Los,auf die Reise ! ―― 旅に出よう ―― 「人は旅に出て,自分の器の分だけを持ち帰る」ということば を読んだことがあります。生まれて初めて海外旅行をする直前 の浮かれた気持が、いっぺんでぺしゃんこになったものでした。 人生という旅でも、同じことが言えるのかもしれません。旅をして、 人は結局自分のもとに帰ってくるのであり、すべての見間も 経験もつまりは自分の能力・容量以上のものは持ち帰れないので ありましょう。 多くの人に会い、また、ヨーロツパでしか間かれない村々の教会 のポリフォニックな鐘の音を聞き、石造りの教会や家々を見、現代 科学技術のさまざまな展示物に触れつつ、なんとしばしば大急ぎ で眺めて簡単な解説を加えてすませてしまうことが多いことで しょう。 自分自身の目で見、耳で聞いて、対象がこちらの中に入ってくるのを 忍耐をもって待ち、やがてそれらが自分の内面でひとつのフォルム・形 をとることができるように、ひとつひとつの出会いを大切にしたいと 思います。 人であれ、自然の風景、とくに芸術作品との出会いは、触れた その瞬間に起こることもありましょうが、ずっと時間がたった後に、 こちらの心の中で起こることもあります。 Begegnung[ベゲーグヌング] 「出会い,邂逅(かいこう)」はこちらの予測しない時、予想しない形で 起こるものです。それはむしろ向こう側から与えられる と言ったほうがいいかもしれません。美しい音楽でもそうです。 そしてそれはなるほど与えられるものなのですが、しかし、じっと 自分の殻の中に座りこんでいては、出会いは、ついに永劫(えいごう) 起こりえないでしょう。自分の殻の中から、どんなに自分が貧しくて も歩み出していかなくては、すぐれたもの、美しいもの、良き人 との出会いは与えられないでありましょう。 旅に出て私たちの感受性は自由に羽ばたき、繊細になり、 日常は思いもよらぬ良い出会いを経験します。 さあ、旅に出ましょう。 Los,auf die Reise! Wann verreisen Sie? 「いつ旅に出ますか」。 Ich reise morgen ab・ 「私は明日旅立ちます」。 Gute Reise und guten Flug ! ーDanke ! 「よいご旅行を,そしてよい空の旅を」。一「ありがとう」。 ☆ ☆ ☆ この文章はとても胸にしみる文章です。 したがって、私はあちこちに引用した記憶があります。 人間はなにごとにも、その人の容量があって、その容量くらいのことしか できないのでしょうか。 努力すれば、少しは器が広がるものなのでしょうか。 polyphonic 多音の(ヨーロッパの鐘は日本の鐘のように単音ではないから)