Kirche ―― 教 会 ―― 同じヨーロッパでもドイツとフランスがたいへん異なった国であることは、 皆さんもご存知でしょう。フランスでは道路もやわらかな曲線をみせて くねり、マロニエの街路樹などもどこか女性的なのに、一歩ドイツに入ると 直線的な道路が整然と、どこまでも鋼鉄色に光っています。 こんもり茂る森の木は真っすぐ天に聳えるモミやカラマツです。 森の中に見える教会も、フランスのはロマネスクもゴシックのも 「あでやか」と言いたくなるような、形の美しいもので、中に入ると ステンドグラスから流れこむ光と色彩の壮麗な諧調が、溢れんばかりです。 ドイツの教会はそうはいきません。外見が美しいなんてものはまるでありません。 堂々としている。おごそかである。天に向かって聳えている。いろんな教会が ありますが、どれもが神の家のおごそかさ、きびしさを現わしています。 それでいて中に入ると、冷たくほのぐらい会堂に、パイプオルガンのしらべが、 あるときは会堂をゆるがすばかりに、またあるときは練絹のようにこまやかな音の せせらぎとなって流れています。視覚でなく、聴覚に訴えるドイツの教会は、 まことにドイツ的で、音楽的である、と思います。 もっとも、同じドイツでも地方によって、さまざまな違いがあることは当然です。 南独の教会はねぎぼうずのように丸い塔をつけていて、それが夏には山や湖に映え、 冬は雪をかむって美しい。北独の教会の塔は、するどく尖って天をさし貫かん ばかりです。 塔というのは、実に不思議になつかしいものです。塔は何のためにあるのだろう、 信仰と人間存在のあかしのためなのだろうか。 何か人間の本性にもとづくもの なのかしら、と考えてしまいます。 キルヒェ Kirche「教会」というのは、このような教会の建物と、それから教会の 組織をもさして使う言葉です。南独からライン河にそった地方はだんぜん カトリック Katholische Kirche [カトーリツシュキルヒェ]が強く、 中部から北部にかけてはプロテスタント Evangelische Kirche [エヴァンゲーリッシュ キルヒェ]「福音派教会」が強いと申せます。 evangelisch のvは、もとのギリシァ語 の影響で、いまだに[ヴ]と濁って発音します。 人によっては[f]の発音,つまりドイツ化してしまっている人もあります。 ‐ s‐を入れてKirsche と言うとサクランボのことになってしまいますから、 発音にご注意。 さて、ところで信者の個人についてカトリックなら der Katholik、プロテスタントの 場合は個人のことは[プロテスタント]Protestant と言ったり、主張・思想的潮流 としては[プロテスタンティスムス]Protestantismus (マックス・ウエーバーが 資本主義と関連づけて用いたので有名です)と申しますが、教会制度としては 「福音派」という名称を用います。 両者とも聖職者をder Pfarrer、呼びかけは Herr Pfarrer! ですが、カトリックなら 「神父(さま)」、プロテスタントなら「牧師」と申します。邦訳にあたって 心得ておきましょう。 「制度」と申しましたが、ドイツでは教会はまさに国家的制度なのです。 そして国民はカトリックか福音派かの、どちらかに属しています。 キリスト教徒[クリスト]Christ (注:イエス・キリストは[クリストゥス] Christusです)が東独でも80%近く、西独は96%以上で、東は圧倒的多数が福音派、 西は新旧がほぼ半々です。 西独人は所得税のさらに6〜8%にあたる教会税[キルヒェン・シュトイァー] Kirchensteuer をおさめています。日本の住民税相当でしょう。そのためもあって、 教会は強大な財政基盤をもち、どんな村の教会にも大きなパイプオルガンが あり、神父牧師は特別公務員であって社会的にもたいへん高く尊敬されています。 こんなぐあいに組織として昔から強かったから、ナチに対する抵抗も教会のそれは 非常に強いものでした。思想的・神学的理論として、また財政力からいっても それが可能だったのです。 ダッハウにナチの強制収容所第1号が1933年にできて、まず殺されていったのは ユダヤ人でなくて、教会の神父や牧師たちでした。ナチに追われたユダヤ系物理学者 アルベルト・アインシュタインが、ドイツの大学はナチに抵抗するどころか協力者だった。 ところがアンチ・ユダヤのはずの教会は頑強に、血を流して抵抗したので驚いた、 と語った話は有名です。 それはしかし、外的な形によるのではないでしょう。ウルフイラス Ulfilasが 西暦4世紀にはじめて自力でギリシア語の聖書[ビーベル]Bibel をゴート語に訳して 以来、キリスト教はしっかりドイツ人の魂の中に根をおろしました。 ドイツのルター Luther、スイスの改革派教会のカルヴィン Calvinによる[レフォル マツィオーン]Reforrmation は、外的にはヨーロッパの統一を破りましたが、 反面、信仰を個人の自覚のうえにすえたと言えます。 たとい「神は死んだ」"Gott ist tot." (ニーチェ)と言っても、神さまのことが気に なるからそういうことを言うのです。 ドイツ人すべてとは申しません。しかし、優れた人であれば、教会には行かなくても 神と世界と人間のかかわりについて、自分の問題として考えない人はないでしょう。 ドイツ音楽、文学、思想、美術だけでなく、ドイツ人を知り、言語を学ぶために、 聖書と教会のことをもっともっと知らないと、本質的なことは、実はなんにも わからないのです。 ゛ ☆ ☆ ☆ヨーロッパ文化を知るため、ドイツを知るため、キリスト教や教会のことを
知らないといけません。
同様に日本文化を知るために、仏教の知識が必要です。