ケネディ大統領のベルリン演説の(英語式)ふりがな

アメリカの大統領ケネディがベルリンで演説をしました。
彼はドイツ語で世紀の大演説をしましたが、
ドイツ語の発音を英語で表記しました。

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  ケネディの演説 アメリカ人もドイツ語は難しい
    発音表記にまつわる話

やや専門すぎるので、興味のない方はとばしてください。
(要約 ケネディのベルリン演説、ドイツ文の英語によるその発音表記、
外国語の表記のこと)

ベルリンの壁の崩壊など夢想だにできなかった1987年のこと、
東西ベルリンで壁を隔てて建都750年を祝う様々の行事が行われていた。
なかでも由緒あるMartin-Gropius-Bau で開催された西側の「ベルリン、
ベルリン」展は、その規模の大きさと市の歴史が展望できるとあって
前評判が高かった。

都合をつけて見学会場に入ったが、混雑のため1日ではとても回りきれない
ことがわかったので、過去の歴史部門はほぼ素通りして、
現代の”Weltpolitik und Stadtgeschichte”の展示室から始めることにした。

そこでケネディのかの有名な”Ich bin ein Berliner”-Rede(1963)の
草稿に直面した。
A4判の小さな紙切れ1枚で上半分がタイプ書き、下半分が手書きであった。
   ish Froy_er mish in bear_LEAN sue zine. ish FROY_er mish in
DOICH_lont sue zine. ish bin DONK_bar fear dane HAIRTS_lishen emp
_FONG, dane zee mere eeba_OLL ba_WRY_tet hobben. ish HAUFER doss
mine ba_ZUKE dot_sue BUY_traked, dee FROINT_shofts vishen DOICH
_lont oont ah_MAY_ree_cah VIE_tar sue FEST_iggen.
  BIT_ter fairt_SIGH_en zee ess mere, ven ish in MY_nah MOOT_tarsh
_PRAH_ker FORT_FAH_ra, den mine DOY_char VORT_shots ist ZAIR
ga_RING.

 タイプで書かれていたのは上のようにドイツ語の発音を表記したものであっ
た。強く大きな声で読むところは大文字で書かれている。

 ちなみに原文のドイツ文は以下のようになる。
  Ich freue mich, in Berlin zu sein. Ich freue mich in
Deutschland zu sein. Ich bin dankbar fuer den herzlich Empfang,
den Sie mir ueberall bereitet haben. Ich hoffe, dass
mein Besuch dazu beitraegt, die Freundschaft zwischen Deutschland
und Amerika weiter zu festigen.
   Bitte verzeihen Sie es mir, wenn ich in meiner Muttersprache
fortfahre, denn mein deutscher Wortschatz ist sehr gering.
(私はベルリンに来て嬉しい。ドイツに来て嬉しい。
いたるところで歓迎され感謝申し上げる。
私の訪問により、ドイツとアメリカの友好がますます深まることを
希望する。
私のドイツ語は乏しいから、これから英語で話すことをお許しください。)

  万国表音文字とか国際発音記号なるものはあるが、専門家を別にすれば、
各国とも自国語による発音表記が一般で、英米人が外国語を表記する場合は
特にそうである。
ケネディの場合も例外ではなかった。
日本ではカタカナ表記がこれに当たるが、カタカナはおおむねドイツ語とは
相性がよい。
両者ともローマ字発音が基本になっているから。

 やや専門的な内容でしたが、英語とドイツ語の発音やスペルについては、
思い当たる人もいるでしょう。

 有名なバーナード・ショーの話ですが、英語の綴は英国人でさえまごつく
という例を紹介します。
FISHはGHOTIと綴るべきである。その理由は rough の gh は F音
であり、women の o は I音であり、nation の ti は SH音であるというからです。
「ドイツ語とスペイン語は外国人にも近づきやすいが、英語は当の英国人に
とっても近づきがたい」というショーは正直な人です。

  カタカナ表記は次善の策であり、大事なことは字面によらず耳からの発音
に依拠することである。
明治初期の庶民がなまじスペルを知らなかったばかりに、耳だけをたよりに
強弱音を聞き分け、今よりはるかに原音に近い表記をしたのはいい例である。
american はアメリカンよりメリケン(だからメリケン粉。メリケン波止場の
ことをまる子の父ヒロシは正しく説明している)
Hepburn はペップバーンよりヘボンであろう。
(明治大学教授遠山義孝 BRUNNEN 1990.3)

BRUNNENとは東大正門前にある郁文堂というドイツ語の本をあつかっている
出版社から、送られてくるパンフレットです。最近の出版案内とともに、
ドイツ語の先生の随筆が載っています。

 ベルリン特別区を残すというアメリカの判断とドイツ人の執念とソ連共産
圏の経済崩壊が、ベルリンの壁を倒したのです。
東ドイツの人々は西ベルリンから入ってくる西側情報によって、自分たちの
国といつも比較していたから。

哀愁のベルリン