31回目から36回目まで
コペンハーゲン、北欧のこと、パリ、パリの橋
17日の夕食のレストランについて書きましょう。
この夜の料理はどことなくフランス料理だったが
皿が変わっていた。 それぞれの種類の料理の度に持ってくる皿には、
違う絵が描かれてあった。 黒い広がった独特の帽子をかぶった女の人の絵、
木組の建物の絵。
あっ、これはアルザス地方の絵だ。
このレストランで食べたのはアルザス料理だったのでは
ないだろうか。 店の名前は TABERNE
タベルナ いや違う タベルネ。
アルザス料理のレストラン。
17日からの市内観光のガイドさんは、Yさんという
俳優のように建築家のような雰囲気の男性で、
フランス語もフランス文化も色々よく知っている。
聞けばフランス人と結婚してフランスに長く住んでいるという。
このYさんに聞いたら、このレストランはたぶん
アルザス料理であったろうと教えてくれた。
また TABERNE とは「はたご」という意味だと教えてくれた。
(英語ではtavern 居酒屋、宿屋)
(中世ヨーロッパには下が居酒屋、上が宿泊処というのが多かった)
フランス語でアルザス地方というのは、
英語ではアルサス、 ドイツ語ではエルザス、
つまり、シュトラスブルクあたりから南の
ライン川に添った細長いフランス領の土地のことです。
ここは古くはドイツ人が住んでいて、長い間ドイツと同じ文化や
風俗習慣が行われていた。
やがてフランス王の侵略がはじまり、耐えきれなくなって、
ドイツに逃げた人もいる。
あのアルベルト・シュバイツァーもアルザス出身。
今でもアルザスにはドイツ人の顔をしたフランス人が
たくさん住んでいて、ドイツ語とフランス語を話す。
私も14年前にライン川の対岸の町フライブルクから
アルザスのコルマーの町へ行ったものだった。
そして、そこでスーパーマーケットのおばさんとドイツ語で
問題なく買い物ができた。
そもそも、ドイツ語の学校で美人の先生から、
コルマーには中世のドイツの教会や絵画がいっぱいある。
ぜひ行ってみなさい と言われたのです。
フライブルクからコルマー行きのバスが朝夕にある。
実はライン川に架かる橋を越えて走るバスで
毎日通勤している人もいるのです。
行ってみたら確かに、コルマーの修道院をもとに作られた
ウンターリンデン美術館の絵や彫刻は、フライブルクのものと
同じ。少なくとも私には区別がつかなかった。
町で会った、おばあさんと少女に この美術館への道をドイツ語で聞いたら、
ドイツ語で答えてくれた。
この土地出身の彫刻家バルトルディが、あの自由の女神を作ったのです。
自由の女神はフランスからアメリカへの贈物です。
だからバルトルディ博物館に入ると、アメリカの自由の女神製作のための
彼の色々な女神のアイデアが展示されています。
彼は色々有名な彫刻を作り、
アルベルト・シュバイツァーが子供の時、コルマーの広場で見た、
世界に活躍したフランスの将軍をたたえる彫刻も作ったのです。
この将軍をたたえる彫刻の足元で
支配されてうなだれている黒人像を見て、
子供のシュバイッァーは、 将来アフリカに渡って、
原住民を医学で助けようと決心するわけです。
シュバイツァー自伝にも、はっきりと書かれていて、
子供の読物としての偉人伝に必ずといっていいほど、この広場の黒人像の
彫刻の写真が出てきますが、私がコルマーに行ったときはありませんでした。
どうやら、日本人をはじめとする世界中から、子供時代のシュバイツァーに
憧れ確認の旅に来る人々に聞かれたり、しげしげと見られたりするのは、
フランスの植民地支配にさわられる思いで不愉快になったフランスの
人々が撤去したのではないかとさえかんぐってしまいます。
ノーベル賞のシュバイツァーも、フランスのノーベル受賞者に数えていますが、
フランス人は彼を好きではないようです。
自伝もフランス語でなくドイツ語で書いていたし、博愛主義者の彼は外見は
ドイツ人でしたから。
ドイツとフランスの大学で学んだシュバイツァーは
フランス語もドイツ語も話せます。
ドイツ人はまた、アルザスをドイツ人の故郷と思い、ドイツ語で考えたり書いたり
したシュバイツァーをドイツのノーベル賞受賞者の中に入れています。
シュバイツァーの生家はアルザスに残されています。
今、そこで買ったアルザスの本を見ながら、
このTABERNE で見た皿の絵と同じ帽子をかぶった女の人の
民族衣装を見ている。
(帽子というよりは、よく見たら太いリボンでした)
アルザスのワインは美味しい。これはフランス人ばかりでなく
ドイツ人もよく知っている。
フランス料理の中でもアルザス料理は特徴があって、
フランスではフランス人が食べたい人気料理のようですね。
フランス料理とドイツ料理の両方からなる料理なので
味に幅があります。
行政的には、シュトラスブルクはフランス。
だから、郵便局にドイツ語で張り紙がしてありました。
「ここはドイツではない、フランスである。だから
この郵便局でドイツのお金は使えない」
フランスの郵便局の注意書きはあたりまえのことです。
でも市内ではドイツのごとく、ドイツマルクは通用する。
町の広場の教会やその隣のレストランには、いつもドイツ人の
観光客がいっぱい。お土産を買ったり、レストラン代金を払うのに、
フランスフランではいくら、ドイツマルクではいくらと書いてあるから、
ドイツのお金で払えばドイツのお釣りが返ってくる。
ライン川を渡ってドイツからの観光客が来るのは歓迎するが、
ドイツのお金しか使わないと、フランス人も面白くないのでありましょう。
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