Bretzel もしくは Brezel


プレッツェルはいつ頃できたか。
シュヴァーベン地方のエーベルハルト伯爵とパン屋フリーダーの昔話は有名だけど
どうやら昔からヨーロッパにあったらしい。
Brezel, Bretzel, Pretzel, Kringel

プレッツェルは中世以来何百年の間、ドイツのあらゆる町でパン職人組合の紋章だった。
パン屋の軒先に飾られた。

マインツには Bretzenheimという町の名前がある。昔は独立していたが
今はマインツの一部となっている。、

ローマ時代にさかんに焼かれた祭儀用のパンに、すでにプレッツェルの原型と
いえるリング状のパンがあった。
ゲルマン人の指輪や腕輪に対する執着も無視できない。

610年のローマの僧院に発見
プレッツェルの得意な形は偶然ではない。イタリア語でプレッツェルはブラッチャテッロ
と呼ばれ、組んだ腕という意味がある。手を組んで祈りを捧げる子どもの姿なのである。
石の冷たい僧堂でたくさんの教義の問いかけと答を懸命に暗記する子どもたちのご褒美だった。
  bracciatello(イタリア語) → brezitella (古ドイツ語) → Brezel(ドイツ語)

私も訪れたことがあるが、ドイツのウルムにパン博物館がある。
そこに、プレッツェルの初期の形から現代の形にいたるまでが展示されているという。
リング(1〜9世紀)、6の字(9世紀)、両端が6の字と逆6の字(11世紀)、
現代の形(12世紀)

ドイツの子どもたちが小学校入学の日、ソフトクリームのコーンの形をした大きな
厚紙の容器にプレッツェルを入れてもらってよろこぶのはなぜ?
スイスの若い二人が結婚の誓いの場でプレッツェルを両はじからちぎりっこをするのはなぜ?
ラインラントで大晦日の夜、カード遊びの勝者にプレッツェルが振舞われるのはなぜ?

Brezel, Bretzel, Pretzel, Kringel

ウィーン美術史美術館の「謝肉祭と四旬節の喧騒」
腹をすかせた四旬節の人々の足元や籠の中にプレッツェルが描かれている。
プレッツェルは四旬節の期間に特別に焼かれたパンだった。
1600年代のウィーンでは四旬節のあいだ毎日このパンを焼く権利をもつ店を
くじ引きで決めたという記録がある。

そのうちに、謝肉祭でも行列の先頭のシャントル(破廉恥で狡猾な男)が
プレッツェルやオレンジを子どもたちに配ったりした。
道化の中には観衆の娘たちのスカートをめくったり胸にさわったりして喝采を博する
いたずら者もいたが、これも多産のおまじないとしてこの日ばかりは大目に見られた。

秋のダンスパーティ、ガールフレンドを誘い出したい男の子は、プレッツェルを持って
女の子の家のドアをノックする。母親から許しをもらうため「許可願いのプレッツェル」
と呼ばれるプレッツェルをひもでたくさん通して数珠つなぎにした。

 

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