Meister ―― マイスター制度 ―― 私の年来の友人に、ニューヨークで教育学の教授をしているアメリカ人が います。ときどき夏休みにドイツで会うことがあります。彼は以前は ドイツ嫌いだった。しかし交換教授としてドイツに来て以来、すっかり ドイツびいきになってしまったという。 ある時彼は、古ぼけた一台のラジオを抱えてドイツにやって来て私を 呆れさせました。米国でならすぐ捨てっちまうんだがね、なつかしい 思い出のあるラジオなんだよ、と言う。半信半疑連れだって街角の 電気屋さんに行くと、半世紀はたっているだろう時代もののそれに合う 部品を見つけて来て、たちまち修理してしまった。 どうだい、これがドイツの職人気質だよ、と彼は鼻をひくつかせます。 英独チャンボンの奇妙なわれわれの会話を聞きながら、ヒツピーふうの いでたちの若い店員は得意がるでもなく、当たり前だという顔をしていました。 ドイツの老人たちは、今の若い者が物を大事にしなくなったと喚く けれども、それでもドイツの誇る職人気質はまだまだ健在です。 中世から伝わる職匠(親方)・マイスターの制度が今も大事にされていて、 どんな職種でもきびしくて徹底的な手職の訓練がされています。 彼らは大量生産の消費財を好まない。いい物は、単価が高くても 手づくりのものだと考えている。自動車工場のような近代産業の中にも たくさんのマイスターたちがいて、扱うネジ1本にも愛情と誇りを もって働いています。 私が長く住んで、今もよく訪ねる小さな大学町マールプルクの 町はずれに、規模が中位の書店がある。大学とは関係がなく、ごく普通の 本屋さんです。 この店に、まだうら若い女店員がいます。どの店員でもそうだが、 彼女も自分の扱う商品、ここでは書物についてよく知っていて、どんな本の 注文にも相談にも、快くしかも的確に応じてくれる。膨大な出版カタログに当たり、 出版社、著者、項目別に攻めていって必ずこちらの欲しい本をさがし出してくれる。 そのうえブロンドの彼女の目は海のように青く、やわらかい身体の線にピタリと した紺色のセーターがよく似合う。目の色と服飾のとり合わせが心憎い。 すてきにかわいい彼女のいる店に、私は足しげく通わずにはいられないのです。 店内の在庫をそらんじているのは当然としても、新刊書についての情報も よく勉強しています。どんなに小さな出版社の刊行物でも、ドイツ国内なら 2、3日で取り寄せてくれます。 私は、雑誌とポルノまがいの本と参考書だけを売っている多くの日本の書店を 思い合わせて溜息をつく。 わが国では,大書店でも同じことだ。 よほど変わり者の店主のおやじででもなければ、こんな図書館の専門司書の ような書店員にはお目にかかれないでしょう。 日本の多くの書店では、堅い書物だと配本の包みをほどきもせずころがしておいて 2週間もしないうちに返本してしまう。だからほとんどの刊行物の70%は 返本の山になって出版元にかえっていく。 ドイツは道路がいいばかりでなく、どうやら流通機構がいいのでしょう。 だから注文した本も、あれよという間に届く。 流通機構の問題は牛肉だけではない。しかし大事なのは、末端で 働く人の専門意識なのではあるまいか、そう思います。 ドイツ人が大切にするのは学歴ではなくて昔ながらの職人気質、マイスター としての熟練、堅牢な仕事です。 中世のままの町並みを大事に保存して、古い市門や市壁、噴泉、石だたみを 現代生活の中にみごとに融け合わせているから、どんな小さな町にも 個性的な魅力があふれるほどにある。 そして静かな日曜日の朝には教会の鐘の深いひびきが、どの町をも すっぽりと包んでしまう。 そんな古くて美しい町に、マイスター制度が今も残っていて、みごとに 機能しているのです。 Ich suche ein Buch ueber... 「‥‥についての本を探しています」。 Oh,das ist schon vergriffen. 「おや,それは売り切れになっていまず」。 Ich bestelle es sofort. 「それをすぐ注文しておきます」。 ☆ ☆ ☆ドイツのマイスターの尊敬されていること。
助手が言っていたが、マイスターの収入の方が大学出より高いとか。
墓石にもマイスターの肩書きを掘ってあるのを見たことがある。