Rathaus ―― 市庁舎 ―― ギリシア、ローマ以前から地中海文明は、どんなに小さな町でも 必ず真中に大きな広場を作りました。これは何でもないことの ようなのですけれども、案外ヨーロッパの本質にかかわることでして、 Platzとは皆で集まって相談し合える場所なのです。 私たちがいろいろな生活をしていく上で、例えば市民運動に携わったり していると、「日本には広場がないな」と実によく感じます。本当には 相談し合えない。感情のぶつけ合いだけです。 さらに言えば、法律というものが、日本人と∃−ロツパ人とでは非常に違う。 日本人の場合には、法律というものはお上が定め、力で押しつけてきますから、 個人の権利というのは、実にはかなく悲しく闘い取っていかなくてはなりません。 ところがドイツ語でもフランス語でも、法律ということばと権利ということば は同一ですね(das Recht,droit)。つまり、個人の権利を守るものが法律であるわけです。 個人が自分たちの権利を集大成し、共通項を見出して、そして町を自分たちで うまくやっていこうじゃないかといって約束する契約事項が、国家の法律になって いくわけです。 そういったものが、広場での語らいの中から出てくる。そのひとつの証拠は、 広場に而して必ず Rathaus(英Townhall 仏 Hotel de Ville)というのがあります。 「市庁舎」と訳します。なぜかと申しますと、市役所、町役場というのは、 「上から治める」という中国ないしは日本的発想なのです。ところが、Rathaus というのは、皆が集まって相談しあう所、建物なのです。 ローマ人が町を作ってくれた基盤というのが原型になって、ドイツの町は どこに行っても必ず広揚があり、市庁舎があり、教会があって、 そしてもう少し大きめになると、ギルドの家が広場を囲んでいます。 11世紀から12世紀にかけて、その広場を中心に市民の共同体が成立し、 やがて貴族や騎士たちを追い出し、自治権をもつ都市に成長していくのですが、 そこに育った「市民」の感覚は、私たちの理解を越えるものであります。 そう言えば「結婚する」heiratenという語も、もとをただせば heim‐「家で」、 raten「相談する」ことなのです。家庭もまた「語り合う」ことのできる共同体 Gemeinschaft なのですね。 Ich moechte Sie um Rat bitten. 「あなたのご助言をいただきたい」。 Man hat mir geraten, hierher zu kommen. 「私はこちらへ来るようにすすめられたのです」。 ☆ ☆ ☆Rathaus は市民が集まって相談するところ。
heiraten も、heim 家でraten 相談するといえば、ドイツは民主的に相談する国。