ル−トヴィッヒ2世
Ludwig II

ロマンの王様の城
ノイシュヴァンシュタイン城
リンダーホーフ城

ルートヴィヒ2世は フランスのルイ14世太陽王にあこがれた。
したがって、月の王と呼ばれる。

ロマンチックな城作りにあけくれ、バイエルン王国の財政がピンチになって、
とうとう退位させられてしまった王様。 

鉄血宰相ビスマルクの政治力でプロイセンを中心としたドイツ帝国ができようと
していたとき、このルートヴィッヒ2世がバイエルン王であった。
本来はバイエルン王国は、プロイセン、オーストリア両強国の間にあって中小諸邦を
第三勢力として結集すべきであったが、かんじんの王様が政治嫌いで城作りと
ワーグナーのパトロンにあけくれていた。 

ルートヴィヒ2世はビスマルクから城作りの資金援助を受けるという密約により
プロイセン王をドイツ皇帝にするという提案者にさせられたという。

あの王さえしっかりしてくれていたら、なにもベルリンの下になることもなかったのに、
と今でもバイエルン人はルートヴィッヒ2世のことをあまりよくは言わない。 

王は政治のむなしさを知って芸術とロマンの世界を選んだのだ。私にはそう思える。
どこか狂っていたゆえ鋭い予見力があって、たとえドイツ皇帝になっても
その先のドイツの敗戦(第一次世界大戦)が待っていることを予言したのではないか、
と私には思えるのです。

毎年世界中から多くの人が、王の追い求めたロマンチックな城を見に
ドイツにやってくる。だから、王は今も人々に愛されているのだと思いたい。 

なぜ王は結婚しなかったのか?
公式には、王には婚約者ゾフィがいたが、ゾフィよりもその姉の
エリザベトが好きだったのだ。エリザベトはしかし、オーストリアのフランツ・
ヨーゼフ皇帝と結婚しているからかなわぬ夢だったのだ。 

だが、一般には
王は女性よりも男性が好きだったからと言われる。

ルートヴィッヒ2世とオーストリア皇后エリザベトは親戚で、どちらも夢みるロマン
チストであったから生前たがいのよき理解者であったようです。しかし、エリザベト
より8歳年下のルートヴィッヒ2世は、彼女が結婚したとき8歳ということになる。 
エリザベトが忘れられず結婚しなかったとは私には信じられないのだが。

バイエルン王国の財政危機になっても、王は城作りをやめようとしなかった。
ついに国民は立ち上がった。
ミュンヘン大学精神科教授グッデンら4人の医師が
「王様は不治の病で、政治の仕事はできない」という精神鑑定書に署名した。
そして、王はシュタルンベルク湖畔の離宮へ移され幽閉の身になった。
ついに、王とグッデンの二人は水死体となって発見された。