Abreise ―― 旅に出よう ―― ∃−ロッパヘ、特にはドイツヘの旅立ちの日が近づくにつれて、 ドイツとはどんな国だろうかという思いが私たちの頭をいっぱい にします。未知のものへの不安と憧憬との混ざり合った気持こそ、 旅を前にした喜びでもあります。 戦前や、第2次大戦直後とはちがって、今や旅行ガイド・ブック のたぐいは街に溢れていて、かゆいところに手のとどくように 何でも説明してくれています。 どの町に行ったら、何を見ろ。この国に行ったらこれこれこう いう用心をしろなど、いたれりつくせりです。行かなくてももう 外国に行つたような気になります。 でも、何もかも、自分の足で行って、自分の日で見なくてはやはり 本当のことはわかりませんね。旅とは未知のものとの遭遇であり、 同時にまた自分自身を発見する機会でもあります。 異質な世界、まるでちがうものと出会うことによって私たちは、 自分自身が何者であり、どんな人間なのかということを知ります。 いや骨身にこたえて知らされる、と言ったほうがいいかもしれません。 それも単なる観光旅行でなく、長期に滞在し、外国で働くとなると、 彼我のちがいと、そしてまた自分自身の特質をいやというほど 思い知らされると申せましよう。 たとえ短い旅行であっても私たちは外国に出かけて自分自身を知る 経験を重ねます。異質なものに触れたことのない人は、自分自身の ありようを知ることがありません。 こういう意味でも、旅はよいものです。古人が言っていますね、 かわいい子には旅をさせろ、と。昔の人にとって旅は苦労と危険の 連続だったことでしょう。国内旅行も恐るべき艱難(かんなん) を予測しなくてはならなかったことでしょう。それに比べて現代 の海外旅行は、まことに安全で楽なものです。 それだけに、私たちは精神的な冒険、つまり精神の領域で異質 なものに出会う用意をして旅立つべきでありましょう。そして精神的 な冒険は、現代では言語の領域にあると思うのです。新しい 外国語を少しでも駆使して、新しい心の世界を切り開きたいもの です。ちょっと説教じみて、ごめんなさい。 In der Begegnung mit dem anderen Volkstum erkennt man sich.「異国民と出会って私たちは己れを知ります」。 ☆ ☆ ☆ 精神的な冒険は外国語を学ぶことにもありますが、新しいことに挑戦するのでも よいと思います。インターネットにチャレンジするのも精神的な冒険でしょう。 憧憬 どうけい(あこがれること) 本来は「しょうけい」と読むのだが、間違った読み方が広まった。