Buerger ―― 市 民 ―― ヨーロッパの町には、本来必ず Stadtmauer城壁(市壁)があり、 その壁たるや、例えばブリュッセルではり、古い城壁の上が首都高速 道路となっていますが、幅が四車線分あるのです。たいへんなものです。 この城壁というものも、町の広場と並んで、∃−ロッパ人の精神風土 のエレメントになっています。 この町が、Burgで、普通「城砦」と訳されます。 なぜ町のことを Burg と呼ぶのかというと、戦争用の砦として、自分たちの町を城壁で囲んだ からです。 そして、そこに住んでいる人間を Buerger(それをフランス語ではそのまま 借用してbourgeois)と名付けます。Burgerは辞書を引きますと、「市民」と 書いてありますね。 ただそう訳せば何でもないことですけども、そのことばの源には、 自分たちでひとつの町を作って、城壁を築き、自分たちを守っていた ヨーロッパの市民 ― そこに法の感覚(法と権利がひとつであるという) が生まれ、お互いの共同生活というものを守る ― 教会とか市庁舎の 位置付けができてきて、真に「市民」というものが生まれてきているわけです。 日本では「黄金の日々」の堺にごく短期間、そういった自立的自律的「市」 が生まれ、「市民」が育とうとしまたが、権力によってあえなくおしつぶされて しまいました。それ以来日本には「市民」はありません。 この市民感覚というのはたいへんなもので、その典型的なものは、日常の路上生活 です。例えば、ゴミは月曜と金曜しか出さない。出す時は、東独も西独も共通の、 口経が一致したゴミバケツ ― ヒットラーが決めたのですが、これが1センチでも 狂ったら、清掃車は取っていってくれません。そういったゴミ処理の方法で あるとか、あるいは雪が降ったら灰や塩をまくとか、その辺の生活の感覚は、 過激派の学生に至るまで、実にキチーンとしているわけです。 それを支えているのは、自分たちで町を作ったという感覚と、孤独な魂 (一人で立ってる魂)だと思うのです。よくトーマス・マンのいう 「芸術家対市民の感覚」という論文を書く独文科の学生がいるのですけれど 私「じゃあ市民て何だい」ときくと、何のことかわからないのです。 無理もありません、私たちの文化伝統には「市民」はなかったのですから。 いわゆる「市民運動」が、政党の介入なしに発展していったら、多少身について くるかもしれません。ともかく、芸術家が、そういう市民の中から逃れていく、 あるいは離れていく ― 例えばシューベルトの『冬の旅』で、孤独な魂が町から外へ 出ていく時の、その寂しさというか、突き放された感じ、gottverlassen 神からも 見放されてしまう」というときの凄さというのは、やっぱりわれわれの感覚とは ずいぶんちがうものがあります。 ☆ ☆ ☆ヨーロッパの都市は城壁で囲まれていた。
中国の都市も城壁で囲まれていた。
日本の都市には城壁はなかった。