Woerterbuch ―― 辞 書 ―― 辞書なしで外国語を学ぶことは不可能と言っていいのですが、 昔、辞書のなかった遣唐使たちはどうしていたのでしょう。辞書 のようなものがあったのでしょうか。 明治の初年に2人の旧薩摩藩士がつくった大判の部厚い独和辞典を 手に取って見たことがあります。何げなくめくりながら、明治の先人 たちの苦労が偲ばれて次第に胸が熱くなりました。 たとえばコツファー(英語のトランク)の訳語は「皮室」となっている。 実際に目で見たことも手を触れたこともない異国のことばに、彼らは まったく新語を造って当てなくてはならなかった。 思えば今の私たちはなんと優れた辞書に恵まれていることでしょうか。 高価なその一冊は今、学習院院長の桜井和市先生のお手もとにあります。 学生時代に、フランス文学の故渡辺一夫先生の座談でいつもコンサイスの 小さい仏和辞典を愛用しておられる話を伺ったことがあります。 むろん書斎では大きな仏々辞典を使いますがね、とおつしゃいました。 これほどの碩学がいつどこでもよく字引を活用しておられるということが、 学生の私には実に印象的でした。 ドイツ文学の研究室で私たちは、相良守峯、手塚富雄の両先生から グリムの大辞典を徹底的に調べることを訓練されました。グリム兄弟 がつくり始めたこの大辞典は、実際なんでも載っている恐ろしいものです。 そして演習の教室に入る前に「グリム」に当らずに行くことは できませんでした。 詩人リルケがパリで、友人アンドレ・ジツドの書斎に入りこみ グリムの辞典に読みふけっていたという話は心にしみます。 しかしこの話をしてくれた友人が、近頃の辞典はよくできているが これではリルケの詩は読めないね、と言いました。 私は、そうではないと思います。辞典は翻訳の機械ではない。 グリムのものとはちがって、今私たちの手もとにある辞書は、 ページ数の制限があるからなんでも載せるというわけにはいかない。 そして各語の、あらゆる用法に対応する訳語を収めるわけにもいかない。 まして詩人や小説家は、決して論理の通った明快な文章を嫌くわけ ではない。論理を重んずる哲学者でもハイデッガーのように、ドイツ人 にもわからぬ造語の名人がいます。ゲーテの詩にも辞書にはない ゲーテ語がいくつもある。それらすべてを説明してくれる辞書など ありはしない。 辞書を用いるに当っては、創造的な想像力が大切なのだと思うのです。 Haben Sie ein Woerterbuch? 「辞書をお持ちですか」。 Ohne Woerterbuch kann man nicht Deutsch lernen. 「辞書なしではドイツ語は学べません」。 Ein Mann ein Wort, eine Frau ein Woerterbuch. 「男の一言,女は字引き」。 ☆ ☆ ☆ ドイツの文献を読んで、辞書にない言葉が出てくるが この文章を読めば安心する。 ドイツ人にもわからないような造語を作る人もいるのだ。さて、ここまで本日は12回分を入力しました。