ヨーロッパ旅行記(8)

47回目から50回目まで
 ロンドンから日本まで、まとめ

ヨーロッパ旅行記 その49

 あとがき(上の巻)

この記事は筑波ネット、ハイテクネットとうほくの2つのパソコン通信に
書いたものを、読み直して訂正を加え、また帰国後に資料を調べたりして
内容を補足したものです。

でも、まだ間違いがあるかもしれません。
これについて、お気づきの方はどんどん私に電子メールを送ってください。

短い期間でしたが、眠る時間も惜しんでの体験をまとめたものです。
ロンドンやパリを外から、つまりドイツや日本の立場から見ている面も
あろうかと思います。
その分、現地の人からみれば偏見が入っていると言われそうです。

ものの考え方、見方については、人によってさまざまなものがあります。
あるヨーロッパ生活が長い作者がドイツをどう見ているかという文章を
紹介します。

「ドイツで車に乗って、さて駐車しようとすると、通りすがりの男が2、3人
必ず立ち止まります。.........
車の後方にまわってきて、「オーライ、オーライ」と
やってくれます。
この類の比較的軽症の話から始まって、民族的特色というより民族病
とでもいうべき、お節介焼きのエピソードはそれこそ枚挙にいとまがない、
というやつです。
私の耳にした話の中でもっとも露骨、噴飯もののエピソードはなんといっても、
ある日本の金融機関のドイツ支店長夫人が聞かせてくれたやつでしょう。
あるうららかな夏の朝、支店長夫人が庭に出ていると、隣家のドイツ人の
奥さんが垣根ごしに声をかけてきて、「大事な話がある」というんだ
そうです。「大事な話」などといわれては、すぐにも家に招じ入れない
わけにはゆきません。
さて応接室に招じ入れて向かい合ってみると、「お宅の犬は近頃
おなかをこわしているんじゃないの。少しいろがおかしいわよ」
大真面目な顔でそう切りだしたんだそうです。
つまり彼女としては、隣家のよしみで、日本人支店長の飼っている、
セントバーナード種の犬の動静を排泄行為も含めて絶えず見守っている
というんですね。

.......
犬の糞についてとやかくいうくらいですから、芝生の手入れをちょっと 怠って、長く伸びたままにしていたりすると、たちまち隣り近所の連中に 睨まれて、ひどいときには同じ日に2回、違う人物から忠告されたり することもあるそうです。 こうした物見高さが、ドイツ人田舎者説をヨーロッパ一円に流布させて いる理由なのでしょう。他人の心理にいたって無頓着、それでいて、 他人の身辺から好奇の眼を離さない連中、そういう日本流の田舎者が あの中部ヨーロッパのドイツにちゃんといるんです。
.......
ドイツ駐在の日本人の何人かが経験した話に、 突然見知らぬドイツ人が玄関先に訪ねてくる、というのがあります。 ......... 玄関先の男は、「はなはだ申しかねるが、お宅の窓ガラスが大変よごれて いるので、お磨きになってはいかがだろうか」などと 日本では到底あるまじき、立ち入ったことをいうんです。 ........
お節介焼きを特質とする国民ですから、そう簡単にはゆきません。 道ばたでよごれた窓の家を見かけたりすると、もう胸の奥が かゆいようないたたまれない気分になってきて、見て見ぬふりを きめこんで通り過ぎる、なんて日本的芸当はできなくなるんです。 この場合のお節介焼きは、隣家の犬の糞を気にするのとは異なり、 明らかに共同体志向という、新しい要素を含んでいます。 共同体の意思に従わない者は断乎として村八分にする、という 民族思想を体現しているわけです。」 (深田祐介、新西洋事情、新潮文庫)

お節介焼きを田舎者とみるか、ゆきすぎた親切行為とみるか、
それは人によってさまざま。

ドイツの町を歩くと出窓に美しい花が飾っている。町を歩く人にも、
美しさ、楽しさをわけてあげましょうということか。
その反対に外側の窓に洗濯物を干したならとんでもない、必ず目障りだから
とるようにと言われるだろう。

集合住宅などの建物は、裏窓がある。たいてい建物はコの字形か、ロの字形
に建てられているから、表通りから見られない裏窓に洗濯物を干している。

(ヒッチコック映画の裏窓を見ると、やはりアメリカのアパートにも
表通りの窓と住民だけの裏窓の世界があることに気がつく)

洗濯物を表通りから見えるところに干さない、

そういう常識と、通りに面した窓ガラスをよごれたまにしないで、清潔にしておく
ということとは矛盾しない。

日曜日は安息日なので、洗濯をするのはもってのほか。
キリスト教の習慣を知らない日本人が、日本流に日曜日洗濯をしていると
注意されるのは、それら一連のドイツ流の作法である。

日本人だからといって寛大な扱いはされない。

 ドイツに留学したり駐在生活をする人のガイドブックには
 必ず書かれていることです。

共同体志向だからこそ、運命共同体という言葉もドイツ語にある。
団結する民族なので、何か目標を決めたら、それに向かって国民が
力(ベクトル)を合わせるから強い。
(フランスやイタリアなどは、ベクトルはてんでんばらばらのようだ)

現代は経済戦争であるが、やはりドイツはヨーロッパの中で
強いから、隣国から恐れられてもいる。

これにくらべて、イギリス人はひややか、都会人のごとく
他人になれなれしい口をきかない。

冷たいという印象を受けるが、相手の気持ちに無理に入っていかない
という気づかいがあるとも考えられる。

たとえば、誰かが他の人と違う衣装をしていたとする。
イギリスでは、そちらをしきりにジロジロ見たりするようなことはない。
ロンドンは都会だからなおのこと。

しかし、イギリス人がいつでも寛大というわけではない。

昭和天皇がヨーロッパ訪問をしたとき、イギリス訪問の際に
イギリス人各層が示した反応は意味深長なものがあった。

女王陛下は歓迎挨拶のなかで、前大戦に触れて嫌味めいたことを言われるし、
一般庶民は、植物園のキュー・ガーデンに天皇陛下が杉を植樹されると、
その杉に毒薬をかけて枯らせてしまうやら、パブの入口の靴拭き代わりに
日の丸を置いて来客に踏みにじらせるやら、あの手この手のにぎやかな
歓迎ぶりであったという。

上に引用したドイツ田舎者説を書いている同じ作者が、こうイギリスを
見ています。

外国の国を比較するとき、
色々なものの見方があるので、あとは自分はどれが好きかという
ことでしょう。
各自の好みの問題ですね。

次の記事で、この連載を終わりたいと思います。

   

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