ヨーロッパ旅行記(6)

37回目から40回目まで
 パリ、ユーロスター、ロンドン、猿岩石

ヨーロッパ旅行記 その40

10月19日 ロンドン編1

ロンドンに泊まったホテルは
スタキス・セント・アーミンズ
という伝統的なスタイルのホテルだった。

まず、ホテル正面の中庭が狭くて、バスはバックで入り駐車する。
ホテルの前の道路もぎりぎりの広さで、運転手の運転のうまいこと。

エレベータは正面フロントの両側の建物にそれぞれあるが
狭くて古風で、(時計の針のように移動階を示す)
歩いた方が早いと歩く人もいた。

でも
玄関から入った正面の階段は映画の場面にも出てくるような
立派な階段であった。
だから、この立派な階段の前で記念写真を撮る人が何人かいた。

部屋は、この旅行中では一番狭かった。
シングルの部屋だから一人で泊まるには十分であったのだが。

明かりはライト全部(4個)つけてもやや不足だった。
最初はベットの明かりもつかなくて、また故障かと思ったら、
ライトの根元のボタンを押せばよかったのであった。

本を読むのにまあまあでも、手紙を書くには足りないという
印象であった。 ドイツの伝統的なホテルは本当に暗い感じなので、
それよりはましというところか。(ドイツの場合、わざわざほの暗く
しているそうだ)

このホテルはニュー・スコットランド・ヤードの裏にあたるので、
治安はロンドン一良いと言われた。

そのせいかどうか、朝に散歩をしようとホテルの前を出たら、
ポリスの姿があちこちに。

ホテルの近くに、警察の違法駐車を吊り上げるレッカー車が
数台置かれていた。

 ホテルの前のパトカー。

朝の散歩をかねて近くの地下鉄の駅 ST. James' Park まで行って、
キオスクで絵はがきや飴など買った。しかし、切手は売っていなかった。

そこで、近くの郵便局に行ったが、まだオープンになっていなく、
自動販売機で切手を買ってみたが、日本に出せる
37ペンスちょうどの切手はなく、また色々組み合わせても
37ペンスにするのは不可能だったので、
これは記念のお土産にすることにした。
 37ペンスの切手は同行の人が使わないのを売ってもらった。

ホテルまで帰ってくると、日本人の若者一団が玄関で記念写真を
撮っていた。日本から持ち込んだ横断幕まで用意して用意のいいこと。
聞けば、郡山市の青年の旅という。

我々の一行も仙台や秋田の関係者が多く、盛岡は私一人だが、
東北の関係者が、ロンドンのホテルに集まったわけである。

さて、午前中は自由行動ということであったが、
大英博物館の見学というオプション・ツアーにほとんど全員が
参加していた。

加わらない人は4名程度。 そこで、またバスに乗ってホテルを出発した。

大英博物館は10時に開館するので、まだ時間があるからという
わけで、ロンドン市内をぐるぐる回っていたら、
トラファルガー・スクエァの広場に、何やらテントが張られ
日本語の横断幕があった。

時間もあるのでちょっと降りてみたら、日本人の若い女性の姿もちらほら。
聞けば、日本テレビの電波少年の番組で 猿岩石がユーラシア大陸横断に挑戦し、
本日がロンドンにゴールする記念撮影の日とかで、
あなたたちは運がいいと言われてしまった。

室井滋も近くのレストランで食事中とかで、ロンドンに来ているのだ
といわれても、私には猿岩石も室井滋も知らない。

爆風スランプもあそこにいると教えられ、
爆風スランプだけは知っていた。

彼らがまだそれほど有名にならない時に、岩手大学の大学祭に
公演することになっていたが中止になったことがあったから。

一行の中には詳しい人がいて、爆風スランプはあそことあそこに
いると教えてくれた。

この場に残り、現地エキストラに参加したい人もいなかったわけではないが、
大英博物館もそろそろ開館するというわけで、
我々はバスに乗り、大英博物館へ向かったのである。

大英博物館の見学の後にすぐバッキンガム宮殿に行ったので、
この土曜日の撮影は結局、我々は見られなかったが、
日本では翌週の火曜日に日本中で放映された。

21日に岩手大学のMLに書いたら、全員知っていて、
これを機会にみんな22日のテレビ放映を見ていたようだ。
私も自宅で見ました。 猿岩石も爆風スランプも室井滋も。

あの時、プロレスラーのような体格のよい数名の男たちがいたが、
あれはVIPのためのガードマンであったろう。

猿岩石も爆風スランプも室井滋も、VIP?

   

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