Liebe ist wie Grundwasser ―― 愛は地下水のごとく ―― 少年法の刑罰を受けて服役する少年たちがいます。服役を終えた少年たちを いきなり社会にほうり出さないで、しばらく引き受ける福祉施設があります。 昔は感化事業と言ったものです。 私の祖父は明治時代の牧師でしたが、後半生はその仕事に献身しておりました。 私の父・故小塩力も牧師でしたが、父は少年時代に、おまえのおやじは 泥棒の親分だそうだなと言われて、歯がみしてくやしがったと語ったことが あります。 どんな仕事でもどのような職業でもそうですが、この仕事も並たいていの決意や 理想主義ではやり抜けないものです。 B半島の先端に、今、そういう少年たちのための施設の責任を負っているNさん という人がおります。私はNさんを直接には知らないのです。 NHKのHさんというディレクターから話を聞いているだけです。 Hさんは局の中に数人のNさんを支えるサークルをつくっていて、年に2、3回 小型トラックにいろんなものを積んで運んでいく。粗大ゴミとして捨てられた 冷蔵庫だの机だの自転車などを拾ったりもらい集め完全に修理して、 八百屋さんのトラックを借りて運んでいく。道の混まない深夜に突っ走る。 連絡を受けて、起きて待っているNさんは手づくりのパンにバターをぬって もてなしてくれる。「ヤ」「ン」と挨拶をかわすだけだという。 そこにわたしは男の友情を感じます。 このNさんは、少年時代、非常にグレていたそうです。父を知らず、 母ひとり子ひとりで育ち、いつのころからか母がひどくじゃけんになった。 中学生のころからNさんは、酒、タバコ、女、ヤク、ありとあらゆる悪に 染まって、ついに少年刑務所にブチこまれてしまった。 ある日、母の死を知らせる近所のおばさんの手紙がきた。 「あんたのお母さんは重い肺病だった。あんたに伝染すまいと無理に じゃけんにしていたんだよ」。 そうだったのか。背中を丸くしてどこかの工場の下請け仕事を夜なべにしていた おふくろは、Nさんが近づいていこうとすると、まるで野良犬を追っぱらうよう に、あっちへ行けというのだった。あのおふくろは肺病だったのか。 薬も買えなかったんだな。そういえば、おふくろは食うものが無かったときも、 ぼくの弁当だけはきちんと作ってくれた。雑穀雑草まじりのめしだったが、 弁当箱にいつもいっぱいに入っていた。おふくろが食う分は,無かったのだ。 「おふくろ」Nさんはうめいた。少年刑務所の冷たいコンクリートの床を涙がぬらした。 Nさんの生涯は変わった。そして今は、かつての自分と同じような道を歩む 少年たちを静かに看まもっている―。 愛は地下水のように涼々と流れています。地表に出るかたちはさまざまです。 しかし愛は人の生涯を変えるのです。かかる愛の地下水を信じたい。 そして自分たちもまたそういう地下水となりたいものであります。 ☆ ☆ ☆ 小塩先生は牧師の家系に生まれたのです。