Luebeck 特許状

>本によると、この町の基礎は Heirich den Loewen にさかのぼると書かれてあります。
>ハインリッヒ獅子王といえばブラウンシュヴァイクを造った王でブラウンシュヴァイク
>のドームに今も眠っている。 

>リューベックは1226年に帝国自由都市になりました。Reichsfreiheit ハンザ同盟
>で栄えたのも納税義務から解放され自治権をもてたという背景があったから。
>リューネブルクの塩はこの町からバルト海の外国に運ばれたのでした。 

市庁舎の中の中央階段の踊り場に3つの壁画が描かれてあった。 皇帝による特許状の授与式の場面であった。 特許状の内容の主なものは次のとおりである。 第1に、自分たちを守るための城壁を造ることが認められる。 第2に、自分たちで法を決めてもよい。 第3に、通貨を造ってもよい。 このように、司法、立法、行政のほかに通貨発行権まで認められた。 当時人口2万人、ハンザ商人千人の収益が5千万グルデン。 特許状の代価は約1/3ではないかと推定される。   (SIGNATURE  第38巻 第12号) 皇帝はこの一時金がほしかったよりも、名目だけの神聖ローマ帝国の皇帝である だけでなく、その権限を帝国内に広く及ぼしたかったのだろう。 実質的に支配をしている各地の領主に対抗するために。

ドイツ研修旅行の先頭に戻る。