人間はどこから来てどこへ行くかを問わない からではありますまいか。そしてそれは、人間を越えるものを 仰ぎ見ようとしないからです。次の世代に伝えるべき私たち の教育はいったい何でしようか。 ☆ ☆ 春の一日、駿河の山の中腹にあるハンセン氏病の国立療養所を 訪ねました。現代医学の進歩にもかかわらず、まだまだ数多くの 患者さんがここにもいます。この世にある苦悩の重さに、私は ここでも圧しつぶされるような思いがしました。 医者や看護婦の決定的な不足などの話を病院の中を歩きながら 聞いたあとで、集会室の畳の上に座って、ここで栽培してつくった というお茶をいただきながら、療養中のおじさんおばさんたち からいろいろ話を聞きました。 その前の晩、一番若い看護婦さんがここをやめて山をおりていった。 赤いほっぺをした元気なその看護婦さんは、クリスチャンで、 志を立て理想に燃えてこの山にやって来た。おかげで山全体 がぱっと明るくなったようだった。 しかし彼女が3年でやめて行ってしまったことで患者さんたちは、 皆うちのめされたように悲しい思いをしているところだったのです。 彼女はここに骨を埋めるつもりでありましたが、彼女のお姉さんの 縁談が「ライ病院に妹が動めている」というだけのことで、 もう幾度もこわれでしまって、「おまえひとりが純粋ぶっていて、 姉の一生を台なしにしないでくれ」、そう両親にくり返し言われ、 とうとう、泣く泣くきのう山をおりで行ってしまった、というのです。 患者さんたちは、しかし彼女のことを責めてはいませんでした。 3年でもここにいてくれたことを深く感謝していました。 そのことにも私は心をうたれました。現代の青年には純粋さがなく なった。青春の理想主義は地を払った。いや、青年の心が純粋だ などというのはもう迷妄である。そういった苦いことばを日ごろ よく耳にしますが、むしろ若き日の理想を純粋に持ち続けて、生涯の 理想主義へと育てるようにと大人が力をかさないどころか、かえって つぶしにかかることのほうが多いように思われてなりません。 おそらく、人間には生まれつきの純粋さというものはない のであって、この世を蔽(おお)う苦悩の一端をになおうとする青年の理想 主義が、泥沼の水の人生の中で鍛えられ、かつまた泥沼の水を 澄んだものにしていくのでしょう。その看護婦さんの3年も、 けっしてむだではなかったと言える日がくるでしよう。 帰りがけに大浴場の焚き口で火をくべている2人の青年の姿を 見かけました。患者のひとりが、「神学大学の学生さんでしてね、 2人ずつかわるがわる奉仕に来ておられる」、と言いました。患者 といっしょにお風呂にも入るのだそうです。 どこの神学大学の、なんという名の学生かを、わたしはあえて たずねませんでした。まきを割り、汗みずくになって働いている 若者たちの後ろ姿に、私は心の中で手を合わせて、山をくだりました。 ☆ ☆ ☆1603年には何があったのか。
英王ジェームズ1世即位となっているが。
徳川家康が征夷大将軍になり、江戸幕府ができた。