私のドイツ研修旅行(フンボルト奨学生)
Luebeck

1982年5月19日 ベルリン→ブラウンシュヴァイク→ハノーファー→リューベック

     5月20日 リューベック見学

     5月21日 リューベック→ハンブルク

とても印象に残る町 
リューベック

リューベックはとても印象のよい町で、再び行ってみたい町なのです。でも、
我々が行ったときは雨で、傘なしでは町の中を歩けませんでした。
雨のけむるリューベック今も印象に残っています。 

我々の泊まったホテルは例のあの門(写真に必ず出てくる)の近くで、
門の外に位置していましたから、旧市街ではなかったのです。あの門は最初見たとき
悪魔の門を連想しました。城門だったのですね。ヨーロッパの町はすべて外敵に
備えて城壁で町を取り囲み、何カ所か出入りの門を作った。旅人はあの門から
町に入り、あるいは門から出て他の町に向かった。 

この門 Holstentorの上に登りました。中はちょっとした博物館になっていました。
ハンザ同盟で栄えた当時の資料があったと思います。町全体がとても昔の雰囲気を
残していると思います。

フランクフルトなんかはその正反対の存在ですね。
世界の金融都市としての存在に力を入れているから、中世の雰囲気を保存するより
今が大事ということなんでしょう。

本によると、この町の基礎は Heirich den Loewen にさかのぼると書かれてあります。
ハインリッヒ獅子王といえばブラウンシュヴァイクを造った王でブラウンシュヴァイク
のドームに今も眠っている。 

リューベックは1226年に帝国自由都市になりました。Reichsfreiheit ハンザ同盟
で栄えたのも納税義務から解放され自治権をもてたという背景があったから。
リューネブルクの塩はこの町からバルト海の外国に運ばれたのでした。 

    皇帝による特許状の授与式のページ


我々はしかし、この町では何を見たか、リンダホーフのような明確な記憶がないのです。
ベルリンから東ドイツをぬけてリューベックまでの道は遠かった。旧東ドイツでは途中
でバスが止まることは許されないと言われて、一行はトイレを我慢したのでした。
記録を見ると 1982.5.19にベルリンからの辛いバスの旅をしたのでした。 

5月19日夕方、精霊養老院の前に行ったが中に入られたかどうだか、
さだかではありません。
歴史ある養老院であって、修道女たちが世話をしているという話を聞いて、
ここだけではなくドイツにたくさんある修道院のことを考えてみました。

どうして、独身で修道士、修道女の道を選んだのだろうか。ドイツ人みんなが修道院
に入ったら、子孫がなくなってしまうが、その道を選んだのはわずかで、
その伝統は今も続いている。修道院があるから、神の道が守られているのだろうか。
などとりとめもなく考えたのでした。 

リューベックには2泊したのですが、ほとんど雨の中で、しかも初日は夕方の見学
では寒いし暗いしで、よくわかりませんでした。翌日に雨がやんだ少しの時間に
明るい独特の町の建物に感動したのでした。この町は川や運河に取り囲まれている。
トーマス・マンの小説に書かれているように。

リューベックの赤茶色の市庁舎 
翌日ようやく雨が小降りになり、市庁舎を見に行ったら、これが赤というか茶色と
いうか明るい独特の色で印象的でした。あの建物は今も目に浮かぶ。 

雨の中、博物館めぐりをして
おもちゃの博物館を見ました。
このてのものではニュルンベルクのおもちゃの博物館が有名です。
小さいが精巧に作ってある。ドイツ人のこだわりを感じさせます。


それから Haus der Schiffergesellschaft 船主クラブの家(レストラン) に行って昼食。
昔のギルド(組合)の名残というだけあって、天井から船の模型が吊してあったり、
室内装飾がこころにくい。 
料理はワインと舌ヒラメ。ヒラメはフライでとても美味しかった。食事風景
やはり海が近いのはいいことだ。 
船主クラブの家のボーイさん

我々のドイツ旅行は北はここまででした。 結局バルト海は見なかった。見たかったが。 

それから月日は流れ、1996年10月にデンマークに行く機会がおとずれました。
あこがれのバルト海のフェリーの窓から見た海は、津軽海峡冬景色の海でした。
バルト海を取り囲むのはドイツや北欧だけでなく、ロシアやポーランドも関係して
いるから、海洋汚染は大きな国際問題になるのです。



                本格的なドイツ北半分の地図そうとう大きいので注意

                本格的なドイツ南半分の地図そうとう大きいので注意

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