Altersheim ―― 老人ホーム ―― 昨日、ミュンヒェン郊外にある老人ホームを訪ねました。昔の知人が そこに入っているので、久しぶりにバラの花を買って持って行きました。 施設、経営は全部地方公共団体が税金でまかなっているのですが、 運営は教会にまかせており、南独バイエルンのことですからカトリックの 修道尼たちが、白衣を着て老人たちの世話をしています。 費用は月400DM(4万円)。一般には老人ホームの月額個人負担は800から 900DM(8〜9万円)です。 昔の修道院をそのまま転用しているので、修道僧たちがこもっていた部屋を 老人ひとりひとりの個室に当てています。ここにもドイツ人の自立性が よくうかがわれるのですが、二人部屋や大部屋というものがないのです。 かなり広い部屋に自分の愛用の家具をいろいろと持ちこんでいます。 ドイツ人の家具Moebelに対する愛着はたいへんなものです。 どの部屋もしかしみごとに整頓され、絵や花がいっぱいあり、 老人たちは実に明るい表情です。 とくに感心したのは、他の老人ホームでも見たことですが、 老人を甘やかさないのです。朝は全員キチンと起きて、杖にすがって ゆっくりでも食堂に集って食事をとる。おとろえて、よろよろ、 よぼよぼになっていても、ひとりで歩かせます。 寝ていたい、と言っても、病気でない限りサッサと起こされてしまう。 手がふるえて、スプーンから食べ物が落ちたり、ロからこぼれても、 シスターたちはニコニコ見守っていてやるだけで、けっして かわいそうだからと言って手助けをしてはやりません。自分の 力で食べるのです。 朝食後ベッドにもぐりこんではいけない。眠かったら、椅子に腰かけて 居眠りをすればよろしい。 つまり、自分の生命は最後まで自分で生きぬかなくてはならぬ という信念、信条にもとづいているのですね。 年に一度、老人はかわいそうだと言って「老人の日、敬老の日」などと いう奇妙な日を設けるわが国とは、だいぶおもむきがちがいます。 ドイツの老人ホームは、姥捨て山ではありません。3世代一緒に往むことの ほとんどない∃−ロッパでは、老人ホームに入ることはごく当然、 自然のことだと思っているようです。 それでも老人自身が言います、農村のような大家族制がまだ残っている ところの老人のほうが幸せだ。彼らは孫の世話をしたり、留守番をしたり、 何か仕事があるからだ。仕事、任務というもののない人生はつまらない、と。 Jeder Mensch muβ seine Aufgabe haben. 「人は誰でも任務がなくてはならぬ」。 Jeder Mensch muβ seine Bedeutung haben. 「人は誰でも(生きている)意味がなくてはならぬ」。 ☆ ☆ ☆ このごろ大学生の学寮も個室が原則となってきた。 ドイツでは修道院の修道生活からして個室だったのだ。 個人社会の先輩。